殺人鬼

 旅館の入口には、上へと続く階段がある。

 廃墟に行ったことがある人は、大方想像がつくと思われる。


 入口の傍を離れた途端、廃墟は別世界へと様変わりするのだ。

 天井に開いた穴からは、赤色や白色のコードが垂れており、見た感じ穴なんて空いていない場所から隙間風がやってくる。


 二階廊下の奥は、真っ暗。

 明かりはなく、窓があっても、窓の向こうは山になっているので日光は差し込まない。


 廊下の両脇に並ぶ客室は、全てが開放されている。

 奥に向かって続く闇に目を凝らしていると、稀に視界の端から白いものが過ったり、女の苦しげな声が聞こえた。


 それに混じり、獣が唸るような低い声と、木の軋む音が空間に小さくこだまするのだ。


「ふ、ぐぐ……、ぎぎぎ……」


 オレだった。


「ふんんん、ふんんん」


 ゴリ松は鼻息を荒くして震え、


「お、っほぉぉぉぉぉ……」


 住職は隙間風で昇天間近。


「わぁ、こえー……。やべー……」

「早く、牛尾の姉ちゃん来ねえかなぁ」


 牛尾たちは、鬼のくせに幽霊が出ないかビビっている。

 一方で、オレ達は幽霊なんて見慣れているし、本当にどうでもいいので、肘を擦りながらグイグイ進む。


 どのくらいまで来ただろうか。

 廊下の真ん中辺りにきて、牛尾が「うお」と、声を上げた。


「んだよ」

「いや、誰かいるっぽいっス」


 牛尾はとある客室の前で立ち止まる。

 中を指すと、ビクビクしながら住職の後ろに隠れた。


 立ち止まった客間は、204号室。

 普通はこういった宿泊施設は、不吉だって言う理由で『4』や『9』の付く数字は使わないはず。


 そういった客への配慮を無視しているのが、何だか田舎の旅館らしいといえば、らしい。


 牛尾の代わりにオレが客室を覗くことになった。

 入口は扉が壊れていた。

 破片を踏まないよう、慎重に足を踏み入れ、奥を覗く。


 客室は入口に靴を脱ぐスペースがある。

 すぐ目の前には襖があったようだが、現在はこれも壊れており、中に倒れている。


 12畳半ほどの広さをした、簡素な造り。

 畳は腐っていて、客室の中はかび臭かった。

 薄暗い室内は、窓があることで、かろうじて闇が透けている。

 そのため、窓際の周囲は物の輪郭が少しだけ見えた。


 窓の傍には、確かに牛尾の言う通り黒い影が見えた。


 黒いアノラックを着て、フードを被った誰か。

 敢えて、声は掛けずに少しだけ近づいてみる。


 シャコ……シャコ……シャコ……。


 変な音がした。

 何をしているんだ、と思ったオレは、よく耳を澄ませる。


 音に集中すると、『シュッ』と素早く何かが飛び出たような音がした。

 その後に、『コツ』と軽く小突くような音。


 ――なんか、様子がおかしいな。


 オレが何も言わずに見ていると、奴は気配を察したのか、鼻から息を吸い込み、こっちを振り向いた。


「……あー……。誰?」

「テメェが誰だよ、この野郎」


 極限状態は尚も続いているので、オレの口は悪い。


「まあ、いいや。猫、知らない?」


 奴は、ぬぼーっとした顔だった。

 イモっぽいというか。

 目が細くて、頬コケのある、暗い雰囲気の男だ。


 もっと分かりやすく言えば、絶対に犯罪をやるような人相。


「猫?」

「逃げられちゃったんだよね」


 男が立ち上がり、手に持った物をプラプラとさせる。

 外から差し込む弱い明かりで、かろうじて持っている物の正体が分かった。


 ナイフだ。


 先端が丸くて、刃の部分まで妙に丸みのある、銀色のナイフ。

 よく見れば、男の顔は血だらけ。

 額や鼻、頬まで、何かに引っ掻かれたような傷痕がある。


「リョウ。下がった方がいい。そいつ、ナイフ持ってるぞ」

「分かってる」


 緊張の糸が張り詰め、オレはゆっくりと後ろに下がっていく。

 男はヘラヘラと笑い、こっちに近づいてきた。


「あーあ、猫に逃げられちゃったし。どうしよっかな」

「……こいつ、やべぇ。目がイッちまってる」


 危ない空気を感じ取り、さらに後退する。

 踵はささくれ立った扉を踏み、多少の痛みがあった。

 しかし、痛みのおかげで、固まった体が動いてくれる。


「この際、人間でもいいかな、って」

「リョウ! どけ!」


 ゴリ松の声が聞こえ、オレは脇にずれた。

 ふと、横を見ると、大きな影が過る。


 牛尾だった。


 ゴリ松と住職に羽交い絞めにされ、この場を切り抜けるために武器として使われたのだろう。


 驚愕の表情を浮かべた牛尾は、「何で⁉」と言いたげに、男へ突っ込んでいった。

 ゴリ松達に反応し、男が動く。

 手に持ったナイフを突き出すと、鈍い音が聞こえた。


 シャコ、という音に混じり、『メコッ』、という変な音が鳴ったのだ。


「ハァ、ハァ、……嘘だろ」


 オレ達は震えた。

 牛尾は腹を押さえて、徐々に崩れていく。


「あ、……あぁ……くはっ」

「牛尾!」


 ゴリ松は牛尾の上体を起こし、傷口を確認する。


「さ、刺されたのか⁉」

「しっかりしろ!」


 腹部を押さえた手をずらし、患部を見ると、白い肌が少しだけ変色しているように見えた。――穴は空いていない。血も出ていない。


「あれ? 何だ? 今の」


 そして、ナイフを持った男が戸惑っていた。

 ナイフの先端を見つめ、目の前をジッと見てくる。

 この反応で、オレは目の前のこいつが何なのか分かった。


「こいつ、……生きてる人間だぞ」


 普通は、霊感なんてない。

 住職は職業柄、霊魂を扱う。

 ゴリ松はオレと同じで、死者とか、あの世の者と接することが多いせいか、強制的に霊感が上がってるだけだ。


 だが、目の前のこいつは違う。


 霊感がないから、そもそものだ。


 牛尾を無理やり立たせたオレ達は、すぐに部屋を出た。

 ゴリ松が震えた声で言った。


「それだけじゃねえ。あいつの持ってるもの。百均のナイフだ」

「ナイフは、見れば分かるって」

「そうじゃねえ。子供が使う、ジョークグッズあるだろ?」


 オモチャのナイフ。

 百均で売ってる物で、銀色のナイフ部分と黒いグリップの見た目をしたオモチャのことだ。刺すと、ナイフの部分が引っ込むようになっており、柄の部分に隠れてしまう。


 オモチャだから、刺さりはしないし、切れもしない。

 では、なぜ男がそれを買ったのか。


 オレはすぐに気づいた。

 オモチャならば、凶器として怪しまれない。

 安価に買えてしまう。


 気が付けば、オレの額からは冷たい汗が落ちてきた。

 オモチャではあるが、人は死ぬ。

 殺せてしまうんだ。


 現に牛尾は腹を刺され、苦しみ悶えている。

 当たり所が悪ければ、致命傷となる。


「……くそ」

「マズいですね。相手が凶器を持っている以上、死人が出ますよ」


 奴は、イモ顔に狂気を宿し、こっちへ向かってきた。


「逃げるぞ!」


 オレ達は二手に分かれて、すぐに逃げた。


 ゴリ松と牛尾の友達二人。

 オレと住職、牛尾の三人。


 人知れず残っていた廃墟には、殺人鬼が潜んでいたのだった。

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