天変地異

牛尾

 散歩から帰ると、オレは玄関の前で足を止めた。


 玄関先には見知らぬ男がいた。

 男の正面には、不知火と絵馬がいる。


「いいから帰りなよ。殺すよ。また折ってあげよっか? ねえ。黙ってたら、分からないんだけど」


 額には青筋がいくつも浮かび、不知火は真顔で鉈を取り出した。

 それに対し、目の前のひょろ長い体型の男は、懐から何かを取り出す。


「姉ちゃんがさぁ。黙って金出しゃ、こんな所まで来ねえよ」


 ビュン。

 風を切って、撓らせた茶色の棒。


 ――ゴボウだ。


 オレは後ろにいるミツバを庇うように立ち、男の頭を睨んだ。

 耳に大きなピアスをしており、チャラチャラとした男。

 不知火がこっちを見たことで、視線を追って振り向いた。


 サングラスを掛けた、チャラ男だった。


「あれぇ? お友達ぃ?」


 でけぇ。

 ミツバより小さく、オレよりデカい。


 男の軽薄な雰囲気に当てられ、オレは過去の出来事がフラッシュバックする。

 脳裏に浮かぶのは、初めて殺した男。

 牧野だ。


 奴の顔が浮かんだのには、理由がある。

 チャラチャラした男というのは、確実に悪さをする。

 これはオレの主観による、独断と偏見だ。


 サングラスをずらし、オレを見た後に、後ろのミツバを見た。


「……ふ~ん」


 不快な視線だった。


牛尾うしお。帰りな」

「どうしよっかなぁ」


 ゴボウを振り回し、牛尾と呼ばれた男は考えている。


「不知火さん。こいつ、誰?」

「弟。追ってきたみたい」


 いや、そもそも、現世とあの世を自由に行き来してる時点で、オレにとっては大迷惑なのだけど。

 最早、そんなことはどうでもいい。

 牛尾の舐め回すような視線が後ろのミツバに向けられる。


 オレはジャンバーに手を掛け、脱ぐ準備をした。


「お姉さん。今、暇? 俺と遊ぼうよ」


 オレは深呼吸をした。

 喧嘩なんて、ろくにしたことがない。

 世間では腕力は必要ない時代だと言われているが、絶対に間違っている。こういった軽薄な輩がいる限り、守れるだけの力は必要だ。


 弱いなりに覚悟を決め、オレは牛尾の前に立つ。


「……誰?」

「この家の持ち主」

「あ、そ。で?」

「今日の所は、引き取ってくれないか」


 こいつと話していると、オレの頭の中には、ある言葉が浮かぶ。


 ――寝取り。


 恐怖による冷や汗を流しながら、オレは牛尾の顔を睨んだ。

 牧野なんて比べ物にならない。

 緊迫した重圧の中、牛尾は鼻から息を吐き出し、「また来るわ」と、脇を通り過ぎていく。


 奴の背中を追いかけると、丁度ミツバが道を譲るところだった。


「うぇい」


 ペシンっ。


「は?」


 牛尾が――ゴボウでミツバの尻を叩いたのだ。

 ミツバは眉間に皺を寄せて、険しい顔つきになる。


「お、……まえ」


 オレの声は震えた。


「次に来るまで、金用意しとけよ。ブス」


 牛尾がヘラヘラと笑い、雪道を歩き去っていく。

 気が付けば、オレは拳を硬く握りしめた。

 耳鳴りがして、頭の中は真っ白。


 呼吸が乱れ、周りの音が聞こえなくなっていく。

 あの世で経験した、全ての恐怖が蘇ってしまったのだ。


「ミツバ……。ミツバ!」


 すぐに駆け寄り、オレはミツバの後ろに回り込んだ。

 防寒ズボン越しに、ミツバの尻を触り、生地に付いた土を払う。


「ハァ……ハァ……、み……つば……」

「あの。リョウ。ゴボウで叩いただけよ? イラつくけど。あいつ、そこまでの事、してないんだけどぉ……」


 ミツバは立ち尽くしていた。

 当たり前だ。

 ゴボウで尻を叩かれたら、誰だってショックを受けるに決まっている。


 牛尾がやった行為は、無差別に唇を奪う行為に等しい。

 オレは震える手で、ミツバの尻を擦り、「痛いの痛いの飛んでいけ」と唱えた。


「あの、野郎……」


 奴が消えた先を睨む。

 あの世との繋がりがある以上、オレは世界に許してもらえないのだ。


 牛尾は不知火に用があって来たとのことだが、オレは不知火を叱りはしない。というか、一時休戦を持ち込む予定だ。


 相手は鬼。

 勝てば官軍。

 負ければ、――寝取りだ。


「いつまで触ってんの」


 ゴツっ。

 頭を小突かれるが、オレは動じず、ミツバの尻を撫で続けた。

 きっと、不安になっているから、機嫌が悪いのだ。


 オレは「守れなくてゴメン」と、ミツバの尻に抱き着いた。


 この後、強めに殴られるが、気にするほどの事ではない。

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