我慢

 久しぶりに二階の自室で過ごす。

 絵馬が来てからはリビングで過ごす事が多くなった。

 目を離すと何をするか分からない。

 本当に子供みたいで、悪さしかしないために、ずっとそばにいる必要があった。


 だが、今は違う。


 家のどこにいても不知火がついてくるため、一人になれる空間を求めて、古巣に帰ったのだ。


「んー。幽体離脱してる、ってことはゴリ松達にチラっと話したけど。今の所、解決方法がないんだよなぁ」


 小説の終盤を手掛け、オレはパソコンから顔を上げる。

 クッションの上に置いた座椅子が、ギコギコと軋み、不安定に体が揺れる。


「ここはミツバとの会話を思い出して書くか。不知火に関しては、オレ気づかなかったしな。どう繋げていいか分からんし。書けねえな」


 あの世に逝き、地獄巡りをした事を小説にしている。

 ジャンルはホラー。

 初めて挑戦するジャンルだ。


 文才や知識量、語彙力なんてないが、書きたいから書く。

 この小説だって、高校の思考停止時代に、自分で「やってみよう」と決めて取り掛かったことだ。


 殊勝な理由なんてない。

 下心だってあるし、軽い気持ちで始めた趣味。

 ミツバに叱られて、『自分で決めたことくらいは、最後までやろう』と決めたのだ。


 世間にとっては、どうでもいいこと。

 オレにとっては、大事な事だ。


 オレは何もない人間で、すぐに逃げ出すから、一つは向き合えるものを持っていないといけない。


 小説は、今やオレにとって鏡だ。


 ミツバとの会話を思い出しながら書くのは、正直小恥ずかしかった。

 これを小説の投稿サイトに上げるのだから、尚の事、恥ずかしい。


 どうせ、誰も見ちゃいないとはいえ、公の場に自分をさらけ出すのは勇気が必要だった。


「ふぅ。……あ、煙草ねえや」


 一服しようか、と考えた矢先、箱の中身は空だった。

 面倒だが、買ってこようか。

 そう思い、部屋の戸に振り向いた時だった。


「…………ぁ」


 戸は半開きになっていた。

 隙間が空いていた。

 声がしたので、首を傾けると、隙間から覗いていた不知火と目が合う。


「な、何してんの?」

「別に」


 戸の前で正座をしていた。

 何やら、モジモジとしているが、オレは気に留めず、脇を通る。

 すると、不知火は立ち上がって、オレの後に続くのだ。


 近すぎず、離れすぎず、三歩後ろを静かについてくる。


 ――なんだ。何を考えてる。


 階段を下りて、廊下の途中で振り向く。

 不知火は立ち止まり、オレをジッと見ていた。


 歩く所作だけ見れば、まさに大和撫子。

 あの世では見せてくれなかった品の良さに、オレは少し戸惑ってしまう。


「……お……お前ってさ」

「なによ」

「良い所のお嬢さんだったりする?」

「別に。普通の家」


 昔の日本は、一般人レベルでもかなり礼節を重んじていたと聞く。

 今では、その面影を持つ人間は少ない。

 モラルがなく、リテラシーがなく、煙たい者の方が多いだろう。


 まあ、オレが言えたことではないが、品性のない人間がそこら中にいてしまう、というのが今の日本だ。


 なので、普段刺々しい言動を繰り返す不知火が、自然と上品な所作を行う事に、強烈な違和感があった。

 こいつに対して、綺麗という言葉を使いたくないのは、オレの小さな意地だ。


 あの世では、かなり滅茶苦茶だったのに。

 品性なんてなかったはずなのに。

 どうして、今になって品の良さを出してきたのか。


「くそ」


 訳が分からず、オレは壁に寄りかかる。

 後ろに回られないためだ。

 斜め下を向いたまま、不知火は口を少し尖らせた。


「お前さ。マジでいい加減にしろよ」


 ダメだ。

 怒るな。

 気まずくなるのも地獄だし、変に喧嘩でもしたら、殺す機会が減ってしまう。


 ギリギリの理性で、オレは必死に言葉を選ぶ。

 それでも溢れてくるのは、不知火に対しての怒りだった。


「なに。何が不満なの?」

「不満? バカがよ。不満どころじゃねえよ!」


 両腕を広げ、大袈裟にジェスチャーを繰り出し、オレは叫んだ。


「お前が傍にいると、オレが狂うんだよ!」

「……え?」


 ――言ってしまった。

 ――我慢していたのに。


 不知火はきょとんとした顔で、立ち尽くした。

 相当、ショックを受けたのだろう。

 だが、オレは止まらない。


「あのな。年端も行かない娘に、こっちは我慢してんだぞ! なのに。どこ行くのにもついてきやがって。お前がいると、頭がおかしくなりそうだよ。気持ちが抑えられないんだよ!」


 不知火は口を噤み、俯いた。

 次第に顔は赤く染まり、耳たぶはサクランボのように紅潮していく。

 泣かせてしまうかもしれないが、一度ガツンと言ってやらないといけない。


 怒りが最高潮に達したオレは、不知火の肩を掴んだ。

 大きく揺さぶった後、泣きそうな顔を一目見てやろうと、無理やり顎を持ち上げる。


「……や……やだ」

「やだじゃねえ! こっちは、お前に手を出したくて殺意で、うずうずしてんだよ!」

「う……」


 不知火は非常に弱弱しい表情に変わった。

 普段、釣り上がってる眉毛が八の字になって、唇を震わせている。

 もちろん、これで嫌いになって出て行ってくれるなら、オレも殺さなくて済むし、リスクがなくなるのだから、願ってもないことだ。


 オレは不知火の肩を掴み、壁際に追い詰める。

 ありったけ脅すためだ。


「今すぐ、……ここでやってやろうか?」


 不知火は手を擦り合わせ、顔を背ける。


「……それは……嫌だ」

「我慢できねえんだよ!」

「じゃ、じゃあ、待って。……お風呂、……入る」

「はあ⁉ 何で風呂入るんだよ! そのままでいいだろ!」

「だ、ダメ! 汚いもん!」


 この期に及んで駄々を捏ねる不知火を前に、オレは怒りが止まらない。

 火に油を注がれているのだ。


「あのなぁ。汚いのなんか関係ねえの。オレはその気になったら、時と場所を選ばずにるぜ!」

「み、見下げ果てた……クズ……ね」


 段々と声が小さくなっていく。

 どうせ、男に怒られたことなんてないのだろう。

 女ばかりの環境にいたみたいだし、ショックで混乱してるに違いない。


「どう、しても?」

「何が?」

「だから、その、……ここ……で」


 不知火は周りをキョロキョロと見回した。

 大方、絵馬に助けを求めるに違いない。

 そうはさせまい、とオレは不知火の顔を肘で挟むように、額と額をぶつける。


「いいか? 必ず、お前を落としてやる地獄に。ケツ洗って待っておけ!」


 あれ?

 首だっけ?

 まあ、いい。


 オレが離れると、不知火は脱力して崩れ落ちた。

 胸の前で拳を握りしめる様を見て、オレは少しだけ胸の中の霞が晴れた。


 本当はこんな大人げない事で、スッキリなんかしたくない。

 一思いにやりたいのだ。


 熱くなった体を冷ますために、オレはジャンバーを着ないで、煙草を買いに行くのであった。

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