好み

 次の日は、休みだ。


 朝は起床ラッパの音が家の廊下にまで響き、まずはミツバが起床。

 起こす順番は決まってる。


 まずは、オレ。


「起きなって」

「んぅ、昨日酒飲んだから、……無理ぃ」

「首絞めるよ」

「……あー……、ねむ」


 こんな調子で起こされ、眠い目を擦り、ミツバと一緒に階下へ行く。

 時刻は朝の6時。

 昨日寝てから、2時間40分程度しか経っていない。

 ミツバは水のように酒を飲んだのに、キリっとしていた。


 次に起こすのは、絵馬だ。

 実は、不知火の方は起床ラッパの方で、すでに起きてるらしく、ぬぼーっとした顔で洗面台に向かい、歯を磨く。


 絵馬だけは天使の寝顔ですやすやと寝ているので、ミツバが「起きてね」と、わき腹を抓る。これで起きない場合は、鼻と口を塞ぎ、「ぶへぁ!」と強制的に起こす。


 オレと絵馬は二人で風呂場に向かい、洗面台で歯を磨くのだ。


「健康も度が過ぎると、不健康だぜ」

「んー……」


 歯を磨いている間、オレは目を閉じてる。

 重くて開かない。


「オレら、……自衛隊じゃないんだけどなぁ」


 死にそう。

 絵馬の頭に肘を掛け、口を濯ぐ。


 ずっと一緒に生活していると不思議なもので、相手への印象や気持ちが左右してしまう。


 絵馬なんて、第一印象は最悪。

 わがままの限りを尽くして、姉にしごかれたというのに。

 いざ、一緒に暮らしてみると、割かしオレと感性が似てるのか、あまり嫌ではなくなった。


 ミツバは――キツい。

 大好きなんだけど。本当にキツい。

 まず、逆らえないし、やってる事は真っ当と言えば真っ当な事ばかりなので、口喧嘩になったら勝てない。


 不知火は謎。

 結局、復讐できたのか。別の目的できたのか。

 分からなくなってしまった。

 一つ言えるのは、あいつが猟奇的な女だってのは、何も変わらない。


「んべぇ」

「ぺっ」


 一緒にシンクへ水を吐き出し、ふらつきながらリビングへ戻る。

 ここで少し休憩をしてから、ジャージとジャンバーに着替える。

 オレは病気で、ミツバはリハビリのため、運動が必要なのだ。


 絵馬の寝ていた温い布団に足を突っ込み、欠伸をしていると、畳まれた衣服を目の前に投げられる。


「行くよ」

「……おう」


 今更、こいつらに脱ぐ所を見せたって、何も感じない。

 なぜなら、オレはあの世で常に全裸だったからだ。


 着替えが終わると、玄関先で不知火が「あなた」と、謎にグレードアップしてる呼び名で止めてくる。


「ん」


 ぶすっ。


「ほあ⁉」


 不知火は目を閉じて、唇を近づけてきた。が、先に角が目の下に当たり、痛みで意識が覚醒していく。


「いってらっしゃい」

「い、ってぇ……」


 なんだ、あれ?

 新手の嫌がらせか?


 頬を押さえ、今度こそ家を出た。


 東北の冬は厳しい。

 北海道ほどではない。

 たぶん、言葉で伝えたところで、何も分かっては貰えないと思う。

 なので、具体的に何が厳しいか、というと。


「うおおぉ、肌がいてぇ!」


 寒さは、一定の温度を下回ると、「寒い」ではなく、「痛い」に変わる。息を吸うと、歯の隙間が冷えて、噛み合わせる感触が変になる。

 耳から下は、隙間なく着込んでいないと、本当に感覚がなくなってくる。


 一歩前に進むと、そこまで雪が積もっていないのに、滑りそうになる。

 雪の下は、ツルツルのアスファルトがあり、歩くだけで汗だくになる。

 というのも、前に足を動かしながら、同時にバランス感覚まで鍛えられるからだ。


「ミツバ。気を付けろよ」

「アンタが気を付けなさいよ」


 ミツバは両腕を少し広げ、悪路を踏みしめていく。

 オレは後ろに続いて、しんしんと降ってくる雪の中を歩いていった。


「アンタね。こんなのまだいい方よ」

「北海道はどんな感じ?」

「死ぬ」

「うっそだろ」

「本当に死ぬんだって。場所によっては、全部真っ白だから、目印がない。方角も分からなくなる。しかも、酷い時は太ももまでくるし、家屋より高い所まで雪が積もってる所もある」


 人間の住むところじゃねえよ。

 地獄じゃねえか。


「走るマシン持ってきてたじゃん」

「あれは、雨降ったときに使うの」

「でもさぁ。冬に外歩くの、本当にきついんだけど。オレ、太ももパンパンだよ」

「だから、いいの。夏は汗を掻けるし、冬は足腰の筋トレ。丁度いいから」


 路肩に積もった雪を踏み抜いて、ミツバが振り向く。


「リョウ」

「あいよ」


 すぐ傍に立ち、ミツバを見上げた。


「……昨日のこと、覚えてる?」

「むしろ、あれで覚えてんの? お前、かなり飲んでたぞ?」


 できれば、忘れていてほしかったのだが。


「悪い事は言わないから。他の男にしておけって。経済力ない男と一緒になったら、おま、ダメだよ」


 すると、ミツバが頭を軽く叩いてきた。


「誰でもいいわけじゃないって」

「……いや、でもさ」

「私、ダメ男が好きみたい。うん。前旦那と籍入れて、たまに考えるんだけど。ダメ男が良いんだよね。あと、アンタ弱いじゃん。DVとかされる心配がないし」


 肩に落ちた雪を払い、


「……それに。アンタ、必死に助けてくれたじゃん」


 本来なら、ドキドキとする場面なんだろう。

 妙に落ち着いているのは、オレがおっさんになって、甘酸っぱいものを感じる心が鈍ってしまったからか。


 つくづく、色恋とは分からないものだ。

 アニメや映画で見かけるような、単純な心の動きなら読めるのだろうけど。現実なんて、バカなところや儘ならないところなど、予測不可能な点が多いから、困惑してしまう。


「行くよ」


 ミツバに手を引かれ、再び歩き出す。

 ふと、後ろを振り向くと、少し離れた場所に家があった。

 気のせいか、リビングの窓に不知火が立っているように見えた。

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