大胆

「マジかよ」


 食卓の上に置かれているのは、日本酒の鬼殺し。

 そして、ウイスキー4Lのボトルが二つ。


 ミツバが適当にお惣菜を買ってくれたおかげで、今日はちょっとしたご馳走を食べられる。絵馬なんて、特に食べるのが好きだから、肉類ばかり食べていた。


 ミツバとオレは、鶏のささ身。

 ミツバは筋肉作りのために食べるし、オレは糖があるので、脂肪が増えない肉となっている。


 卵やら鮭やら。

 まあ、普段口にしない食べ物が、勢ぞろいなのだ。


「こら。ダメだって」


 絵馬がウイスキーを呑もうと、ボトルに触る。

 その手をミツバがしっかり叩き落として、叱っていた。


「うぇ⁉ 私、大人だよ!」

「10年早いよ」

「100歳は越してるよ!」


 冷蔵庫に行くと、下の段に冷やしていたオレンジジュースを持ってくる。他にも、お菓子類をたんまり買ってきたので、「何なの」とぶつくさ言いながら、絵馬はポテトを頬張る。


 険しい顔が徐々に和らいでいき、自分だけソファに座って、テレビを点けた。


 そして、オレはすでに空になったボトルの一つを持ち、ちゃんと残っていないか確認する。

 視線はボトルから、不知火に移る。


「ふん。まあまあ美味しいわ」


 不知火は、酒豪だった。

 飲み始めてから、まだ一時間も経ってない。

 頬と首筋が若干赤らむだけで、酔ってる気配がない。


 ミツバは日本酒の方を頂き、「ん。美味し」と唇を舐める。


 オレは二人に対して、性的な何かを感じる事はないけど。

 酔えば人は無防備になっていくので、ちゃんと断って、寝かしつけるまでのマニュアルを今の内に頭で組んでおく。


「リョウも吞みなさいよ」

「や、オレ、び、ビールの方が……」


 何で買ってねえんだよ。

 買い出しの時に、買ってくれって頼んだのに。


「あーあ、情けない。雑魚過ぎ」


 トクトクトク……。

 ジョッキになみなみと注がれていく酒。

 ウイスキーのアルコール度数を確認すると、数字は50%と書いている。


 オレは言うほど酒が得意ではないし、絶対に吐く自信があった。


「す、ストレートか。マジか」

「男ならこれくらい呑みなさい」


 酒が入ったことで、不知火は以前の面影が出てきた。

 酔ってる気配はないのだが、気分が上がってきたのかもしれない。

 袖を捲って、ウイスキーをジョッキで吞む様は、見ていて怖くなるほどだ。人間だったら、急性アルコール中毒まっしぐらである。


 ――鬼殺しって、鬼……殺せないのか……?


 パッケージに鬼殺しって書いてるのに。

 むしろ、鬼の酒が進むとは、これ如何に。


「っぱ、はぁ。……はぁ~~~っ。久しぶりに呑むわ」

「うん。そうね。久しぶりなんだね」

「家だと、弟がうるさくて。吞めないのよ」

「……弟?」


 こいつに弟がいるのは、初耳だ。

 というか、不知火のパーソナル情報をほとんど何も知らない。


「そ。男だから、キモイじゃない?」

「……ふふ。いいぞ。そうだ。オレの殺意を高めてくれ」


 ずっと調子を狂わされてきたから、いい加減気分が悪かったのだ。


「女遊びが激しくて。チャラチャラして、ぶっさいくなの」

「へえ」


 身の上話を聞くのは、もしかしたら初めてかもしれない。


「両親だけでなく、私にまで金せびってくるから。嫌になってね。、逃げてきたわ」

「ん? 色々言いたい事はあるけど。何それ。いつのこと?」

「こっちに来る前よ。男のくせに、しつこいから」

「……なんか、オレの周りの女の子。チャラい奴としか縁がない人ばかりなんだけど」


 猛烈に嫌な予感がするし、改めて気づいた事実に嫌気が差してきた。


「まあ、チャラチャラしてるのは、……嫌だよねぇ」


 ミツバも同調。


「元旦那はどうなったの?」

「実刑判決食らったよ。しばらくは出てこれない」


 チャラいってだけで、処刑にできる法律で作ってくれないかな。

 本気でそれを考えた。


 ミツバは日本酒を普通のコップで、ぐいぐいと飲んでいく。


「私もさ。大概、尻軽かもだけど。今度はマシな旦那と籍入れたくてねぇ」

「へえ」


 不思議と嫉妬はなかった。

 あの世に行く前。――ミツバの事を大分忘れてはいたけど、幸せになってほしいと純粋に願っていた。


 恋心を殺すためか、自分でも分からないけど。

 いつからか、考えないようになっていた。


 オレはミツバと結婚する気はないし、恋人になる気もない。

 オレには幸せにできないからだ。

 潔く自分の気持ちを固めているオレは、ミツバの事を素直に応援する。


「頑張ってよ。ミツバなら、何だってできるし。旦那になる人喜ぶでしょ」

「そう思う?」

「うん」


 心から頷く。――と、手を握られた。


「アンタは? いい子いないの?」

「いるわけないでしょ」


 久しぶりに触ったミツバの手。


 ――ッッッッッた!


 手の平の肉は分厚く、表面が硬かった。

 女の手とは思えない逞しさが、手一つに表れている。

 さすが自衛隊。

 後から知ったけど、第七師団って、泣く子も黙るほど厳しい場所らしい。

 そこで耐え抜いた肉体は、お見事だった。


 改めて、ミツバの手の感触に戦慄したオレの手首を別の手が掴んできた。


「あの。ウチの旦那に手出さないでもらえます?」

「リョウはフリーだけど?」

「えぇ? あっは。バッカじゃないの? ねえ。あんたも言ってやんなさいよ。私たちの関係。あんたに譲ってあげるわ。ほら。言いなさい」

「……まあ、交際してる子はいないけどさ」


 ゴスッ。

 脛を蹴られ、手に持ったジョッキをテーブルに置く。


「い、……っつぅ……」

「素直になってよ! こういう時に素直になってくれなきゃ、女の子は冷めるわよ⁉」


 初めに言っておく。

 オレは、ミツバが大好きだ。

 この気持ちは、ずっっっっっと変わってない。

 一貫してる。


「そういうお前こそ。あの世に良い男の一人や二人いるだろ」

「それを見つける前に、アンタの私の気持ちどう考えてんのよ!」


 不知火の絶叫がこだました。


「お稲荷さんだけじゃない。頭の角をきったない物にぶつけられたり、尻を見られたり……。嫁に行けるわけないでしょ! 責任取って、アンタがもらうの! それに――」


 ジョッキの中身を一気に飲み干し、真っ赤な顔で叫んだ。


って言ったじゃない!」

「いつ言ったんだよ!」

「地獄に向かう時! エレベーターの中で!」

「言っ――」


 オレの頭には、過去の記憶がフラッシュバックする。

 天国から地獄への片道切符。

 社型のエレベーターで、地下に降りた際、箱の中でオレは言った。


『どうやら。……お互い、両思い憎しみがみたいだな』


 ――言った。絶対に言った。


「――ってねえ、よ」


 声が震えた。


「嘘吐け!」


 ボトルからジョッキに注ぎ、またグイグイと吞んでしまう不知火。


「あれから、私、悶々とした時間を過ごしたのよ⁉ ずっと、アンタのことだけ考えてたんだから!」

「えぇー、アンタ、こんな若い子たぶらかしたの?」

「ち、ちげぇって。ちげぇ……んだけどなぁ……」


 何だ。

 オレは、何か間違えたのか。

 いや、それを言うなら、オレはいつだって全力で間違えてる。


 ただ、間違えたのか。

 それが重要だ。


「え、結局、お前何しに来たの?」


 思い切って聞いてみると、


「アンタを婿にするの。ん。嫁かな。まあ、どっちでもいいわ。結婚して、責任取ってもらうの。もう、夫婦だけどね。絶対に譲らない!」

「リョウの事、好きなの?」

「大っっっ嫌い!」


 やべ。呑みすぎたかな。

 何言ってるか分からない。


「んー、でも、リョウは私の事好きでしょ?」

「もちろ――」


 べちんっ。

 頬に何かがぶつかり、オレは椅子ごと倒れ込む。


「ん”ん”!」

「アンタは黙ってて! 余計なこと言うな!」


 頬の内側を切ってしまい、舌で傷口を舐める。

 何も言わせてもらえなかった。


「ねえ。不知火さん。提案なんだけど」

「なによ!」

「たぶんね。埒が明かないと思うの」


 頬を押さえて、体を起こすと、ミツバの意地悪な笑みが見えた。


リョウを貰えばいいんじゃない?」


 その瞬間、まさかの一言にオレは失禁しそうになった。

 不知火は険しい表情のまま天井を見上げ、再びミツバを見下ろすと、首をゆっくり傾けていく。


「どうせ。不知火さんは、こっちで籍を入れられないよ。でも、私は入れることができる。でも、不知火さんは納得しないでしょ」

「あ、当たり前でしょうが!」

「だったら、二人でもらえばいいじゃない。私と不知火さんだから、できるんじゃない?」


 二人の目線がこっちに向く。

 まさか、ミツバから大胆な提案がくるとは思ってなかった。


 ただ、オレは何度も言うけど、腹は決まってるのだ。


「オレは――」


 ハッキリと気持ちを答えた。

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