若者の成長
暗い廊下を走り、オレと住職は扉が壊れていない部屋に入った。
扉越しに、『シュコ、シュコ』とナイフの引っ込む音が聞こえる。
「開けてよ。ねえ。おじさん達、どうせ生きてても意味ないでしょ?」
ドン、ドン。
シュコ、シュコ。
力強く扉を叩かれ、オレの隣では牛尾がビクつく。
こいつ、意外とビビりなのだ。
オレよりも大きく、威圧的な顔をしているくせに、本物の恐怖には震えが止まらない。
「ハァ、ハァ、ど、どうするんスか!」
扉を押さえながら、オレは考える。
正直、寒すぎて恐怖で震えているのか、寒くてガチガチ歯が鳴っているのか、分からなかった。
「佐伯さん。私に考えが」
「住職……」
「牛尾さんは、相手に見えていない。ということは――」
一筋の明かりが見えた。
袋のネズミになった現在、どう足掻いても殺人鬼と顔を合わせてしまうだろう。映画だったら、脱出の際に殺されてしまう。
だが、オレの経験している現実は、脱出して殺人鬼に会わなくても凍死する。
どのみち死ぬのだ。
「牛尾。お前は、相手に見えてねえ。オレと住職が惹きつける。その間、後ろに回り込むんだ」
「できねえよ!」
「やるんだよ! お前、何のために脱いでるんだ?」
「それは、アンタが――」
「本気だからだろ?」
言葉を遮ると、「んもぉ、ふぅ、んもぉ」と落ち着きなく、牛尾が慌てふためいた。
「分かるよ。現実は辛いよな。お前の事だから、女引っ掛けようとしても、キッショって言われるんだろ? おまけにまだまだ辛いことが重なって、自暴自棄になってるだけなんだろ?」
「……この人話聞いてくれない……」
「こんな時代だからさ。死ぬほど辛い事はたくさんあるよ。でもな。死ぬのはもったいねえって。いいか? お前の辛さはお前しか分からないよ。でもな。死ぬ勇気があるなら、いっそ周りに迷惑かけてでもいいから、生きてやりたい事をどこまでもやっちまえよ。人間、迷惑掛けてねえ奴なんかいねえよ」
ミシ、と扉から変な音がした。
次の瞬間、扉が内側に膨れ上がった。
「うお⁉」
牛尾を説得している最中、扉が無理やりこじ開けられそうになった。
扉は老朽化が進んでいて、すぐに壊れてしまう。
そのため、強い衝撃が走った際に、穴が空いてしまった。
「さ、佐伯さん」
「ああ。やるしかねえ」
オレと住職は後ろに下がった。
牛尾はガタガタと震えて、扉の陰に隠れている。
バン。
無理やり、扉をこじ開けて、外から入ってきた殺人鬼は、ヘラヘラとした笑みをオレ達に向ける。
「おっさんの解体ショー、はじまり、はじまり」
「野郎……」
視界の端では、牛尾が勇気を出して、殺人鬼の背中に忍び寄ろうとしていた。見えていない殺人鬼は、オレの視線を追って後ろを確認するが、すぐにこっちへ向き直る。
「お前、こんな事していいと思ってんのか⁉」
「別に良くない? 廃墟に忍び込んだおっさんが死ぬって、笑えるじゃん」
「人の命を何だと思ってんだ、この野郎!」
殺人鬼が近づいてくる度に、オレ達は一歩ずつ下がった。
真っ向からやり合えるほど、奴は弱くない。
老朽化が進んでいるとはいえ、扉を蹴り破る脚力を持っている。
オレ達は扉を蹴った瞬間、指の骨を折る自信がある。
殺人鬼が迫る中、牛尾は未だにビクついていた。
ここでせっかちになったらダメだ。
若い子を信じるんだ。
そうだ。相手を信じれない奴は、信用なんかしてもらえるわけがない。
「次は避けんなよ!」
「佐伯さん!」
突き飛ばされたオレは、開きっぱなしの押し入れに顔を突っ込んだ。
顔を突っ込む際、中板に腹をぶつけ、息ができなくなる。
「が、あぁ、……っ」
思ったより大きなダメージを腹に食らい、小さくなって振り向く。
「ハァ、ハァ、……はは、はっはっはっは!」
「む、ぐううっ」
殺人鬼が笑い、手元のナイフをグリグリと回している。
「住職うううううううう!」
殺人鬼がナイフを抜くと、引っ込んだ先端が元の位置に戻る。
そして、一刺し、二刺しと、何度も住職の腹を滅多刺しにしていく。
ナイフを刺す度に、『シュコ、シュコ』と無機質な音が空間に響いた。
「がぁは、……ぁが、……っ」
「牛尾! 押さえろおおおおお!」
オレの言葉に反応し、牛尾は「うあああああ!」と情けない悲鳴を上げながら、殺人鬼に突っ込んだ。
奴からすれば、何かに身体を押されはしたものの、正体が分からないので、頭が混乱する事だろう。
真横に倒れた殺人鬼に覆い被さり、牛尾は両足をバタつかせる。
「いいぞ! そのままだ!」
オレはすぐに駆け寄り、奴が落としたナイフを手に取った。
「どけ!」
牛尾を尻で退かし、馬乗りになったオレは怒りを爆発させ、温かいジャンバーに包まれた腹部にナイフを振り下ろす。
「この! 野郎が! 何が死んでもいいだぁ⁉ ふざけんじゃねえ!」
住職を刺した事への怒りは止まらない。
滅多刺しにして、オレは何度もナイフをシュコシュコさせた。
「殺したいくらい憎い奴なんていっぱいいるよ! 死んでいい人間なんて山ほどいる! でもなぁ! クッソ真面目に歯を食いしばって、一生懸命に生きる人間の邪魔をするんじゃねえ! この野郎!」
オレは最後に顔面へナイフを振り下ろした。
「佐伯さん……っ!」
住職の声が聞こえ、ナイフが止まる。
「そいつは、もう気絶してます」
住職の言う通り、殺人鬼は白目を剥いて気を失っていた。
怒りが止まらないオレは、続いて牛尾に怒鳴ってしまう。
「馬鹿野郎! どうして押さえなかった⁉」
「こ、怖かったんだよ」
「こっちの方が怖ぇよ!」
叫ぶオレの腕を住職が掴む。
「佐伯さん。許してあげましょう」
「だけどよぉ……」
「若い時は、いくらでも失敗すればいいんです。だから、良い大人になるんです。失敗して、怒られて、……ほら」
牛尾が片手で顔を隠し、嗚咽している。
よほど怖かったのだろう。
牛尾のすすり泣く声を聞いていると、途端に怒りがどこかに消えてしまった。
「彼は今日の失敗を忘れない。それでいいでしょう」
「……ああ」
振り返り、「怪我は?」と腹の具合を見せてもらう。
薄暗くて分からないので、住職の腹を擦る。
脂でぬるぬるとするが、穴は空いていない。
「オモチャのナイフでよかった」
「ええ。ですが、一歩間違えれば死んでしまう。こうして生きていられるのは、私たちが本気で立ち向かった成果でしょう」
腹を押さえて立ち上がった住職は、殺人鬼の頭の所に立つ。
「それに、……命の水ならぬ、命の羽衣を手に入れる事ができました」
殺人鬼の着ているジャンバー。長袖。ズボン。
パンツを除く全てをオレ達は奪うつもりだ。
こいつは、今まで無垢な命を奪ってきたのだ。
服を奪われるくらいは、どうってことないだろう。
「ところで、オレ達の服って、……どこいったんだ?」
「さあ。とりあえず、服を脱がせて戻りましょう」
「おし」
オレはまだ泣いている牛尾の肩を叩いた。
「ほら。泣くのやめろ」
「ふぐっ、ぐじゅ、げほっ、こほっ。……ずず」
「一緒に脱がすぞ」
牛尾は黙って頷いた。
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