病んだ鬼娘に毎日絡まれる
烏目 ヒツキ
病み鬼襲来
寒空の下で
あの世がどんな場所か。
臨死体験をした事がある人でない限りは、知ることがないだろう。
オレは知っている。
地獄はどこまでも地獄。
天国はある意味地獄。
中間にある、天国か地獄かを選別する冥府も地獄。
ようは、全てが苦しみに満ちた世界だ。
オレは特殊な力を持っていないし、むしろ一般人より何もできない、ただのおっさんである。
毎日、鏡に映るのは、無精ヒゲを生やし、疲れ切った男の顔。
金がない。
恋人はいない。
友人は三人いる。
家には、あの世から連れ帰った女の子がいる。
どこから説明すればいいのか、まったく悩ましいが、全て事実である。
あの世に行くハメになったのは、夏だった。
それから数か月経ち、今は冬。
オレーー佐伯リョウは、雪の降らない寒空の下で、冷気に身を震わせて、とぼとぼ歩いている。
周囲には、頼りない外灯が一本。
片側は線路があり、反対側はとっくに閉店した個人経営のスーパーがある。
道なりに真っ直ぐ歩き、途中で階段を下りて、ガードの下を潜り、ちょっとした近道をするつもりだった。
口から吐き出す白い吐息を何となしに、ボーっと見つめ、今日の献立を考える。
「小麦はあるし。お好み焼き……」
いい歳こいて、独り言をブツブツと口にした。
独り身なんて、所詮こんなものだ。
誰が聞いてるわけでもないし、おっさんになった今、カッコつける事もしない。
だらしない所が表に出てくる歳なのだ。
ブツブツと呟きながら、スーパーを通り過ぎた辺りで、ふと前を見た時だった。
暗い道に誰かが立っていた。
寒空の下で、防寒着を着る事もせず、それはいた。
立ち止まって様子を見ると、そいつは自分からこっちへ歩いてくる。
葬式に着るような黒い着物。
生地からして、高級感のある艶をしていた。
着物には茶色の長い髪が掛かっている。
髪は全体的に曲線が掛かっており、見た感じでは柔らかい髪質。
白い肌をした女は、目の形が鋭く、やや尖っていた。
そして、頭には二本の角。
目の前にやってきた女は、何か言いたげに口を噤む。
外灯の明かりを背にした姿は、不覚にも美しいと感じた。
暗闇に咲く高嶺の花。
女は後ろ手に何かを持っていた。
影の輪郭を見ると、柄があり、その先は平たい板のような物が伸びている。
女はオレを見上げては、視線を落とし、モジモジとした様子で言った。
「……き……来ちゃった」
開いた口が塞がらなかった。
つい、この間まで見た顔。
「
という女だ。
見たまま、彼女は人間ではない。
正真正銘、本物の鬼。
腕力は人間以上で、腹を殴られると一時的に窒息する攻撃力の持ち主。
あの世では、とてもお世話になった。
――憎たらしいくらいに。
「なん、で、こんな場所に」
「後……追いかけてきたから……。あ、アンタが、寂しがってるんじゃないかな、って」
そんなわけない。
オレはこいつが嫌いなのだ。
憎いのだ。
こればかりは、性格的な相性が関わっている。
容姿の問題じゃない。
傍にいるだけでストレスになり、オレは心身ともに疲れ切って、心が荒んだ思い出がある。
嫌悪感と驚きで、呼吸が震えた。
自然と後ずさり、尻餅を突いてしまう。
尻には冷え切ったアスファルトの温度が伝わってきた。
「ハァ……ハァ……。そん、な。夢、みたいだ。嘘だ。これは、夢だよな」
不知火はさらに近づき、真横で屈む。
屈む仕草は、品のある膝の折り方だった。
それすら虫唾が走り、手足がガタガタと震えた。
「夢じゃないわよ」
ぐいっ。
頬を摘ままれて、オレの感情は臨界点に達した。
「……バーカ」
「う、うわあああああ!」
寒空の中、オレは絶叫した。
「え、ちょっと!」
悪夢から解放されたと思った。
思い込んでいた。
不知火に背を向けて、オレは一気に走り出す。
彼女の顔を見ると、全て思い出すのだ。
男を心から見下した言動。
高飛車な性格。
憎たらしい笑顔。
天国では、奴の角を使って、チャラチャラした男を撃退したことがある。
全ての記憶が、沸騰した泡のように脳裏へ浮かんできた。
「そんなッ! 嘘だ!」
階段を下り、途中で転びそうになるが、構わずにオレは走った。
着地した衝撃で片足に力が入らないが、意地でも足を動かし続ける。
ガード下を潜り、短いトンネルの中を駆けていくと、オレの乱れた呼吸音だけが辺りに響いた。
「……もう、終わったはずだろ!」
オレの叫びに答える者はいなかった。
「何が⁉」
「え⁉」
否。
すぐ後ろにいた。
着物姿だというのに、もう追い付いてきたのだ。
息が止まり、今度は後ろを振り向かずに走り出す。
地獄に終わりはなかったのであった。
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