修羅場
玄関の扉を閉めた後、すぐに鍵を掛けた。
ふらつきながら、玄関の
「ハァ、ハァ。嘘だろ」
未だに信じられない。
どうして、奴がいるのか。
必死に混乱する頭の中を整理していると、真っ暗だった玄関に明かりが点いた。
トテトテ、と軽い足音が近づいてくる。
「おかえり」
オレの後ろには、昨日買ったばかりのアイスを食べている
信じられないと思うが、この絵馬という女は、元々あの世で閻魔の職務についていた女の子である。
バカに権力は持たせてはいけない、の典型的な例にハマる女の子で、しっかり者の姉に
見た目は、不知火同様にとんでもなく可憐で、愛らしい風貌だ。
金色に染まったセミロングの髪は、頭の横で結び、サイドテールにしており、きめ細かい肌は雪肌。
容姿の年齢は中学生と高校生の間くらいか。
小柄な見た目相応に、中身も幼い女の子だ。
元は威厳があって、重圧感のある子だったが、こっちに来てからは自分を偽らなくなった。どんどん、幼い部分が露出してきている。
絵馬はチューブアイスを『ぢゅるるるる』と、下品な音を立てて吸い出し、水のように甘ったるい液体を飲んでいた。
「息切らしてるけど、どったの?」
前までは、反響して聞こえていた声。
今では随分とクリアに聞き取れるようになり、何を言ってるか分かりやすくなった。
「不知火だよ! あいつ。こっちに来てたんだ!」
どうやって来たのかは分からない。
オレが帰ってきた方法と、同じ方法を使ったのかは分からないが、彼女が現世にいるというのは、紛れもない事実だ。
オレが不知火の事を教えると、絵馬は大して驚いていなかった。
「あぁ、会ったんだ」
まるで、知っていたかのような口ぶりだ。
「だからさぁ。私、この前神社に行こうって言ったじゃん」
オレが休みの日、絵馬に誘われたのだ。
その日は家の掃除やら何やらで忙しく、結局行けなかった。
絵馬はふてくされていたが、知った事ではない。
居候している元閻魔のことも、オレは大嫌いなのだ。
絵馬は茶色のロングスカートを膝の裏で折って、オレの隣に座る。
「女心分かってなさすぎ」
「知らねえよ。心に男も女もあるかよ」
「はぁ~~~~~っ。やだやだ。だから、モテないんだよ」
誰かに好かれた記憶なんてない。
特に女子からは気持ち悪がられていたから、イジメられはしたけど、好意的に話しかけられることはなかった。
「だいたいさ。この寒空の中、女の子一人を外に放置ってあり得なくない? アンタが寝る前に、こっそり鍵開けて、中に入れてあげたんだから」
「……は?」
オレの知らない所で、何かが起きていた。
「聞いたよ。不知火とエッチしたんでしょ」
してない。
断じて、そんなことはしていない。
オレは未だに童貞のおっさんである。
「アンタが何度も行為をせがむから、仕方なく相手したって言ってたよ。で、子供ができたら、責任取ってもらわないと、って。籍は入れられないけど、一緒にいる事はできるでしょ」
軽蔑の眼差しを向けてくるが、オレからすれば事実無根である。
どうして、一部の女というのは、相手が男というだけで、ありもしない濡れ衣を着せることを好むのだろう。
しかも、確認さえしないで、感情の一つを鵜吞みにして共感し合うのだ。
――邪悪。
二文字の言葉が頭に浮かんだ。
前もって言っておくが、絵馬と不知火は同類だ。
自分の口から『男は嫌い』や『男は生まれた時点で罪』と言ってくるほどだ。
一方で、ちゃっかり彼氏を作ってたり、結婚願望があったり、訳の分からない部分がある。
絵馬に彼女の事を相談したところで、絶対に味方するとは思えない。
オレは頭を抱えた。
厄介な女が――増える。
どれだけ深刻なことか。
「あの子、男っ気なかったからさ。初めて奪った以上、責任取りなよ。おっさん」
「お前、バカじゃねえの?」
「なん……っ、人が親切に忠告してあげてんじゃん!」
「余計なお世話だっつうの! どうして、オレが奪ってもいない初めての責任を取らなきゃいけないんだよ!」
「あ~あ、いい歳こいてヤリ捨てとか。最悪。バーカ。死ね」
掴みかかってくるちびっ子を手で退かし、オレは立ち上がった。
そして、何気なく玄関の扉を見た。
玄関の扉は、細長い木の棒がはめ込まれている作り。
棒の向こう側には、曇りガラスがある。
このガラス越しに、人影があったのだ。
人影は何をするわけでもなく、ジッと佇んでいる。
「おぁ、来た来た」
「……来やがった」
戦慄するオレを前に、絵馬が扉の方に近づく。
鍵を開けようと伸ばした手を掴み、慌てて絵馬の小さな体を抱きかかえた。
「や、やだ! 離して!」
「馬鹿野郎! 鬼は外! 福は内だろ! 正確にはお前も外だけどな!」
身を捩って逃げようとする絵馬をしっかり抱きしめた。
子供が悪さをした際、殴るわけにはいかないので、全身で止める親の図である。
オレ達が格闘していると、今度は扉の方から音がした。
――カチャ、カチャ。ガチャ、ガチャ。
カギを閉めているので、ほんの少しの隙間しか開かない。
ガッチリ固定されているタイプではないし、年数が経ってるので老朽が進んでるためだ。
それでも、扉は開かないのだから、普通は開けようとしない。
なのに、ガラス越しに立っている不知火は、狂ったように開けようと踏ん張っているではないか。
『開けて』
「悪い。帰ってくれ」
ガチャ、ガチャ。
『ぐじゅ……ひっぐ……開け……てよ……』
不知火は泣いていた。
鬼の目にも涙、だろうか。
『開けて。ねえ。お願い。開けてよ。酷い。覚悟決めてきたのに。開けてよ。ねえ! 開けろ! 開けろおおおおお!』
開けようとしていたのが、途中から扉を叩くのに変わっていた。
ガタガタと揺れる玄関の扉。
鬼は力が強いので、扉がいつまで耐久するか分からない。
絵馬はというと、オレの腕の中で大人しくしていた。
ボケーっとした顔で、扉を見つめている。
――バン、バン!
――ガチンっ。ガチンっ。
変な音がした。
不知火は扉越しに何かを振りかざし、扉に叩きつけている。
「や、やめろ! 扉が壊れる!」
『お前が悪いんだ! 忘れないって言ったくせに! 私の事、好きな癖に! どうして、こんな仕打ちをするのよ!』
「な、何を言ってるんだ。……やめろ。やめてくれ!」
彼女の行動に怯えていると、腕をすり抜けた絵馬が扉の鍵に手を伸ばした。端っこと真ん中の鍵を開けると、不知火の暴挙は収まる。
扉が開かれ、向こうに立っていた不知火は涙と鼻水で顔をグシャグシャに汚し、オレを睨みつけていた。
「ふーっ、ふーっ。ぐずっ。んぐっ。……殺し、てやる」
「よすんだ。こんなのは間違ってる」
断りもなく、鬼が家の中に入ってくる。
鬼は外にいないといけないのに。
鬼が自分から家の中に土足で上がり、オレを追いかけてきた。
かくいうオレも土足で家の中に上がった。
玄関から廊下に移り、薄暗い中、鉈を振り上げて迫る不知火に開いた口が塞がらなかった。
「うわああああああ!」
絶叫した。
怖すぎた。
尖った目がカッと見開いて、鉈を振り上げる姿が恐ろしかった。
しかし、鉈は振り下ろされない。
「やめて」
静かに制する声。
いつの間にか、不知火の隣には、セーターとジーンズ姿の女幽霊が立っていた。
この女幽霊こそ、オレの大好きな思い人。
ミツバである。
不知火の手首を掴み、後ろに捻り上げ、あっという間に鎮圧。
情報量が多いかもしれないけど。
オレはあの世に行った際、このミツバを助けるために、色々と動き回った経緯がある。
スラリと背が高くて、全身の筋肉は皮が突っ張るほどバキバキ。
青白い肌は、一時的に肉体を魂が抜け、幽体離脱しているから死者の肌色をしている。
歳を重ねたことで、若い頃にはない色気を持ち、黒くて艶のある長い髪は、後頭部で一つ結び。
シャープな顔の輪郭といい、鋭い目つきといい。
どこまでも容姿端麗で、素直に美しいと言える女だった。
オレの思い人、ミツバは不知火をうつ伏せにすると、視線をオレに向けてきた。
「……どういう状況?」
「え、っと」
「こいつが! 私のことを裏切ったの!」
最悪の修羅場だった。
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