また、後で

 レジ台の前に、田中の姿はなかった。

 空き缶は先ほどよりも散らばっているが、周囲を見回しても人影がない。


 馬頭はコードを引き千切り、絵馬を下ろす。

 多少乱暴な下ろし方ではあったが、足に絡まったコードを解き、オレは手に持ったパンツで顔の血を拭いた。


「馬頭。田中はどこ行った?」

「わかんない」

「……あいつ、何者なんだよ。絶対に後からくるだろ」


 ホラー映画だと、油断させておいて、バンとくる。

 この手法を現実でやられたら、堪ったものではない。


「教えてくれ。ここ、元の世界と違うよな。どこなんだ?」

「真ん中の、世界」

「真ん中?」

「幽世と、常世の、真ん中」


 宗教は違うが、分かりやすく言うと煉獄れんごくみたいなものか。


「田中って、何者だ?」

「新しい閻魔様」

「なんだと?」

「優しくて、いっぱい、お菓子くれる」


 絵馬の事で頭に血が上ったが、田中は田中で、できる上司のようだ。

 馬頭が懐いているということは、絵馬より性格は良いのか。


 そこまで考えて、思わず自分の事を笑ってしまう。

 何で、オレは性格の悪いちびっ子を助けるのか。

 得なんかないのに。

 本当、バカげている。


「田中の事が気がかりだが。まあ、いい。ここから帰る方法知らないか?」


 すると、馬頭は店内の窓を指した。

 窓は何の変哲もない、普通の窓。

 天井近くまである、大きな窓だ。

 店で見慣れているし、特に変わった点はないが、これと帰り道がどう関係あるのか。


 オレには全く分からない。


 もしくは、外に出て、普通に帰れってことか。

 だとしたら、オレは全裸で極寒の地を歩くことになる。


 背筋が凍りつくような恐怖だ。

 もう寒いのは懲り懲りだ。

 冷えた所から暖かい場所に移ると、じわっとした全身が焼けるような感覚を体験する。


 オレが寒さで震えていると、突然、腕の中の絵馬がパッチリと目を覚ました。


 大きく目を見開き、ギョロっとした目でオレを見る。

 一瞬、驚いた拍子に目潰しをかましそうになったが、ぐっと堪えた。


「おじさん……」

「よう。お前が眠ってる間、とんでもないことあったぞ」

「あ、あいつは……?」

「田中か?」


 絵馬が頷く。

 表情には若干怯えが窺えた。


「さあな。馬頭を倒して戻ったら、いなくなってた」


 オレがそう言うと、絵馬はハッと我に返った。

 上体を起こし、辺りを見回す。

 振り返って、馬頭の姿を捉えると、鬼の形相に変わった。


「お、まえぇ~~~~っ!」

「ひいいい!」

「よくも、私を押さえつけたな!」

「ご、ごめんなさい!」


 怯える馬頭に詰め寄ったので、オレは小さな体を抱きしめるように、首に腕を回した。


「ぐええっ!」

「やめろ。そいつとの勝負はもう着いた」

「おじさんが馬頭に勝てるわけないじゃん! ただの人間のくせに!」

「……ふっ。男はな。いざという時、獣に変わるんだよ」


 腕に力を込め、オレは絵馬の首を絞めた。

 細い首を絞めていると、色々な事を思い出す。

 出合い頭に散々イジメられた事。

 その後の悪行。

 極めつけは、こんな辺鄙へんぴな世界に飛ばされ、大男と戦う羽目になったこと。


 様々な事が頭に浮かんで、気がつけば、オレは回した腕に空いた手を重ね、チョークスリーパーをかましていた。


 積年の恨みというやつだ。


「ぐえっ、っごっほっ、えぇぇ……っ!」

「言ったろ、馬頭? オレがイジメる。お前に手出しはさせねえ」

「……おニイヂャン」


 約束は守るものだ。

 一頻り、首を絞めた後、絵馬を解放する。

 奴は激しく咳き込んで、何やらオレに掴みかかってきたが、今のオレは寒さで感覚が鈍っている。


 細い手首を両手で掴み、子供を軽く躾けるつもりで、グリグリと円を描いてやった。


「いい加減、早く出るぞ。寒いんだよ」

「どうして、会う度に全裸なの⁉」

「お前が脱がしたんだろうが!」


 頬を膨らませ、絵馬が乱暴に手を振り解く。


「ふん。もういい。一人で帰る」

「どうやってだよ」

「窓があるじゃん」

「は?」

「鏡。ガラスだったら、すぐに家の窓に繋がるから。不知火に早く愚痴聞いてもらいたいし」


 ガラス?

 それを聞いて、オレはある事に気づいた。

 絵馬や不知火など、超常的な連中がどこを通って現れ、煙のように消えるのか、本当に不思議だった。


 八馬さんや幽体時のミツバだったら、スッと消えるが、こいつらは違う。


 出入口があるのだ。

 それが鏡だという。


 窓に向かって歩く絵馬の肩を掴む。


「待て。オレも行く。ていうか、一緒に戻るぞ」


 上手くいけば、遅刻ギリギリまで眠り、仕事への通勤が楽になるかもしれない。私情で物を考える事により、そのすごさが分かった。


「ごめんなさいは?」

「本当に怒るぞ? お前の事、八馬さんに引き渡してもいいからな?」

「……ぼけ」


 小さな声で悪態を吐き、絵馬が歩き出す。

 こいつは目を覚ましても、この調子だ。

 まあ、生意気な方が怒りやすいし、変にしおらしくなるよりは良い。


 オレは馬頭に別れの挨拶を、と思い、後ろを振り返った。


「じゃあな、馬頭。また、今度会ったら――」


 振り返り際に、何かが肩にぶつかった。

 ストン、と肩に食い込んだ何か。

 見れば、銀色の艶を放っている長い刃。


「もぐっ、困りますって」


 田中がつまみを食べながら、刀を引き抜いていた。

 刀の先はオレの肩に食い込み、さらに深くまで入ってくる。

 傷口がじわじわと熱を持つと、それに伴って痛みが増した。


 頭の中が真っ白になる。

 でも、言葉ではない所で、「ヤバい」とだけは分かった。

 絵馬の肩を掴んでいる手に力を込め、窓の方に押してやる。


「い、行け!」


 ガツン、と頭か何かをぶつける音が聞こえた。


「行け、絵馬!」


 刀を引き抜かれ、オレは窓に寄りかかる。

 すでに絵馬は消えており、姿はなかった。


「ハァ、ハァ、マジかよ。現代で刀傷とか、笑えねえぞ」


 医者になんて説明すりゃいいんだ。

 絶対事件性疑われる。


 悠長なことを考えてる場合ではないのに。

 オレは傷口を押さえて、田中を見上げた。


「知ってます?」

「んぎ、な、何を?」

「あなた方の世界で敷かれている法律は、ほとんどが無意味です。幽世では、9割が無罪放免」


 刀を持ち上げる田中の目は、ゾッとするほど冷たかった。


「無用な争いを起こさず。幽世の循環を乱さなければ、罪に問われることはありません。なぜなら、全部消してしまいますから……」


 シンプルなルールのみ。

 あまりにも酷い場合は、殺して消してしまう。

 何とも物騒だが、あの世での死は、魂の消滅だ。


 どうして、こんなことをオレに言ったのか。

 親切な事に、田中は説明してくれた。


「共謀するのであれば、あなたも同罪です。もう一度、あの世で会いましょう」


 ヒュン。

 風を切る音が聞こえた。

 痛みを堪え、オレは――目を閉じた。

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