異世界にようこそ

失神

 意識が朦朧もうろうとする。

 目を開くと、一瞬どこにいるのか分からなかった。


 片側には床があり、反対側には火花を散らし、点滅する照明。

 下には冷たいコンクリートがあって、上には穴が空いていた。


「……う……や……べ」


 体を起こし、頼りない明かりを使って、体中を見回す。

 特に外傷はなかった。

 座席の背もたれがクッションになったようだ。


「シャレになってねえぞ」


 まさかの事態だ。

 絵馬のせいで電車は横転。

 気を失う前に、窓越しに壁が見えたので、たぶんどこかに突っ込んだと思われる。


 悪戯が済まない。

 ふらついて立ち上がり、オレは一つだけ決心する。


 ――絶対に八馬さんへ引き渡そう。

 ――許されざる悪意は、絶やすべきなのだ。


「おい! 大丈夫か⁉」


 前の車両に声を掛ける。

 返事がないので、足元に気を付けて車両を移動した。

 何せ、乗っていた車両が横転しているので、車内だというのに方向感覚がおかしくなってしまう。


 例えば、車両から別の車両に移動する際、出入り口が高い位置にある。

 大体、オレの胸元から首の辺りか。

 そこが穴の縁になっている。


 幸い、扉は開きっぱなしで、両手でよじ登れば何とか出入口を潜れそうだ。が、上がった矢先に、今度はにあった。


「行けねえじゃん!」


 かなり足場が悪い。

 というか、電車がグネグネと曲がりくねっており、滅茶苦茶になっていた。

 大惨事なんてものじゃない。


「おい! 返事しろ! 動ける奴いるか⁉」


 普段のオレだったら、知らない奴に声を掛けるなんて無理だとばかり思っていた。けれど、人というのは分からないもので、非常事態になると、形振り構ってられなくなる。


 見知らぬ人ではあるけど、心配になってしまうのだ。


「くそ。死んでんじゃねえのか? ……くそ」


 一度、接合部の口から下りて、後ろを振り返る。

 最奥には、メチャクチャになった運転席があった。

 仕切りのガラスは割れていて、機材が火花を散らしている。

 そこに小さい影はなかった。


 諸悪の根源ではあるが、少しだけ心配になる。

 電車の横転に巻き込まれたのは、確実だ。

 もしも、これで無事に済まないなら、あいつはダイナミックな自殺を繰り広げたことになる。


 そうなると、別の意味で心配になった。


「過去に、電車の脱線事故あったな。……くそが。マジかぁ。……こんなにヤベェのか」


 想像してみてほしい。

 天井までの高さが、2m以上あるのだ。

 老人や子供は、まず出ることができない。

 成人女性だって、アスリートでもなければ無理だ。

 オレみたいな運動部でもない男は、無理と言いたくないけど、かなりきつい。


「さ、てと。どう出るか」


 周りを見る。

 座席の端にはポールがある。

 対になって、上にもポール。

 不安定だけど、ここに上がって跳ねるのも手か。


 その前に、運転席の方に歩いて行った。


「絵馬! 怒ってるから出てこい! 絵馬! オレ、今マジでキレてるから。今のオレなら余裕でお前の事虐待できるから。出てこいって!」


 嘘偽りなく、本心を口にして絵馬に声を掛けた。

 当然、返事はないので、仕切りのガラスを叩き、ガラス越しに見える暗幕越しに、小さな影を探す。


「……あぁ? おかしいな」


 車掌は乗っていたはずだ。

 けれど、姿が見えなかった。


「絵馬! 出てこいって! おま――」


 バカなオレは、今さら気づいた。

 運転席に繋がる入口は、扉がある。

 この扉に取っ手がついていた。

 そして、上を見ると、つり革があって、座席端のポールに続いている。


 きついことに変わりはないけど、アスレチックみたいに取っ手とつり革を利用すれば、何とか上に出られそうだ。


 肝心の絵馬だが、運転席の扉が開かない以上、どうやっても入ることができなかった。ふと、絵馬の奴はどうやって、この中に入ったのか疑問が浮かぶ。


 まあ、超常的な存在なので、人間の常識で考える方がおかしいか。


「仕方ねえ。こっから出て、助け呼ぶしかねえか。これだけの脱線事故なら、誰かが通報してると思うけど」


 取っ手に足を掛け、三角跳びの要領で斜め上に見える、つり革に向かってジャンプをする。


「お、らぁ!」


 そして、オレは空気を掴んだ。

 大きく股を開いて、真下に落下。

 頭はちょうどポールの位置に重なった。

 股下には、対になったポール。


「……ぁ」


 勢いよく飛び跳ね、開脚をしていたオレは股間を守る術がなかった。

 全体重が股間の一点に集中し、パンツの中で確かに竿と玉が、むにゅぅっと形を変えていくのが分かる。


「ん”っ!」


 さらに沈んでいく腰。

 どんどん変形する股間。


「ん”ん”ん”ん”ッ!」


 激痛のあまり、オレは鼻水を噴き出した。

 声を失った。

 やり場のない感情が込み上げ、痛みを紛らわせるために、真横にある天井を激しく叩く。


 そして、オレは二度目の失神を迎えた。

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