新たな波乱

 動画サイトで見かける修羅場は、飽くまで見世物だから楽しめた。

 だけど、修羅場は実際に経験すると、何も言えなくなる。


 リビングのソファには、指の平で涙を拭う不知火。

 傍らには、深刻そうな顔で慰める絵馬。


 向かいにはオレが座り、オレの隣にはミツバがいる。

 一通り、事情を聞いたミツバは、初めこそ首を傾げていた。

 ところが、ありもしないエピソードをいくつか聞いてから、表情が曇りだす。


「リョウ。アンタ。……この子の処女奪ったの?」

「んなわけないでしょ。オレは、……童貞だよ」


 何が悲しくて、好きな人に童貞報告をしないといけないのか。

 胃が痛いし、頭は痛いし、寒いしで、憂鬱になってきた。


 石油ストーブに当たりたくて、ストーブの口をこっちに向ける。


「大丈夫だからね」


 慰めていた絵馬がさりげなく、ストーブの火を自分の方に向けた。


 イラっとはしたけど、オレは腕を組んで、重い空気にジッと耐える。

 不知火はずっとオレの方を見ていた。

 目が合うと、視線を逸らす癖に、オレが床や天井の模様を眺めている時には、必ず見てきた。


「それで、……不知火さんはどうしたいの?」

「……その……別に。どうってことは……」


 手を組んで、不知火はモジモジとした。

 容姿からして、絵馬よりは少し年上な程度。

 女子高生から、大学生の間ってところだ。

 こんな年端の行かない娘に、三十路のオレが手を出すわけがない。


 というか、手を出したら、絶対に面倒なことになる、と分かっているからこそ、オレはこういうタイプの女には気を付けている。

 他の男だって同じ考えのはずだ。

 誰が美人局しそうな女に手を出すんだ。

 破滅と分かっていて、そっちの方に進んでいくバカはいない。


「うーん。不知火さんは、こいつの事好きなの?」

「ぶ、ぶぇつに。好きじゃ、ない。あ、でも、こいつが、私の事……好きって言うから……仕方なく……」

「リョウ……」


 頬を引き攣らせて、ミツバが何か言いたげな目を向けてくる。

 こういう風に、すぐ共感する癖を女から取り除けないだろうか。


 言いたいことは分かる。

 そりゃ、ろくでもない男だって世の中にはたくさんいる。

 同じ女としては、心配になるのも当然。


 しかし、オレは絶対に手なんか出さない。

 男か、女かじゃない。

 オレを信じてほしかった。


「今はどこに寝泊まりしてるの?」

「すぐ、近くの神社に。社の中、温かいので」


 嘘吐くんじゃねえ。

 さっき、絵馬の馬鹿が白状したぞ。

 こっそりと鍵を開けて、中に入れたとまで言っていた。


 疫病神が鬼を家に入れるとは、妙にしっくりくるから困る。


 オレの目には、三者が三様に分かれて見えている。


 ミツバ――体育会系のサバサバした半熟女。好き。

 絵馬――メンヘラのクソガキ。大嫌い。

 不知火――押しかけてくるタイプのメンヘラ? ヤンデレ? 嫌だ。


「いつから、こっちにいるの?」

「あ、からです」

「……ん?」


 オレが生還したのは、一か月と少し前。


 ただ、生還してから一か月くらいは、全身の筋肉がやせ細っていたので、食事と運動に励んでいた。

 それに、第六感が今よりは弱かったので、絵馬の姿さえ見えなかった。

 それから、ミツバの本体(肉体の方)と久しぶりに会い、色々と話をした。


 つまり、不知火が現世にきたのは、ほぼ同時期という事になる。


 あと、さっきから気になっていたが、不知火は他人に敬語を話す女じゃない。ミツバ相手にヘコヘコする姿が、どことなく『らしくない』感じがして、違和感だらけだった。


「そっか。色々と大変だったね。じゃあ、どうしようかな。社の中に寝泊まりさせておくのは可哀そうだし。私の家にくる? ここから、少し歩かないとだけど」

「いやいや、ちょっと待った」


 さすがに、オレは止めた。

 ミツバに負担を掛けたくない、という気持ちはもちろん。

 不知火がどんな女かを知っているため、ミツバと二人きりにさせたくないという気持ちが強かった。


 何を思ったのか、不知火は潤んだ目で、少しだけ口を尖らせている。

 その間が抜けた顔を指し、オレはハッキリと言ってやった。


「こいつを泊める必要はないって」

「あのね。女の子が一人で神社に寝泊まりなんて、不憫すぎるわよ」

「うっ」


 ミツバの言う通り。

 うら若き乙女が寒空の中、神社に寝泊まりする姿は、精神的にくるものがある。が、相手は鬼である。人間ではない。


「絵馬ちゃんの場合、いざという時は私が殺すけど」

「え”っ⁉」

「不知火さんの場合、事情が違うじゃない。話を聞いてる限りだと、リョウにだって責任がある。せめて、寝泊まりする場所くらいは、私が提供してあげる」


 それ以上は何も言えず、オレは言葉に詰まった。

 一人の女の子を思う、大人としては当たり前の事なのだ。

 オレだって、相手が不知火じゃなかったら、別室くらいは提供する。


 ミツバが「それじゃあ」と切り出し、話は終わった。――かのように思えた。


「あの、……気持ちはありがたいですけど。遠慮します」

「どうして?」

「わ、私、……いえ。これは、二人の問題だと思うので。私が、こいつと決着を付けます」


 何か、話を聞いてると、オレが一方的に悪者にされてる感じがする。

 だらしない男に対して、女の子が正義の心を燃やしている風だ。


「でも……」

「大丈夫です。もう、迷いませんから」


 ミツバがオレの方を見てくる。

 複雑そうな顔だった。

 どうして、オレが好きな人にこんな顔をされなくてはいけないのだろう。


 ていうか、オレの気持ちは固まっているのに。

 どうして、関係ない第三者がグイグイと出てくるのか、分からなかった。


 ――いや、待て。


 ふと、オレは思い出したことがある。

 あの世で、不知火はオレに対し、こう言ったのだ。


『アンタだけは許さない』


 そこで気づいた。

 不知火は、きたのだ。

 オレを葬るために、わざわざ追いかけてきたのだろう。

 自分の感情を最優先する不知火らしい。


 奴は耳まで赤く染まり、オレを睨みつけている。


 不知火を一瞥すると、オレの中の何かに、が入った。


「なるほどね。分かったよ。うん。全部分かった」


 復讐だとしたら、ミツバを巻き込むわけにはいかない。


「ミツバ。頼みがある」


 スイッチが入ったオレは、自然とミツバの手を握った。

 ミツバはピクっと動くけど、拒みはしない。

 真剣に彼女の目を見つめ、オレは言った。


「しばらくの間。オレの家には、来ないでくれ。……あー、でも、……うん。遊ぶときは、オレからまたミツバの家に行くよ」


 ミツバは驚いたように目を丸くしていた。


「……くそ。……手……握り……って」


 ブツブツと念仏みたいに恨み言を唱える不知火。

 視線が顔に刺さってきたので、オレは真っ向から奴を睨む。


 オレは、――不知火を殺す。

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