天変地異

 住職の車に定員オーバーで乗り、家に無事着いた。

 真っ直ぐにリビングに着くと、ミツバはすでに起きたらしく、ソファに座って腕を組んでいる。


 ソファの前に置かれていたテーブルは端に置き、そこには正座をする絵馬と不知火が座っている。


 二人は顔面蒼白。

 というか、絵馬に至っては死にそうだった。

 何度も「おえっ」と、緊張でえずいている。


「一体、何が……」


 視線を絵馬たちの正面に向けると、思わず握りこぶしを口に当ててしまった。ゴリ松や住職も固まり、唖然としている。


「おかえりなさい」

「や、八馬さん!」


 身長2m30cmの美女であり、絵馬の姉。

 八馬さんその人であった。


 この真冬に白いワンピースを着ており、頭には麦わら帽子。

 雪と同じくらい真っ白な肌。

 黒くて艶のある長い髪は、全体的に切り揃えられており、尻の辺りにまで達している。


 何より、赤い目。

 宝石のように透き通っていて、ワインを光で透かしたかのように美しい。


 あの世で見た時と同じ、八馬さんは微笑を浮かべ、片手に持っていた何かを収納する。

 見れば、それはだった。


「ハァ、ハァ、……おえっ」

「う、牛尾?」

「すいません。と、トイレ、どこっすか?」

「階段の前を横に行けばすぐだ」

「すんません。お、俺たちも……」


 牛尾メンバーは離脱した。

 トイレの扉が開く音が聞こえ、直後に三人分の嘔吐する音が聞こえた。


 ――あとで絶対に掃除してもらおう。絶対に。


 今は、まず八馬さんがいる状況を説明してもらわなくていけない。


「八馬さん。どうしてこんな所に。……ていうか、寒くないんですか?」

「ええ。私、体温がありませんから」


 八馬さんに近づき、露出した腕に触れてみる。

 ひんやりとしていて、まるで死人の様であった。


「ちょっと……っ! ナチュラルにセクハラしないでよ……っ! こっち! こっちにきて!」


 不知火に腕を引かれ、隣に座る。

 座っても相手がメチャクチャ大きいので、首が限界まで曲がって痛かった。


 住職たちはソファに座り、八馬さんと絵馬を交互に見ている。


「それで、今回はどのようなご用件で?」

「ええ。今日は愚妹に用があって来ました。菓子折りの方は、先ほどミツバさんの方に渡しました。お口に合うかは分かりませんが、舌に溶けていくような甘さのお菓子ですので。ぜひ、皆さまでお召し上がってください」


 と、丁寧に述べて一礼すると、八馬さんは刀の鍔に親指を掛けた。


「さて。愚妹の件ですが、そろそろお荷物になってきたのではないか、と思いまして。首を回収しに来ましたわ」

「く、首?」


 絵馬の方を見る。――と、不知火の隣に座っていた小さな影が消えている。ふと、背中に温もりを感じて、後ろを見た。


「……あが、ががが……」


 絵馬がしがみついてきた。

 オレを盾にして、姉に畏怖している。

 そりゃ、もう、見事な怯えっぷりだった。


 ネグレクトされてる子供みたいに震えて、歯をカチカチと鳴らしている。


 このちびっ子動物を差し出すほど、オレは鬼ではない。


「いやぁ、良い子にしてますよ」


 絵馬が頷く。


「あぁ、申し訳ありません。言葉が悪かったようでして、正しく伝わっておりませんでしたね」


 八馬さんは目じりに皺を作り、にっと笑う。


「これから先、あなたの未来には黒い渦が巻くことでしょう。何を隠そう、私の愚妹が地獄と極楽浄土の秩序を乱し、優秀な家臣の首を刎ねただけでは飽き足らず、肝心のでしたので」


 どういう事だろう。

 確認のために絵馬を見ると、大粒の涙をボロボロとこぼし、鼻を啜っている。


「じごど、……じだぐなぐて……」

「おま、……仕事サボってたのか? マジか、お前?」


 何と、余罪が発覚したのである。


「あの、その結果、何が起こるんですか?」

「この世に混乱が起きます。それはもう、


 絵馬の太ももを軽く叩き、「何やってんだよ」という気持ちを込めて、強めにわき腹を抓った。


「幸い、あなた方は愚妹の加護により、護られております。ですが、あなた方の身にも、不可思議な事はすでに起きているはず。例えば――」


 笑みが消えた。


「誰もいないはずの、……とか」

「うわあああああ! お前のせいかよ! あれ、お前のせいか⁉」

「待機している時は物音しませんでしたものね」

「だが、廃墟と言えば、不審者がいてもおかしくない」


 みんなの前に引っ張り出そうとするが、駄々っ子のように、衣服にしがみついて絵馬が離れなかった。


「幽世と常世は鏡合わせです。どちらか一方が崩れるという事はありません。あの世が乱れる時、必ずこちらの世界にも現象が起きます」

「きなさい。ほら。こっちにきなさい!」

「うう! ううう!」

「駄々捏ねないの! お姉ちゃんにごめんなさいは⁉」

「やだああああああ!」


 謝って済む問題ではないが、謝罪は必要だ。


「あの、それって、世界の終末とかになったり、……します?」

「場合によっては」


 絵馬の首に腕を回し、ギリギリと絞めた。

 変なトラブルを頻発させる元凶は、今すぐ断たねばなるまい。


「今、幽世では大勢の部下が忙しなく動いております。収拾には大分時間が掛かるでしょう。そして、私の可愛い部下は、愚妹の首を欲しがっております」


 謀反じゃ……。

 謀反が起きておる。

 いや、元閻魔だから、謀反ではないのか。


 ともあれ、オレには絵馬が信長か何かに見えてきた。

 さしずめ、八馬さんは上司として、絵馬のけじめをつけに来たってところか。


「ふむ。よろしいですかな?」

「どうぞ」

「絵馬さんの首を渡したところで、天変地異の現象は止まるわけではないでしょう?」

「ええ」

「……では、渡す必要はない、のかと」

「仰る通り。愚妹の首を貰った所で、事態の収拾に変化はありません。ですが、収拾するために動いてくれている大勢の部下には、安らぎを与える事ができる。守護として当然の務めですわ」


 くそ。マジでぐうの音が出ない。

 これが絵馬ではなく、脂ぎったハゲのおっさんだったら、「死ね!」と差し出す事だろう。

 見た目だけ可愛い女か。

 もしくはハゲのおっさん。

 本質は、全く同じことだ。


「じゃ、じゃあ、私、おじさんと結婚する!」

「はは。笑えない冗談だ」


 オレ、捕まるぞ?

 お前、オレを牢屋にぶち込みたいのか?


「死婚すれば、わ、私とおじさんは夫婦! 守護大名の膝元から離れられる! 私は無関係になる!」


 つまり、一般人になることで、立場ある人の責任を逃れてやろう、という魂胆だ。虫のいい話だが、絵馬は必死に訴えている。


 オレは思った。

 一般人になったところで、今まであった権力を失うのだから、なおさら殺されやすくなるんじゃないか、と。


 脇の下から頭を出して訴えてくる絵馬。

 これに対し、意を唱える者が二人いた。


「絵馬ちゃん。あの世に逝って」


 ミツバは容赦がない。

 八馬さんそっくりである。


「いえ、結婚するまでもなく、常世で徳を積めばいいのでは? 聞けば、幽世での後始末は八馬様がなさってくれています。ならば、常世で起きる現象を絵馬様の力で食い止め、けじめをつけることができるはずです」


 不知火は感情のない声で淡々と語った。


「おじさん! 私と結婚して!」

「嫌だよ」

「私が死んでもいいの⁉ 子供を見捨てるんだよ⁉」

「お前、子供なのは見た目だけだろ! 余裕で100歳超えてるババアが何言ってんだよ!」


 あと、こいつ元カレとやる事はやってるからな。


「……なるほど」


 八馬さんは絵馬――ではなく、オレを見て言った。


「あなたがどうしても仰るのであれば、早速手を打ちましょうか」

「オレ、何も言ってないですよ。あれ? 聞いてたか? オレ言っていないぜ? 何なら、断ってるぜ?」


 八馬さんは二度拍手をした。

 手と手が打ち合う音は、鼓膜を通り越し、脳の中にまで空気の振動が伝わってくる。


「……正直に申し上げるのなら、いらない妹を捨てることができて、安堵しております」

「お前、お姉ちゃんに嫌われ過ぎじゃない?」

「……ぐずっ」


 ここまで姉妹仲が悪いのも珍しい。

 絵馬に目線をくれて、ソファの前を見ると、八馬さんはもういなくなっていた。


 オレは何だか猛烈に嫌な予感がした。

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