本気

 心の内を正直にさらけ出すのなら、オレは仕事が大嫌いだ。


 レジの内側に立ち、お客様の商品をスキャンして、会計を読み上げる。

 頭の出来が良ければ、もっと違う職だってあったろう。

 体を使う仕事ができるなら、土方だってある。


 世間じゃ認めてくれないだろうけど、人のってのを度外視して、『仕事』って一括りにされると、げんなりする。


 オレは労働意欲がないし、資格はないし、何もできないから、誰でもできるストレス過多の仕事に就いている。


 スーパーのレジ打ちだ。

 近年、自動化が進んできて、セルフレジが導入されている。

 あと、商品のスキャンだけはこっちで行い、会計はお客様に任せるセミセルフという物が導入されている。


 オレの職場にはセルフレジしかないし、今突っ立ってるのは普通のレジ。


「ありがとうございましたぁ。また、お越し――っせぇ」


 噛むので、途中の文言を省く。


「ありがとうございました!」


 隣からは元気の良い声が聞こえた。

 レジのワークスペースに二人立っていると、新人に物を教えた時の事を思い出す。あるいは、自分が教えられた時の事を思い出す。


「リョウ。さっき、野菜が安売りしてたの。後で買いましょうよ」

「……」

「パイナップルも食べたいわ」


 答えるわけにはいかないので、無言で隣を見る。

 オレの横には、不知火がいた。

 着物姿で周りをキョロキョロと見回し、一方的に話しかけてくる。


 この時、オレは思った。

 霊感という科学的に確かめようのない資質を持つ人は、本当に苦労が絶えないのだな、と。

 世間からは、「ホラ吹くな。マジ笑えるわ」なんて、悪態を吐かれる。

 いわゆる、幽霊からは「シャキッとしなさいよ」と叱咤される。


 人と幽霊の区別がつかない、とよく聞くけど、自分で体感してみて、「あ、こういう感じか」と頭を抱えたくなった。


 不知火の場合、見えてないってのが分かるから、無視できる。

 問題は他。

 他の幽霊まで見えるようになってしまったオレは、客と幽霊の区別がつかなくなっていた。


 客と客の体が重なって、やっと「生きてねえな」と分かる。


 なので、注意深くお客様の顔と反応を見て、オレは会釈するのだ。


「ねえ。ねえって!」

「あ、はい」


 商品を詰めるサッカー台の方から、客が怒った様子で近づいてくる。

 何やら商品を手にしており、すぐにクレームだと気づいた。


「この玉ねぎ腐ってるじゃない!」

「あー、……そうで、すね。はい。今、新しいのと交換します」

「この前も腐ったの混じってたわ。どうなってんのよ。この店!」

「すいません。担当の者に伝えておきます」


 ペコペコと頭を下げて、申し訳ないといった感じの表情を作る。

 お客様は怒りたくて仕方ない。

 文句が言いたくて仕方ない。


 こいつらからすれば、オレが好きでレジの仕事をしている、と先入観を持っているのだろうけど。そんなことはない。

 十中八九オレの考えは当たってると自負するが、接客業を選んだ人は、時間を作りたい人が主にその仕事を選んでいる。

 さらに、モラルの低い人が急増している昨今、客は神ではなく、ただのアホである。


 金を落として、適当に帰ってほしい。

 ちなみに、神様と呼ばれるお客様は、普通のお客様のこと。


 それ以外は自覚のないアホだ。


 ここまで悪態を心の中に漏らしたオレは、サッカー台に戻るお客様の背中を見つめ、すぐにチーフのいるサービスカウンターへ走っていく。


 そして、こう言われる。


「またぁ⁉ ちょっとぉ、勘弁してよぉ。お客様は?」

「新しいのを自分で交換してくるって。今、お客様についていって、もう一度頭下げてきます」


 チーフはため息を吐いて、舌打ちをした。

 オレは顔色を窺い、今度はお客様のもとに戻る。


「あ、お客さ――」


 咄嗟に、口を手で塞いでしまった。


「ん”、お”、ごご」


 ズングリムックリとしたババアの客は、口をうの形にして、上体を仰け反らせていた。鼻から息を吸った際に、「んごおおおっ!」と、汚い音が鳴り、呼吸が乱れている。


 サッカー台の角に腰が当たると、そのままズイッと後ろに倒れ、手足をバタつかせた。


「あなたね。商品を取る時に確認できたでしょう?」


 オレは周りを見た。

 不知火の姿は見えないが、ババアの苦しむ様は全員に見えている。


 やがて、他のおばちゃんが「うい」と声を掛けてきた。


「ちょい。大丈夫かい。あんたぁ」

「ん”、ん”ん”ぅ、ごっごぉ!」


 不知火に顔面を鷲掴みにされ、ぐいぐいと後ろに倒れていくババア。

 豚の鳴き真似で何か答えようとしているが、上手く答えられないらしい。


 あぁ、オレもモラルのない奴の一人か。


 二人のやり取りを見ていて、ふと思ってしまった。

 オレは口を塞ぐ手の下で、何とか笑いを堪えている。


「いい歳して、みっともない。相手を気遣いなさいよ」


 それは、お前も言えたことじゃない。


「どれだけ裕福な生活をしているか知らないけど。稼ぎが少なくても、しっかりしてるわ」


 ――……ん?


「不満があるなら、他所へ行きなさいよ。買い物ができることはね。当たり前ではないのよ。恥を知りなさい!」


 ババアの顔面をグイっと引っ張った不知火は、野球選手のように勢いをつけ、そのままババアを奥へ吹っ飛ばしてしまった。


「いやあああああ!」


 強化ガラスを突き破るババア。

 宙を舞うババア。

 アスファルトを転がり、全身痙攣を起こすババア。


 周囲からは悲鳴が上がった。

 チーフは店内放送で店長を呼び、客たちは吹っ飛んだババアに駆け寄っていく。


 不知火は満足げに鼻で笑い、オレの方を振り向いた。


「……私……本気だから」


 これって、ヤバくない?

 今更、そう思うオレは、いつの間にか笑えなくなっていた。

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