変身

 一瞬、何が起きたか分からなかった。


 ビリリリリ……ッ!


 絹を裂くような音が、車両中に響き渡る。

 音がいくつも重なった直後、爆竹を破裂させたかのような高い音がこだました。


「…………」


 オレは拳を突き出した姿勢のまま、眼前の男に注目する。

 鉄輪は相変わらずにやけた表情のまま、衣服だけが勢いよく弾け飛んだのである。


 奴だけではない。


 周りの乗客も。

 オレも。

 悲鳴が上がってる事から、前の車両でも同様の事が起きていると推測される。


 結果から言うと、の衣服が全て弾け飛んだ。


「んなああぉぉ!」


 サラリーマンは股間を隠し、息を荒くして周りを見る。

 カップルに至っては、女の方に破けた生地が飛び、顔に張り付いていた。


「……ふむ」


 オレは何も言えず、腰に両手を添える。

 息を吐き出し、天井を見上げ、目を閉じた。


「いやああああ!」

「な、何で服が……」

「どうなってんだよ!」

「さっむ!」


 何も言わずに後ろを振り返ると、絵馬は爛々としたお目目で敵を見据えている。

 オレには見向きもしなかった。


「おい」

「やっちゃえ!」

「おいって」


 久しぶりに、本気でキレている。

 下を見れば、かろうじて残っているパンツ。

 ただ、パンツにも異変が起こっていた。


 ラバー素材のギチギチとした硬い生地に変化しているのだ。

 ブーメラン状のきわどいパンツで、尻や股間を圧迫しているため、窮屈で仕方なかった。


 もう一度、説明しよう。


 本日の気温、-10℃。

 電車内にいる男の衣服だけが、全て弾け飛んで、散り散りになった。

 鉄輪はニヤケ面のまま固まり、微動だにしない。


「……変身……だよな?」

「あのハゲ強いから。気を付けてね! でも、大丈夫。私の呪文で、攻撃が食らわなくなってるから」


 確かに、魔法少女は一度全裸になってから、魔法服に着替えるワンシーンがある。これぐらいは、オレだって知ってる。

 それを男がやると、辺り一面は地獄と化す。


 サラリーマンの男たちは、カバンを抱きしめて嗚咽していた。

 脂ぎったハゲ頭が照明に照らされ、哀愁を漂わせている。


「私が、何をしたって言うんだ……」


 近くに座る男の泣き声を聞き、オレは何も言えなくなった。

 ハッキリ言おう。

 テロである。


 男だけを標的にした、紛うことなきテロ。


「おじさん、いつも全裸じゃん。だから、裸で戦えるように考えたの。衣服に命令呪文を書いたんだよ。ほら。”この主旨に従い、急急に律令の如く行いなさい”、って」


 年端もいかない少女が、おっさんの股間を指して、喜色満面の笑みで説明をなさっていた。


 戦うどころではない。

 寒い。

 震えが止まらない。

 冬ではもう脱ぎたくなかった。

 本気になる前に、オレが死ぬ。


「私、頑張ったよ! おじさんのために、頑張ったよ!」


 車内にいる女性たちは、スマホで警察に電話をしていた。

 言い逃れ様がない。


「や、やったるわ。やったろうやないか、ぼけぇ!」

「くるよ!」


 腰に手を当てて落ち込むオレの腹に、懐かしい感触が再訪した。

 肉を潰し、減り込んでくる感触。

 女の拳とは違って、大きな手が情け容赦なく内臓を圧迫してくる。


「おぼええええええ!」


 一瞬の浮遊感を味わい、運転席の窓に背中をぶつけた。


「おえ、あ、だめだ。あぁー……、ぐるじ、……はぁ、ハァ、……おあああ!」


 腹を殴られて、苦しさのあまり床をタップする。

 絵馬は何と言っただろうか。

 相手の攻撃が食らわないといった。


 ところが鉄輪のパンチをまともに受けたオレは、現在死にかけている。

 正座をして、前に屈むと、パンツの生地がギチギチと音を鳴らした。


「おじさん!」

「おま、……攻撃食らわないって」

「生地は破けないよ! 包丁で刺されても、絶対に壊れない! どんな攻撃だって食らわないんだから!」

「それ、……意味ねえだろ……こはっ……」


 戦いの初動で満身創痍。

 オレは立つことができなかった。


 絵馬の説明では、こう言いたいのだろう。

 パンツだけは大丈夫。

 その部分だけ、加護を受けている。

 それ以外は、大ダメージ。


 つまり、裸になっただけである。


「立てや! 立てぇ!」

「待った。ストップ。ほんとに、無理」


 弱い相手には強気でいけるが、本気で強い相手には逆らえない。

 変身直後にやることは、命乞いだった。

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