第二十八節「運命は引き裂かれた」

 選べない。選べるわけがない。俺の心は、悲鳴をあげていた。

 魔女として、神様は殺すべきだ。だが、人を護るなら、人から魔女へと堕ちた師匠を殺す必要がある。どちらも無理だ。

 出来る訳がないと、絶望を胸に秘めていると師匠はまた語り掛けてきた。


「エウリカ。師を殺すか、この神様グレイスを殺すか。はてさて、あんたはどう抗うんだい? 見せておくれよ。その覚悟を。役不足だなんだと言ったんだから、あんたはこれをどうにかする方法があるんだろう?」


 師匠は覚悟を決めた表情のまま、眉を動かさず、ジッとこちらを見つめていた。

 だが、どれ程の時間が立とうが、俺は師匠の目を見る事は出来ず、隣に居たグレイスを見ていた。


 その視線は沈んでおり、今にも泣きだしてしまいそうになっている。多分、殺されるなんて恐怖からでは無い。


 ……あの視線は真実を知った者の末路だ。

 

 願いなんて物は叶えれば叶える程、欲望も強くなっていって、しまいには絶望以外残らない。それは神様だって同じだ。


 グレイスには、これから先の旅路。それも、希望に満ちたの物語があった。憂いなく、楽しい日々を過ごすだけの日々で、変哲の無い冒険譚。

 そんな小さな願いを叶えてようとしただけなのに。


 グレイスはこの世界を壊すと知った。真実を知ってしまった。絶望を理解した。

 

 当然、魔術においては知ってしまった真実は変わらない。

 くどいように何度もそれを思い出す。きっと、俺が幾ら止めようとしても、グレイスはいつの日か世界を破滅を導く。だからこそ、選択は二つの内、一つしかない。


「私、この世界を壊してしまうんですか……? シャルロッテ」

「神様、あんたは悪くはないんだよ。私の問題をあんたに押し付けてしまったんだから」


 師匠はグレイスに近寄りながら、背中を擦り始めた。師匠も分かっているんだ。

 ふん、悪鬼ゴブリンの目にも涙とはよく言ったもんだ。繰り返したからこそ、師匠も分かっている。


 これは止められない真実だと。いつの日か、グレイスは世界を壊すだろう。それはどんなに頑張っても、変わらない。

 そして、師匠はまた過去は巡る事になる。グレイスのした過ちを、無かった事にする為に。

 変わらない日常を繰り返す日々なんて、味気ないスープと変わらない。


 なら、俺が考えるべきだろ。考えろ。考えるんだ! 

 不可能を可能にするのが魔女なんだろ!! 表舞台に戻ると言ったのは俺の方なんだから。――冷静に事を考える。師匠は言っていた。


 泣いても泣かなくても、真実は変わらない。と、なら何故、師匠は今になってこの事を伝えた? 普通、黙ってればいい。

 失敗に終わった過去の事など選ばずに、別の選択肢を選ぶべきじゃないのか。それをせず、わざわざ、主導権を俺に委ね、結果を求めてるんだ。

 きっと、俺には何かできる事がある筈なんだ。


「エウリカ。真実を知った今、時間は無いと覚えておくんだね。直に分かる事だけども」

「おい、待て。ババァそれはどういう意――」

「ぎょぇえぁあ!! エウ様ぁ! 早く、来てくださいれすぅ!」

「くそっ! なんだってんだよ!」


 ジートリーの悲鳴が聞こえた途端、俺はすぐさま、部屋から飛び出した。

 悲鳴の聞こえた方へと足早へと向かえば、ジートリーが床にへたり込み、そいつが俺達を覗き込んでいる。そこに居たのは、不確かな存在だ。


 手足があり、頭があって、眼も鼻もかたどっている。常識で考えれば、間違いなく人の造形と変わらない。――但し、コイツの魂があれば。の話だが。


「ひぇっ、あれ、何なんれすか! ゾ、ゾンビれすか⁈ あ、悪霊は消えるれすぅ!」

「馬鹿!! 何やってんだ、ジートリー、早く、逃げるぞ!!」


 俺は両手で十字のマークを作ろうとするジートリーを引っ張る様にして、抱き上げた。そして、師匠とグレイスが居た方へと走りながら、思考する。

 ありゃなんだ。魂が無い存在なんて、あるのか……⁈ 


 クソ、なんだってんだ! とにかく、今はこの場所から脱出するのが先決だろうか。後で、ルーナと合流して、俺のアトリエにでも時空間魔術で飛べばいい。


「神様、師匠。あんたらの問題は後だ、後! ここからにげ、るぞ……」

「なんれ、すか。あれ」

「見るな!! ジートリー!」


 ――俺は絶句した。

 逃げ場として、先程二人が居た小部屋のドアを開けると、その先にあったのは、二人の死体だ。

 グレイス、師匠。そのどちらもが生気が宿っていない視線をしていた。

 

 咄嗟に、俺はジートリーの目を手で覆い隠すが、……きっと視えてしまった事だろう。


「なんで……。何してんだお前らぁあ!!」


 俺は激怒の声を叫ぶ。すると、お互いの身体はするりと座っていた椅子から崩れ落ち、床へと倒れ伏せ込んだ。

 倒れ込んだ途端、何か得体の知れない刃が、床に突き落ちたのが見えた。これが、二人はお互いの胸を貫いていたようだ。


「クソ、クソっ! なんだってんだ。一体、何が――」

「エウ様っ、あれが、あれが! 来てるれすっ!」

「分かってる!!」


 だが、理解をする暇は与えられない。ジートリーは抱き抱えられたまま、声を出した。きっと、奴が来ると言いたかったんだろう。確かに、奴らが来る足音が聞こえていた。

 すぐさま俺は咄嗟にドアを背中越しで塞いだ。途端、どん、どんっ! と、閉じたドアから衝撃が弾く。奴だ。奴が来ている。

 ――クソ。糞が!! 弔う時間さえないっていうのか。


「かの地、盟友と呼ばれし者達には、夢幻の大地と謡われ、さりとて、事実と根底は真逆であった。史実とは、希薄な存在であり、夢追おう物を食い散らかす――」


 俺は遥かなる時空論ディスタント・タイムを唱え始める。

 勿論、二人の死体も連れて行く。まだ死んだばかりなら蘇生魔術でどうにでもなる筈だ。魂だって消え去ってない。幾らでも、やりようはある。

 諦めるんじゃない。頼む、詠唱、間に合え。間に合って、くれ――。


「がっ、あ」


 突然、ドアから突き刺された刃が、俺の腹を突き刺した。

 ぐり、ぐりぐりと繰り返される。抉られる痛みに耐えかね、口から、腹から、血を噴出した。そのまま、苦痛に耐えかねた俺は、抱えていたジートリーを放り投げるようにして手放して、前のめりに倒れ込んだ。

 広がる血溜まり、それでも尚、俺はジートリーへと手を伸ばした。


「あ、がっ、い、痛い。れ……す。エウ、様」


 俺の胸に抱えていたジートリーも又、肉体を抉られてしまっていた。

 そんな痛み、幼子に耐えられる痛みなんかじゃない事は分かっている。一瞬は離した身体を抱くようにして、俺はジートリーの傷口に手を当て、魔術を唱えようとする。

 

「ジー、トリーっ、今、すぐ治してやるからなっ!」

「……ぁ、ぅっ。ぁ」


 ――だが、ジートリーの灯火はいともたやすく、フッと消された。まるで、一息吹きかけただけなのにだ。


「あ、ああ」


 俺は全員を目の前で死なせた。幼子を、神様を、師匠を。大量の血が、それを物語っている。


 そして、ドアは塞いでた重しが無くなったと分かったのか。ドアは激しく、破壊された。先程の存在だ。不確かな存在は、間違いなく俺達を殺しに来た。目が合い、俺は視界が歪んでいく。あぁ、抗えない。

 結局、どの過去も、どの未来も。失われる運命にあったんだ。師匠の言っていた時間が無いというのはこういう事なのか。

 真実は、誠に残酷なんだ。

 そう、感じ取りながら。俺は死なない身体に、現世へのさよならを交わした。

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