窮地

 車が20台は停まれるであろう、旅館前の駐車場。

 昔は、送迎バスなどが行き来していたこともあり、広いスペースがあった。


 今では除雪車が通ったこともあり、廃旅館前は向こうの道路が見えないくらいの高さまで、雪が積まれている。


 そして、駐車場は白一色の世界。

 雪はちょうど膝にまで積もっており、空からは未だに強風と共に大粒の雪が降り注いでいる。


「ハァ、あはぁ! ああああ! あああああ!」


 牛尾は顔面を左右に振り、絶叫した。

 足は雪の冷たさで冷え切り、体全体は極寒の中に吹く強風で冷却される。


 もっと分かりやすく言おう。

 オレ達は――死に掛けていた。


「あ”あ”あ”あ”!」


 断末魔の叫び声が廃旅館前に響き渡る。

 今の悲鳴は誰だ?

 オレだった。


 一人の女のために、譲らないものは一歩も譲らない。

 熱い血潮に従い、社会の風紀を乱す輩と対峙したオレは、牛尾に真正面からしがみつき、尻たぶを両手で握りしめ、極寒の中相撲を取っている。


 ゴリ松達も同じだ。

 住職に至っては、白目を剥いて念仏を唱え始めている。


 もう、訳が分からなかった。


「ざむ”い”よ”!」

「え”っ⁉」

「ざむ”い”!」

「ぎごえ”ね”ぇ”よ”!」


 生まれたての小鹿が二匹いるかのようであった。

 震えながら互いに力み、なぜか尻たぶを両側に開いて、菊門を冷却するという謎の行動まで取る始末。


 オレが何をしたいかと言えば、端的に牛尾をボコボコにして、二度とミツバに近寄らないようにしたいだけだ。

 そのために、今相撲を取り、分からせている。


 しかし、オレ達は余すことなく、全員が大自然に分からされていた。


「ふぅ! ふぅ! お、お前がァ、悪いんだァ!」


 怒りを思い出し、後ろを思いっきり突き飛ばす。

 だが、こいつはオレの尻たぶを離さないために、一緒に雪の上へ倒れ込んでしまう。


 オレが押し倒す形で雪に倒れると、瞬間的な冷却が全身を包み込んだ。


「ほあああああああ⁉」

「ほぅ! ほぅ! ほぅ!」


 殺虫剤を掛けられたゴキブリが如く、オレ達は雪の中で手足をバタつかせた。


 ――何が、起きた?

 ――オレ達は、どうしてこんなことをしている。


 様々な疑問が浮き上がっては消えていく。

 というか、考える暇がなかった。


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! 死ぬ!」


 牛尾は我慢できずに旅館の中へ駆け出す。

 無防備な後ろ姿を放っておくほど、オレは優しくない。


「待てよ!」

「うおおお! 姉ちゃん! 全裸のおっさんが襲ってくる!」


 不知火はずっと苦い顔をしている。

 当たり前だ。

 暴力というのは、女が忌み嫌うもの。

 目の当たりにすれば、目を背けたくなるのは当然の事だった。


 だから、古来より男というのは、女を安全な場所に置かせて、男同士で決着をつけるやり方をしてきたのだ。


 だというのに、今時の若者牛尾は女を戦場に巻き込もうとする。

 つくづく、人間として、男として、見過ごせない憎たらしさがあった。


「おい、牛尾! 聞けぇ!」

「なんだよ!」

「てめぇ、オレの家に来ただけじゃなくて、オレの大事な人にまでちょっかい掛けてんじゃねえぞ!」

「は⁉ なに⁉ 何の事⁉」

「とぼけんじゃねええ!」


 無理やり仰向けにすると、オレは手の平いっぱいに雪をかき集め、牛尾の顔に押し付けた。


「んぶえええええ!」


 豚のように悲鳴を上げ、牛尾がバタつく。


「おおおおおお! 手がい、ってえええええ!」


 腹の底から悲鳴を上げたオレは、猫パンチで牛尾の顔面を叩いた。

 しかし、オレが捉えたのは、全て柔らかい雪だった。

 闇雲にパンチをし続けると、どんどん牛尾の顔が雪に埋もれていき、どこが顔面なのか分からなくなっていく。


 オレが決死の攻防を繰り広げる中、周りからはゴリ松達の声が聞こえた。


「早く中に入りましょうよ!」

「甘えたこと言ってんじゃねえ! 最近の若いバカはよぉ! すぐに逃げようとしやがる!」

「いや、死にますって!」

「うるせぇ! こっちは冷蔵庫みたいな所に、ずっといたんだぞ! お前らより長い事、全裸で冷却され続けてきたんだ!」


 牛尾の仲間が短い悲鳴を上げた。

 積もった雪が飛び散り、もふもふと奇妙な音が鳴り始める。

 向こうではゴリ松が優勢のようだ。


「ハゲぇ! ちょ、背中冷たいんだって!」

「ほう。風に当たってる私の方が冷たいのですよ?」

「んもおおおお! 何なんだよ、こいつ!」


 住職に至っては、すでに馬乗り状態。

 きっと、冷え切った股間を相手の腹で温めているのだ。

 今のオレ達にとって、全ての熱は命の灯火ともしび

 僅かな体温を逃してはいけない。


「牛尾ぉ!」

「はい!」


 すでに降参している牛尾は、オレに敬語で話すようになった。

 だが、生温い。

 若いのは、徹底して叩き、こいつが二度と過ちを犯さないよう、愛を持って教えなくてはいけない。


 冷たい髪の毛を掴み、額と額を擦り合わせる。


「いいか? 次に女をバカにするようなことしてみろ」

「ば、バカになんか、してな……。俺は、遊ぼうと……」

「うるせぇ! 言い訳すんじゃねえ!」


 頬を掴み、さりげなく両手を温めたオレは、震えながら叫んだ。


「次にクソみたいな迷惑を掛けたらよぉ! こっちはすぐに自殺して、てめぇの家によぉ! 押しかけてやるからなぁ! この野郎。脅しだと思うか? ええ⁉ 本気で乗り込んでやるからな! ――全裸でよぉ!」


 全裸。――それは、男が本気を示すときのユニフォーム。

 牛尾は唇を震わせ、「母ちゃんに、……怒られる」と恐怖した。


「分かったかって!」

「はい! 分かりました!」


 少しの間、牛尾の目を真っ向から睨む。

 続けて、牛尾は「……分かりました」ともう一度返事をした。


 その言葉を聞いたオレは、我慢できずに仲間へ声を掛ける。


「敵を討ち取った! 早く避難しろ!」


 オレの合図を皮切りに、ゴリ松と住職は目を見開く。

 オレ達三人は、敵を放っておき、建物の中に向かって一気に走り出した。


 限界だった。

 体が、麻痺してきている。

 股間の感覚がなくなるという、前代未聞の現象が起きていた。


「うおおおおおお!」

「ぎゃあああ! さっみ! やべええ!」

「ん”ん”ん”ん”!」


 苦い顔のまま、不知火が扉を開けてくれる。

 オレ達は何かの破片を踏みしめ、中に入って身を丸めた。

 自分の腕を擦り、両手に吐息を掛け、とにかく体温を戻そうと必死になった。


 牛尾たちは、覚束ない足取りで後から中に入ってくる。


「不知火! 服! 服を!」

「カウンターに置いてる」

「急げ!」


 ゴリ松がドタドタと慌ただしく受付カウンターの場所に走る。

 辺りをキョロキョロしてから、「どこだよ!」と声を荒げた。


「カウンターの上に置いてるって」

「え⁉ ないぞ⁉」

「姉ちゃん。俺たちの服は?」

「全部、カウンターに置いてる」


 不知火が嫌そうに答えた。


 ゴリ松と一緒に、オレと住職はカウンターの裏や手前に目を凝らした。

 粗大ゴミは散乱しているが、まとめて置いていたであろう服は、どこにもない。


「……な、ないぞ?」

「えぇー?」


 不知火は自分が置いた場所を見た後、「落ちてんじゃないの?」とカウンターの裏を覗いた。


 すると、首を傾げ、「あれ?」とオレ達に振り向く。


「……ない……ね」

「え? ちょ、待て。なに? ないの?」

「ない、です」


 不知火は前で手を組む。

 顔だけを動かし、周りをキョロキョロと見ているが、どこにも見当たらないらしく、また首を傾げた。


「おおおおおおおおおおい!」


 オレ達は窮地きゅうちに立たされるのであった。 

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