棲む鬼と雑魚男
攻防
家の風除室に入ると、オレはジャンバーのチャックを下ろし、脱ぐ準備をした。
二人に相談してよかった。
一人では、物理的な退治方法しか思いつかなかった。
そりゃ、大昔にいた源頼光みたいに強かったら、一太刀で斬り伏せるんだろけど。オレは武士じゃないし、普通の人間だ。
先祖だって、農民だろう。
専門的な知識があるわけではないので、住職やゴリ松に話して、少しは冷静になった。
一息吐いて、玄関の扉を開ける。
「おかえり」
「うお⁉」
玄関先には、不知火が正座をして待っていた。
傍らには鉈が置かれている。
鉈と言っても、ホラー映画に出てくるような大きなものではない。
刃渡り15cm程度の短い鉈である。
これを膝の横に置いて、不知火は無表情で座っていた。
「……ご飯……冷めちゃうよ」
「まだ、午後の三時だよ」
オレはご飯を食べる時間を特に決めていない。
なので、腹が減ったら食べるし、食べたくなかったら何も口に入れないのだ。
「お昼、……何も食べてないの」
「先に食べててくれていいのに」
不知火が鉈に手を伸ばす。
目が据わっていた。
品のある所作で立ち上がり、スッスッと、足袋を滑らせて框を下りてくる。
顔と顔の距離は、10cm近くまで縮んだ。
今更だが、不知火の目は瞳孔が細い。
猫のように細い目が、左右に揺れて、オレの目を覗く。
「……どうして自分勝手なこと言うの?」
「や、あの、食べてきたし」
「は?」
住職とゴリ松に奢られて、ラーメンを食べた。
ジューシーな肉をたっぷりと食い、オレはすでに満腹。
「食べてくる時、連絡くらい寄こしてよ」
「連絡手段が、ないので」
「一度帰ってくればいいじゃない。何で帰ってこないの? 待ってたんだよ? アンタのこと。ずっと。ずっと。ずっと!」
バンっ。
鉈が靴棚をカチ割った。
一瞬、不知火の気迫に圧されてしまい、胃の物を全て吐き出しそうになったが、グッと堪える。
「私の料理。……そんなに美味しくない?」
我慢しろ。
今は、まだその時ではない。
堪えるんだ。
今だけは、戦国武将の気持ちになれ。
先人たちは当たり前のように窮地に立たされ、ずっと頑張ってきたんだ。
同じ日本男児として、意地を見せなくてはなるまい。
奥歯を噛み、オレは食い込んだ鉈を乱暴に引き抜く。
鼻から息を吸い込むと、不知火の頭皮からはオレの家にある物とは違う、シャンプーの香りがした。
果実の匂いだ。
良い匂いに誘われて、目を頭に向けると、視界の中央には一点だけ黒い物があった。
角だ。
角が、文字通り目の前にある。
「今度は、美味しいの作るから。……食べなさいよ」
弱弱しくなった不知火が、さらに近づいてくる。
オレの胸に手を当て、ゆっくりと頭部が倒れてきた。
「……くっ……う、ぐ」
目の下に、角が当たる。
必死に上体を仰け反らせるが、不知火は追撃をかましてきた。
「……り、……リョウ」
不知火の吐息が震える。
オレは全身が震える。
角は10cm余りの赤い角だ。
先端は非常に鋭利で、形状はアイスピックのように凶悪。
硬さは申し分ないほどで、オレは以前に角を手の平に刺したことがあるし、チャラ男撃退の際には、こいつの角を相手の急所に刺したことがある。
最早、凶器である。
「わ、かった。分かったから。落ち着け」
片目を閉じて、顎を反らす。
同時に、スッと角が持ち上げられた。
「本当に、……悪いと思ってる?」
頬を膨らませ、不知火が問う。
目には涙が浮かび、オレの顔を覗き込んでいた。
「ああ。……思って、るよ」
「ふん。じゃあ、今回だけは許してあげる」
ぎゅっ、と脇の下に両腕を回された。
その時、頬骨に鋭い感触があったのだ。
「が、あぁ、……ああ!」
咄嗟に顔を横に向けたことで、角は骨を貫かずに済んだ。
不知火は外したことを不服に思ってるのか、頭を左右に振り、額を鎖骨の辺りにくっつけてくる。
「っぶねえ!」
ヒュン、ヒュン。
凶器が空気を裂く音が耳元から聞こえる。
このままでは、頸動脈まで持っていかれかねないと判断したオレは、すぐに不知火の頭に腕を回した。
「ひぇぁ!」
ガッチリと頭部を固定する事により、奴の攻撃を食い止める。
腕に力を込めて、頬を頭部に密着させた。
こうすることで、角の軌道から外れ、顔面を守ることができる。
確かにオレは弱い。
弱いが、何も抵抗しないほど、愚かではない。
「甘いんだよ」
「……う……うん」
「ふん。自覚はあるんだな。だが、学ばなくていい。そっちの方がオレはやりやすいからな」
背中に手の平の感触があった。
生地を掴む音が聞こえ、オレは張り倒されないように、不知火の手首と手首を重ねて踏ん張る。
「ん。でも、アンタ、病気なんでしょ。甘いの、ダメだって。そう、よね。うん。私が悪かった。甘いの、ダメだもんね。作るなら、ちゃんと考えないとだね」
ん? 何の話だ?
待て。料理の話か。
「――ハッ⁉」
気づいてしまった。
偶然とはいえ、こいつがどういう料理を作っていたか。
甘口のカレーだったり、魚の佃煮。甘辛の金平ごぼう。
全て、甘口だったのだ。
「……自分の事ばかり、考えちゃった」
そう。オレが病気なのは、こいつに伝えてあった。
ミツバと会わなくなってから、三日は経ったか。
毒を盛られることを懸念し、病気を理由にこいつの料理は食わないようにしていたのだ。
正確には、カレーとかは食べてしまったし、ほうれん草の炒め物などは口にした。金がないので、もったいない精神が働いてしまったが故にだ。
だけど、そうじゃない。
違ったんだ。
毒なんて盛る必要はなかった。
不知火がオレを殺すなら、オレに甘いものをひたすら食わせればいい。
こいつが間抜けなおかげで、自白した事により手口が判明した。
料理は、オレの病気を悪化させるために作っていたのだ。
「スン、スン。……ね。臭いよ。また、煙草吸ってきたの?」
「ああ。たっぷりとな。嫌なら離れてもいいぜ?」
「スン。う、ん。臭い。……まあ、……許してあげるけど」
住職は『鬼は生臭いのが嫌い』と言っていた。
だが、よく考えたら、魚を料理に使っているし、やはり伝承とは違うのかもしれない。
一応、魚は魚でも、イワシということだったが。
「待てよ」
生臭い?
一つだけ、思い当たることがある。
今、こいつはオレの事を臭いと言った。
なら、イワシよりも臭い物をこいつに当てたらいいのではないだろうか。
風呂にまだ入っていない中年の男は、女が一番毛嫌いするだろう。
そして、一番臭いが集中する所。
「おい」
「ん?」
オレは、ジャンバーを脱ぎ捨て、上着を脱いだ。
「ひぇあああ⁉」
散々見たくせに、奴は顔を手で隠した。
「な、何考えるのよ! バッカじゃないの⁉」
「あの世でたくさん見たろ。それより、不知火。オレの脇を嗅いでくれ」
「へ? え? え⁉」
「嗅ぐんだ!」
腕を持ち上げ、肘を角と角の間に置く。
これでこいつは臭みで怯むはず。
それどころか、嫌悪感が爆発して出て行くはずだ。
不知火は元々男が嫌いな女。
これで、嫌がらない理由がない。
もちろん、臭いと言われたらオレは傷つく。
風呂は毎日入ってるが、加齢はどうしようもない。
しかし、一人の強敵を討伐するためには、何もかも捨てるしかなかった。
「……ス……ン……。あ。意外と、……んー……スン……臭い……ないかも」
まさかの無臭。
「え、いやいや。そんなことないだろ! もっと嗅いでくれ!」
「え~……。スン、スン。全然臭くないよ?」
「なっ……」
オレは愕然とした。
おっさんの体臭なら、イワシより臭いんじゃないかと自信があったのに。何も効果がなかった。
ふと、視線を感じて、オレは靴棚の陰に目をやった。
「う、わ。何やってんの?」
絵馬が青ざめた顔で、オレを見ていた。
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