修羅場2

 年端も行かない娘に襲い掛かったことで、本当に大好きな人に説教をされる。これほど苦痛な時間はなかった。


 リビングで正座をして、オレはミツバの顔を見ることができず、「はい」と頷くだけ。


 角が当たって殺されると思い、逆襲した事を話すと、ミツバは嘆息して提案してくる。


「ていうか、一緒に寝たらダメだよ。この子でさえ危険なんだから」


 ミツバに指され、絵馬がビクッと震える。

 こいつは現世にきて早々、包丁でオレを殺そうと待ち伏せしていた所をミツバに見つかり、逆に殺されかけたのだ。


「間違い犯したら責任取れないでしょ。一緒に寝るのは、もうやめて」

「はい。仰る通りです。今日から二階で寝ます」


 二階の部屋、鍵掛からないんだよな。

 そんな事を考えながら、ミツバには素直に頷く。


「不知火さんは、私の家においで。ダメだよ」


 隣で静かに座っていた不知火は、未だに怒りの熱が冷めないのか、頬がほんのりと赤らんでいる。


 解放間際にオレの肩を何度かどついてきたが、足りないらしい。

 正直、不知火が何を考えているかなんて、分かるわけがない。

 何かしら目的があって、現世に来たのは違いなくて、オレは復讐だと睨んでいるし、間違いないだろう。


 でも、今はミツバに怒られたショックで、どうでも良くなっていた。


「断ります」

「不知火さん。男の家に泊まるって、とても危険な事よ」


 不知火は口を尖らせ、拗ねたように答えた。


「……承知の上です」


 ――いや、何で意地になってんのよ。


「私は経験が、その、ないから。優しくしてほしかったけど。慣れるまでは、優しくしてもらうつもりだけど。……望むなら、乱暴でも、……いいです」


 ミツバが眉間に皺を寄せて固まっていた。

 オレは足を崩して、不知火の言葉の真意を探る。


 ――何言ってんの、こいつ。


「プロレス好きなんじゃない?」


 ひそひそと、絵馬が耳打ちしてくる。

 こいつにレスリング趣味があったとは意外だが、果たして本当にそうなのか。確かに、オレがチョークスリーパーを掛けても、こいつはビクともしなかった。


 鬼だから体が強い、というのはあるだろうけど。

 絵馬の見立て通りなら、オレの知らない所でプロレスを仲間内でやるくらいには、好きだったりするのかもしれない。


「あなたね。結婚してないでしょう。誤解を与える言い方はやめたら?」

「っ! そ、そんなの、アンタに関係ないでしょ!」


 突然、火が点いたように不知火が叫ぶ。

 オレは怖くなり、絵馬の後ろに隠れた。

 絵馬は絵馬で、目をカッと開くミツバの形相に怯え、オレの懐に潜り込んでくる。


 両親の喧嘩を怯えながら見守る子供のようであっただろう。


「私は、こいつが望むから! 仕方なく、こっちにきたの。覚悟だって決めてるの。子供を作るのだって、二人の問題じゃない! 部外者は引っ込んでてよ!」


 すると、絵馬がひそひそと言った。


「おじちゃん。不知火のこと、孕ませるの?」

「……んなわけねえだろ。見ての通り、脱いでもいねえよ」


 そういう目で見ていない。

 三十路のおっさんが、見た目10代の女の子に手出すわけない。

 お天道様の下を歩けなくなる。


「私はリョウの、………………友人として、見過ごせないだけ」


 長い間があった。

 本当はこんな奴と友達でいたくない、なんて思ってるのかも。


「友人? はっ。こっちはですけど?」

「は?」


 思わず、握り拳を口に当ててしまった。

 いきなり押しかけてきて、復讐を果たすと思ったら、鬼がオレの嫁になっていた。


 訳が分からん。

 オレの人生、どこの横道を曲がったら、鬼が嫁になるなんて頓珍漢とんちんかんなルートに行きつくのだろう。


「夫婦が夜に交わるのは当たり前の事です。私たちは夫婦円満なんです。今日は、たまたま失敗したけど。主人が子供を欲しがっているなら、私は産みます!」


 ミツバが目を点にして、言葉を失う。

 黙ってオレの方を見てきたので、慌てて首を横に振った。


「あなた。リョウのこと、好きなの?」

「私が好きなんじゃなくて、なんです!」


 絵馬を抱えて、オレは窓際に後ずさる。

 オレの意思や気持ちは、他人によって決められていた。

 オレ自身が決めることができないなんて、こんなの間違ってる。


「さっきだって。興奮しながら、私の胸を触ってきました!」

「……え?」


 ミツバの鋭い目つきがオレに向けられる。


「いや、触ってない! オレが触ったのは、鼻だよ! 顔を、こう、ぐいっと向こうに向けたくて……」

「嘘! 触ったもん! どうして、見え透いた嘘を吐くの⁉」


 オレの脳裏には、ある事が浮かんだ。


 痴漢免罪。


 疑われたら、処罰。

 法廷では覆ることが、まずないとされる恐るべき美人局法。

 まあ、近年では電車内にカメラがあるそうだから、免罪率が減りそうなものだが、今の状況は一昔前の痴漢免罪と何も変わらない。


「じゃあ、聞くけど。オレがどうやって触ったんだよ」

「襦袢の中に手を入れて、……触ったもん」


 小刻みに震え、片方の胸を押さえている。

 オレは免罪事件と戦うために、キッパリと答えた。


「それはない。いいか? 女性というのは、男と違って体の作りが違うんだ。もしも、胸を触ったというのなら、必ず膨らみがあるはずだ。オレが触った所に、膨らみなんてなかった! あるのは、皮と骨。つまり、鼻先の部分しかなかったんだよ!」


 不知火が真顔になった。

 静かに立つと、何やら台所に向かうではないか。


「え、それなに? 私の胸が小さいって言いたいわけ?」


 棚を開けて取り出したのは、包丁。

 わなわなと震えた不知火が、ヒタヒタとオレに近づいてくる。

 オレは絵馬を盾にして、「落ち着くんだ」と必死に宥めた。


「うぇ⁉ 離してよ!」

「いいから。お前はジッとしてろ!」

「できるか!」


 絵馬の首に腕を回し、姿勢を低くする。


「不知火。オレ、気づいたことがあるんだ」

「なによ」

「お前、あの世にいた時より、痩せてる気がするんだ。だから、お前の平らな胸板を大きいというのは、罪に値する。そして、オレは鼻を触った。オケ?」

「っ、こ、の!」


 不知火が走り出したことで、オレは絵馬を突き出す。


「いやぁ!」


 泣き叫ぶ絵馬。

 だが、問題ない。

 一刺し、二刺しなら、避けられる。


「アンタの稼ぎが少ないから! 私が食べられないんでしょ!」


 そして、座っていたミツバが後ろから羽交い絞めにして、不知火を押さえつけた。


「落ち着いて!」

「本当は油っこいもの食べたいわよ。でも、アンタの体の事を考えてるから、一緒に控えてるの!」

良妻賢母りょうさいけんぼみたいな事言いやがって!」


 暴れる不知火の手を握り、包丁をソファに刺すと、ミツバは腕を捻り上げて制圧。だが、力が強いのか、苦戦しているのが見て取れた。


「とりあえず、二人の間には誤解があると思うの」

「ないわよ!」

「どうせ言った所で、言う事を聞いてくれないんでしょ。だったら、私にも考えがある」


 絵馬に何度も殴られながら、オレはミツバの提案に耳を傾けた。


「今日から、ここに住むわ」

「あの、それ、……え?」

「なんですって?」


 空気が一段と張り詰めた瞬間だった。

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