第二十六節「帰宅」
無事、師匠のアトリエに着くと、平然とした表情で師匠と笑顔のジートリーは手を振ってきた。
ただの出迎えに過ぎないんだろうが、事が終えた後だ。ホッとしていると、俺に気付いた師匠が声をかけてきた。
「お疲れ様。無事、異端審問会は終わったのかい?」
「エウ様、ご無事で良かったれす!」
「まぁな師匠。それと、ジートリー、ただいま」
ジートリーは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。俺は頭を撫で返すと、ふへへ~。と、いった腑抜けた顔で俺の手へと抱き着いてきた。
普段通りなら、こうも可愛げはあるんだがな。そう思いながら、ジートリーを離れ、俺は師匠に耳打ちをするように話を伝える。
「師匠に聞いておきたい事がある。あの小部屋で待っててくれないか」
「何だい、改まって。まぁ、弟子の話を聞くのも師匠の役目だからね、聞いてやろうじゃないか」
師匠は、頷きながら、視界を横に振る。何か、気になる事でもあるんだろうか。
「ルナの奴は何処にいるんだい? 姿が見えないけど」
「あぁ、ルーナならちょっと事後処理に回ってもらってる」
「そうかい。珍しいね、ルナが言う事を聞くなんて――こりゃ、明日は大雨だよ」
師匠の視線は暗く沈んでいく。杞憂にも感じ取れるその視線の先は、何故か神様の方を向いている。神様もお互いの顔を繰り返し見て、どうすればいいのかと言った表情を浮かべている。
まぁ、元々グレイスについても話すつもりだった。ノルンと名乗っていた以上、コイツの話をしない訳には行かないからだ。
「グレイスも来てくれ」
「は、はい! 師匠!」
「だからその師匠はやめろって言ってるだろうが! エウリカで良いっての」
コイツ、本当に人の話を聞かないな。俺は不安に感じながらも、前と同じ二階にある小部屋へと入っていった。
* * *
「それで、話ってなんだい?」
ジートリーには、掃除をするように仕向け、俺とグレイス。紅茶とクッキーは用意せず、ゆったりとした様子で師匠は椅子に座っていた。
俺はグレイスに一瞬、目線を向けた後、すぐさま思いの丈をぶつけた。
「師匠、あんたが俺の虚偽申告をしたって聞いたが、本当か」
「あぁ、その話かい」
「その話って事は、否定はしないんだな?」
師匠は沈黙する。――真実は無言を貫く。
それを知って尚、師匠は動こうとはしない事に、俺は苛立ちを覚える。嘘だと言ってくれ、間違いだと言ってくれ。
そんな心の中の言葉は、ものの見事、打ち砕かれた。
「私がやった。それが、真実だったとして、あんたは満足かい?」
「師匠……」
「あぁ、大方何処ぞの馬鹿があんたに真実を伝えたんだろう? 本当、嫌になるね。噂ばっかり魔導士ギルドってのは。すぐに漏れちまう」
成程。
俺が師匠からアトリエに来いと言われた時の事を思い出す。確かに、師匠ならまず間違いなく自宅になんて連れて来やしない。それ所か、孤児が居ればそいつに鞭打つような人だ。そこら辺で野垂れ死にな! と、真っ先に言うだろう。
だが、師匠はわざわざうちに来いと言ってきた。
その時はジートリーを無下に扱いたくないからだとは思っていたが、今思えば辻褄も合う。前以てこのアーレスに来る事は伝えてなかったとしても、異端審問会があると知っていれば、待ち伏せて声を掛ける事も容易だろう。
「本当、なんだな?」
「何度も言っているだろう。真実だとね。――で、それだけかい?」
それだけ? どういうつもりだ。このババァ。俺を売る様な事をしておいて、悪びれる態度もせずに、呑気に威圧してきたやがった。
当然だろう。と言った顔に、痺れを切らし、俺が怒号を上げようとする、その瞬間、俺の口よりも先にグレイスが声を出していた。
「あの!! ――すみません、こんな事聞くのはダメかもしれないですけど、師匠はエウリカの事をどう思ってるんですか」
「どうって、ただの弟子さ。何か、問題があるのかい?」
「その、私は貴方達二人の事を詳しくは知りませんけど、……師匠と弟子なら、ちゃんと話を聞いてあげるべきだと思うんです」
「だから、こうして聞いてあげてるじゃないか。それともなんだい? 弟子の不出来の尻ぬぐいすら私はしなくちゃいけないのかい?」
「あの、私はそういう事を言ってるんじゃ――!」
俺はグレイスを手で抑え、静止させる。まだ、何か言いたげなグレイスの気持ちは分かるが、今、何を言っても変わらないだろう。
あぁ、師匠。あんたはやっぱり、嘘つきだ。
「師匠、あんたは昔からそうだ。何かあっても、何か辛くても話の一つもしないし、応じない。何がしたいんだ、ババァ」
「言うねぇ。だが、あんたじゃどうしようもない事さ。……放って、おいてくれやしないのかい?」
そう言って、師匠は席を立って、背中を向ける。
――師匠の肩が、震え始める。綺麗な髪の後ろ姿に、近くの風景を写す窓からはそれは薄らと見えた。師匠が、泣いている。必死に堪え、何かを隠している。事実を、嘘を、真実を。俺をまた、護ろうとしている。
そして、師匠は言った。
「馬鹿弟子、あんたはもう舞台からは降りたんだ。役目を終えた役者は帰って、平穏な世界に戻りな」
役目を終えた役者は帰れと。多分、俺が関わるなと言ってるんだろうが、俺はこの舞台から降りるつもりはない。
「ふん、バッカじゃねぇの」
「こっちにはこっちの事情があるんだ。あんたはとっとと、その神様とジートリーを連れて、辺境の村にでも帰るんだね!」
師匠は振り向き、俺を睨む。珍しく泣いている師匠の顔には、笑いそうになる。あんたにも涙はあるんだな。悪鬼のような性格してる癖に。
「じゃあ、分かりやすく言ってやろうか。役不足だ、ババァ。こんな舞台、いとも簡単に壊してやろうって言ってんだよ」
俺は言い放ってやった。何が起ころうとも、何を知ろうとも俺は魔女だ。師匠が立ち向かえないと思う舞台でさえ、俺は演じ切って見せようじゃねぇか。
「分かった。そこまで言うなら、語ろうじゃないか。全てを、ね」
師匠は不敵な笑みを浮かべた。それはいつもの師匠じゃないような気がして、まるで……そう。全てを見透かしたような顔だ。
こうして語られた師匠の物語は信じがたい物だった。
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