夜戦
夜、目が覚めた。
東北の冬は厳しく、室内にいるのに布団から出た手足がかじかみ、頬はヒリヒリと痛みを伴う。あるいは、感覚なんて失せてしまい、真夜中に目を覚ます事はザラにあった。
けれど、今は寒さで目が覚めたわけではない。
「……んー……」
オレの隣には、
普段着ている物より薄い、白色の着物だ。
「んごっ、んげぇ~~~~っ」
バカみたいな寝息を立てているのは、絵馬だ。
オレの背中にピッタリと寄り添い、体の向きを固定していた。
おかげで寝返りを打つことはできず、必然と不知火と向き合う形になっているのだが、問題が発生した。
「んー、……ふふ」
奴はオレの胸に鼻先を擦り付け、何が楽しいのか不気味に笑っていた。
腹には片腕を回され、こちらもオレの体を固定してくる。
そして、死の針は――オレの首筋に当てられていた。
「ハァ、ハァ、……く……そ」
寒いはずが、オレは全身に汗を掻いている。
人の意思を無視して、まるで弄ぶかのように、赤い角がチリチリと皮膚の表面を撫でてくるのだ。
さっきも言ったが、こいつは腕を回して、ガッチリホールドを決め込んでいる。つまり、角の位置が固定され、オレは死と隣り合わせの就寝を決行中なのだ。
「向こうに、……行け。行くんだ」
手探りで不知火の顔を触り、適当な場所に指を引っ掛ける。
指は熱く、濡れた何かに侵入していく。
「んべっ、えっ、……ほぐっ」
口か。
口の端に指を引っ掛けたらしい。
慎重に、もう片方の手で角を掴もうと試みた。
「……マジか」
片腕を動かそうとしたオレは、愕然とする。
オレの右腕は不知火の頭の下にあった。
確かに、オレは仰向けの体勢で手を組み、ぐっすり眠ったはず。
なのに、起きれば腕枕をしているといった、不可思議な現象が起きていた。
おかげで腕は痺れて、使い物にならない。
奥歯を噛みしめ、痺れに耐え、オレは何とか空いている手だけで、不知火を退かそうとする。
「やぁ……だ……」
「うお、お⁉」
首筋に減り込む角。
ぷにぷにと、頸動脈の位置を押しているではないか。
「ハァ、ハァ、……んぐっ。ハァ~~~……っ」
呼吸し辛い。
汗が頬骨から目に流れ込んできて、視界が濁る。
リビングは明かりを消しているために、真っ暗闇であったが、道路を挟んで家の前にある電柱の明かりが窓から差し込み、薄っすらと闇を透かしていた。
おかげで、角の位置と頭の輪郭は捉える事ができる。
一呼吸おいて、もう一度不知火の顔に手を伸ばす。
「……すぅぅ……。……ん……? ……ぇ」
鼻先を摘まむことができた。
あとは、もうちょっと下に手を滑り込ませて、顔の向きを変えるだけ。
ふと、手の甲に温かい物が触れた。
それは独りでに動き、指に絡んでくる。
「……今は……ダメ」
「不知火。貴様、起きていたのか」
奴が目を覚ました。
手を別の位置に持っていき、不知火が顔を持ち上げる。
それに伴い、角がぞりぞりと首筋を撫でてきた。
「くっ」
「これだから、男ってのは。……節操なさすぎよ」
「は、ハァ、ハッ、ハッ」
「っ。こ、興奮……してるのは、……わか……るけど。でも、ダメ」
「ハァぁ、はぁぁ、う、うぐぐ」
顎の下に、角が引っかかっていた。
無理に顔を退かそうとすれば、確実に刺さる。
「そうか。……そ、そういうことか」
「え?」
オレはずっと疑っていた事に確信が持てた。
こいつが、どうして一緒に寝たがるのか。
いや、単純明快にして、考える必要はないのだ。
不知火がオレの傍にいたがる理由は、寝首を掻くためだ。
こいつが寝るまで、オレはずっと起きる日々を送っている。
寝息が聞こえ、さらに30分が過ぎてから、オレはやっと眠りにつく。
隙は与えない。
だが、就寝時においては、不知火の方が一枚上手のようだ。
オレにピッタリと寄り添い、角を使うだけでいい。
そうすれば、オレを簡単に殺せるというわけだ。
「悪霊、退散」
再び、顔に手を置き、指に力を込めた。
「あ、うぐっ!」
不知火の全身がビクリと震える。
オレは呼吸が止まる。
一瞬、さらに深くまで減り込んできたのだ。
「え、絵馬様が、いるから」
「……いや、違う。どけ。どくんだ」
「だ、ダメだってば。んもぉ。……ほんっと、へ、変態なんだから」
罵る声を無視して、オレは顔の半分を床にグリグリと擦り付けた。
そして、さらに角が首筋を追いかけてくる。
「ふぅ、……ふぅ、……ぷふぅ」
空気を吐き出し、不知火の鼻先を指で押す。
「ひゃっ」
「ど、けぇ。こ、の」
「ま、待って待って」
「いいから、ど、けぇ!」
必死になって指を押し込むと、角が首筋を引っ掻き、不知火が向こうに寝返りを打つ。自分の身を抱いて、息を荒げているが、オレはそれどころではない。
すぐに首筋を擦り、傷の具合を確認。
ヒリヒリはするが、穴は空いていない。
「ふ、うぅー……。っぶねぇ」
久々に死ぬかと思った。
殺される寸前だった。
「ば、かぁ! 何考えてんのよぉ」
自分の肩を抱き、不知火が生唾を呑んでいた。
冗談じゃない。
こいつの隣に寝てたら、命がいくつあっても足りない。
すぐに絵馬と場所を変わろうと思い、後ろに振り向く。
「わぁぁ」
歓喜の混じった吐息が、小さな影から聞こえた。
――なるほどね。グルってわけか。
考えてみれば、絵馬と不知火は仲間だ。
ということは、復讐に手を貸したと考えるのが妥当。
オレはハメられていたのだ。
孤立無援の状況で、オレは必死に考えた。
このまま二階に移り、一人で寝るのは大賛成だ。
しかし、追撃があると考えた方がいい。
不知火と絵馬は起きているし、また殺しにくるのは明白。
今、不知火はオレに背中を向けている。
真正面からの物理攻撃では、オレには勝ち目がない。
ならば――。
「え、や、なに⁉」
「お、らぁ!」
角の裏側に顎を置き、不知火の首に腕を回した。
無理やり寝返りを打たせ、奴をうつ伏せにする。
この時、腕はすでに首に巻き付いてるのだから、後は引っ張るだけだ。
命を狙われて以来、動画サイトで格闘技の動画を見漁った。
チョークスリーパーっていうのかな。
早速、実戦で使っているわけだ。
「ふん!」
「いやぁ!」
うつ伏せになった不知火の背中に、オレがうつ伏せになる。
そこから首に引っ掛けた腕を思いっきり引っ張った。
「見られてる! ひゃぁ!」
「な、なんだ⁉ どうして、効かない⁉」
首筋を絞めているはずが、普通に話しているのだ。
喉の震えが、肘の内側に伝わってくる。
「ふん! ふん! 落ち、ろおおおおお!」
「絵馬様! 見ないで! お願い!」
不知火は海老反りになっているため、身動きができないと見た。
一方で、絵馬の加勢を警戒したオレは、隣を確認する。
「すっごい激しいプロレス!」
絵馬は正座をしていた。
ワクワクした様子で、オレ達の死闘を見届けている。
「ハァ、ハァ、頼むから、寝かせてくれ!」
「もっと、優しくしてほしいのに! こんなの、嫌ぁ!」
「うるせぇ! こちとら、寝不足じゃい!」
オレの腕力が雑魚過ぎるせいだろうか。
言葉とは裏腹に、不知火はピンピンしている。
緊張と恐怖、過度な運動のせいで、オレの体力はとっくに限界を迎えている。
「お、らあああああ!」
最後の力を振り絞り、両腕で首を引っ張った。
「んッ――いい加減に――」
今度こそ、首が絞まった。
確信した、その時だった。
「――何してるの?」
暗闇から声が聞こえた。
パチン、と軽い音が鳴ると、リビングの明かりが点く。
「気になって来たんだけど。……これ、どういう状況よ」
ミツバが口を半開きにして、ソファの横に立っていた。
年端も行かない娘に後ろから両腕で抱き着くオレ。
顔を真っ赤にして、キレる五秒前の不知火。
ミツバに恐怖する絵馬。
確かに。
意味が分からない光景だった。
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