強制的な幸福
再び、仕事のシフトに穴を空けてしまったオレは、上司から嫌味を言われた。聞きたくもない嫌味を耳にする度に、「だったらお前が同じ目に遭ってから物言え」と、文句の一つでもこぼしたくなった。
さらに傷が塞がるまでの間、仕事を休むことになったオレは、家に帰ってきて早々リビングの異変に気付く。
「なにこれ?」
リビングには見慣れない寝台が置かれていた。
小さなベッドだ。
子供用より小さい。
「赤ちゃんのベッドよ」
「は?」
頬の傷口が痛み出し、ベッドの傍で正座する不知火から距離を取る。
ミツバはソファのひじ掛けに腰を下ろした。
「不知火さんがね。婚姻を認めてくれたから、私も
「それ、オレいないとダメじゃない?」
二人で話し合い、二人で決めた事。
ただし、当事者のオレを除いての話し合いだ。
何度も言ってる通り、オレは結婚するつもりはない。
ミツバと結婚すれば、借金の負担で苦しめてしまう。
あと、すでに性欲の枯れたおっさんが、二人の美女を前にしたところで、どうこうしようだなんて思わない。
「結婚してくれるって、……言ったでしょう?」
不知火が鉈を取り出した。
奴は言った。
――本気で怒る、と。
そこだけは恐怖と共に、記憶に刻まれているので憶えている。
オレが狼狽すると、不知火が真顔になって立ち上がった。
「え? なに、その反応。赤ちゃんのベッドだよ?」
「……う、うん」
「嬉しいでしょ? 嬉しくないはずないもん。だって、二人の赤ちゃんができるんだよ?」
ミツバの方を見る。
「私は前に言った通りだよ。リョウと結婚するつもり」
「そんな、勝手に……」
「アンタ、ウジウジするじゃない。だから、もう、アンタの意見聞くのやめたわ。――好きだ、って。言った責任くらい取りなさいよ。私は少し前から、もう覚悟は決めてるし」
嬉しくないといえば、嘘になる。
だが、あまりにも一方的で、頭の整理がつかなかった。
さらに頭を真っ白にさせてくるのが、不知火だった。
ガン、と扉に鉈を食い込ませ、「え? え? え?」と、ものすごい剣幕で詰め寄ってきた。
「嘘、吐くんだ。へえ。ふ~ん。嘘なんだ」
「待ってくれよ。だいたい、オレなんかのどこがいいんだよ。おっさんだぞ?」
「好きになるのに理由って必要ないでしょ?」
「……う」
ここまで言い切ると、いっそのこと清々しい。
階段の手すりまで追い詰められたオレは、寒い廊下で壁ドンのような体勢に持ち込まれた。
目の前には、鋭利な角。
「私が好きだ、って言ってんの。あー、ミツバさんの言ってた事、分かったかも。そっか。リョウって、こういう所いけないよね。ウジウジして」
「いやいやいや……」
痛みで噴き出した汗とは違う。
神経がピリピリと張り詰めるような冷や汗がどっと噴き出した。
「言っとくけど。もう決めたから。絶対に幸せにするから」
「それ、男の台詞――」
「男とか関係でしょ。女が男を幸せにすることだってできるんだよ」
「……おい。マジか、これ」
現実とは思えなかった。
色々な事がありすぎて、脳の整理が追い付かない。
しみったれた人生を送ってきた分、女から詰め寄られる事が、自分の人生で起こりえるとは想像すらしなかった。
不知火はカッと目を見開いている。
目は血走っており、口は半開き。
今にも首を絞めてきそうだ。
「ねえ、リョウ」
「はい」
「無理やり、子供作るから」
「お前、何言ってんの?」
「アンタが嫌だって言っても、ダメ。泣いたって許さない。無理やり結婚して、無理やり子供作って、強制的に幸せな家庭築くから」
「それ、どういう感情で言ってんだよ! 脅しなの? 告白なの?」
怯えるオレの腕には、小さな影がしがみついてくる。
顎を引いて目を向けると、そばには絵馬がいた。
「死にたくないから、結婚して」
「命乞いで求婚するものじゃないぞ」
絵馬は姉に命を狙われている。
絶対に無理があるけど。
こいつは助かるために、求婚をしてきていた。
だいたい、ちびっ子に手を出したら、社会的に抹殺される。
オレに世界と戦うロックな精神はない。
「リョウ」
不知火の頭の上から、ミツバが覗いてきた。
「ミツバ。助けてくれ」
「んー、……覚悟決めれば?」
「うっそだろ」
「良かったじゃん。三人に求婚されるなんて、他の男じゃあり得ないよ」
「え、これ求婚で合ってんの? ほぼ脅しか命乞いにしか見えないんだけど」
三人は嘆息して、同時に言った。
「結婚しないと――殺すから」
「結婚しないと――死んじゃうよ」
「結婚しないのは、私の意思だから」
二人だけ物騒なんだよな。
ミツバの言葉が他の二人のせいで霞んで聞こえた。
「返事は?」
不知火が胸倉を掴んできた。
「ほら。言って。10、9、8……」
謎のカウントダウンが始まり、オレは目を閉じる。
疲れて、死にたかった人生から、一気に変な方向へ舵を切った人生。
辿り着いた先は、ハーレムとは名ばかりのものだった。
今後の人生でどうなるか、オレには分からないけど。
オレは、自分の気持ちを素直に伝えた。
「ごめ――」
ドンっ。
腹を思いっきり殴られ、息が詰まる。
角と角の間に顎を挟み、「おぉぉ」と変な声が漏れた。
内臓が絞られる感覚だ。
不知火のパンチで、腹を殴られたせいで、本当に他界しそうだった。
「バーカ。……ん」
顔を持たれ、唇が柔らかい感触に包まれる。
目の前には、瞼を閉じた不知火がいた。
額は角でゴリゴリ擦られ、痛みの中、唇が柔らかくて湿った肉に甘噛みされる。
でも、痛かった。
不知火が顔を離し、歯を見せて笑うのだ。
「幸せにしたげる」
「オレの意見は――んぐっ」
丁重なお断りは、接吻で遮られた。
ミツバは「あーあ」と顔を覗き込んできたし、腕は絵馬にぐいぐいと引っ張られる。
オレの人生は、この先不幸になるのか、それとも無理やり幸せにされるのか。
未知数のままである。
病んだ鬼娘に毎日絡まれる 烏目 ヒツキ @hitsuki333
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