第二十四節「神様と魔女の約束」

 これは、ある日の昼下がりの事。異端審問会の始まる二日前の物語だ。


 俺とグレイスは街へと出掛け、買い物をし、優雅な日々の一日目を過ごした。それは誰もが思うだろう。その日は俺と神様。それと皆にとって、最高の日だった訳だ。

 

 魔女エウリカは靴の履き方を教えた。

 神様は何も知らない。踵を潰して歩くから痛がった。

 

 友達ジートリーは魚の捌き方を教えていた。

 神様は手を切った。赤く鮮明な人の血を溢し、すぐ泣いた。

 

 弟子ルーナは歌の歌い方を教えていた。

 神様は音痴だった。酷く聞くに堪えず、鳥達は逃げた。

 

 師匠シャルロッテは草むしりの仕方を教えていた。

 神様は汗だくになった。草が絡まって、また泣いた。


 その、どれもが笑い種に過ぎない思い出の数々は、思い出す度に笑いが出ちまう。実際、俺は異端審問会の直前、笑いそうになった。

 臆病で、無知で、馬鹿な神様は本当に何も知らない。だからこそ、教えがいのある神様だと俺は思った。

 それに対して、酷くご立腹な神様。届かないとはいえ、胸を必死にぽかかと殴ってくる。恥ずかしいんだろう、知らない事を、失敗だと思って笑われることが。

 

 それは見た目以上に、子供らしい感情とも思え、否が応でも、俺の身体の事を思い出した。


 魔女に、子供を産む機能は無い。造られた存在だからこそ、娘のようにも感じるコイツが羨ましくて、微笑ましいと思えてしまう。ジートリーにも同じような感情を一度持った事があったな。


 そして、コイツもジートリーと同じように言ったんだ。


「魔女、私に魔術を教えて下さい」


 俺は驚きを隠せなかった。


* * *


 二日目の早朝。俺とグレイスの二人は、木漏れ日の通るような森の中でキノコの採り方を教えていた時だった。

 その日はどうにも、一日が長いようにも感じる。


 背中からその言葉を投げかけられる。

 後ろを振り向くとグレイスの手には色鮮やかなキノコ。ふふっ、そうか。

 それがお前が食べられるキノコなんだな。俺は毒キノコしか採ってないグレイスを見て、また笑った。

 

「なんで笑うんですか。そんなに、私って可笑しいんですか。それとも、魔術は私には教えても無駄だっていうんですか!」

「あぁ、いや。そうじゃない」


 コイツは

 だからこそ、笑われたら不愉快になる。

 人は皆、知らない所から始まり、知ってる者からは後ろ指を刺されて生きる事になる。それは、神様も似たようなもんだろう。


 だから、馬鹿にされたと思うしかないんだ。グレイスはただ、不愉快な感情だけで支配されているに過ぎない。

 

 悪いな、グレイス。俺は馬鹿にしたつもりなんて何一つ無い。

 

「何も知らない無垢な存在に羨ましいと思ってるだけなんだ」

 

 そう言い放つと、グレイスは首を傾げた。


「知らないから、羨ましい?」

「あぁ、そうだ。知らないからこそ、良い事だってある」

「どうして? 神として、私は色んな事を知らなくちゃいけないと思います。辛くて、嫌な世界だって救わなきゃいけない、……神様って便利な道具だから」

「そうだなぁ。確かに、お前は偶像で、便利な道具だ。大変だろ、人の期待を背負って生きるのってさ」


 俺は上を向いて、溜息を吐く。

 魔女として人の願いを叶え続けた結果はどれも凄惨な末路を迎えてた。何故なら、人は奴当たるからだ。

 

 神もまた、同じだ。魔女とは違い、目に見えないだけで、望まれていない願いと望まれ続ける願いを叶えるだけの道具。だが、誰一人と神に感謝はしない。


 叶えられたら、良かったと喜ぶだけ。

 叶えられなければ、恨まれるだけ。

 

 だが、誰が願って欲しいなんて言ったか?


 魔女も神も、誰一人望まれて生きちゃいない。好き勝手生きたいし、楽しみたい。人の楽しさを、知りたい。

 だからこそ、神様と魔女は足枷を嵌めて、道化にんぎょうと成り果てるしかなかった。便利な道具、要らなくなったら、捨てられて、忘れられる。


 けど、その足枷はもうグレイス、お前には無いんだ。

 今まで救えなかった世界の事なんて忘れて、このアルカレスカの世界で好き勝手生きれば良いだろう。勿論、悪い神様に成ろうってなら、俺がお前を殺すまで。

 それぐらいだ、魔女に出来る事なんて。


「旅でもしたらどうだ? 知る事は良い事だ。でも、魔術は教えねぇ。それはお前を殺す為の方法だからな。お前が知っちゃいけない事なんだ」

「……旅の仕方を、私は知りません」

「ははっ、そうだな。そうだった」


 グレイスは黙って、こちらを見る。あぁ、なんだ。その冷たい目は。俺が最初に首を絞めて殺そうとした時と、何も変わっちゃいない。馬鹿にしてるんじゃない。

 知らないんだからこそ教えてやろうって言ってるんだ。


「旅ってのは、好き勝手に生きるって事だよ。いや、少し違うな。んー……迷子になってみるんだよ」

「まい、ご?」

「お前が体験したような暗くて何もねぇ迷子じゃねぇよ。色とりどりに溢れる迷子だ。この世界は広いし、誰だって独りなら迷子になっちまう。浮かれて、目的を忘れちまうんだよ」

「目的を、忘れる」

「そうだ」


 目的を忘れ、羽伸ばして、自由に吞んだり食ったり。そんな旅路に出てしまえば良い。――だが、グレイスの視線はまだ沈んだままだ。

 憶測ではあるが、グレイスは死ぬ事を恐れている。きっと、神様っていう願われる立場であれば、何も考えずに済むからと。そんな泥沼のような場所から、抜け出せずにいる。


「私は、神様です。神様である以上、好き勝手には出来ません。ちゃんと願いを叶えなくてはいけないんです。……だから、殺して下さい」

「また、それか」


 神様は俺に死ねと願われたとずっと思ってやがる。だから、願いを取り下げても殺される為だけに生きて、何も言わぬ骸になりたいと言い続けてる。

 

 本当に、臆病で、無知で、馬鹿な神様だ。


「分かった。じゃあ、自らの意思で動けたら、魔術でも何でも教えてやるよ。ついでにお前を殺すという願いも叶えてやらん事も無い」

「ほ、本当ですか? じゃあ、自らの意思ってどういう?」


 そうだな。どうやって、教えるかと俺は思考する。あぁ、いや、簡単じゃないか。俺はどっさりと持っていたグレイスの毒キノコに目が行った。 


「俺は今、キノコの採り方を今教えてるが、お前が持ってるそれは食えねぇんだ。毒キノコって奴で、それ食ったら死ぬぞ」

「えっ?!」


 グレイスは驚き、毒キノコから手を離す。どっさりと抱えられたキノコは、地に落ちてしまうが、それじゃあ駄目なんだよ。


「ははっ、まぁそうなるよな。でも、食ったって良い訳だ」

「ちょ、魔女⁈」

「うーん、糞マズイ」


 俺はおもむろに、毒キノコを手に取って食べる。毒が回っていくせいで、酷い倦怠感と吐き気を覚え、一瞬ふらついてしまった。だが、どうせ俺は死なない。

 本当に、便利な身体だな。死なないからこそ、こうして身体を張って教えれる訳だ。


「グレイス。今、俺が死ぬかもしれない。そう、思ったんだろ。それは真実だ。だがな、その死ぬかもしれないって想いに一歩踏み出せた時、その意思はお前をにしてくれるんだ」


 グレイス。

 お前は神様なんだろう? なら、自らの意思で、動け、藻掻け。そう思いながら、じっと見つめると、グレイスは不意に視線を逸らし、下を見つめる。 

 

 ――まだ分かんねぇのか。神様、何度も言ってやろうか。


 あんたの足枷はとっくの昔に消えてんだ。

 

 何も、願いを叶えるだけが神様じゃない。暴れ散らしたって良いし、望むものを選んだって良い。もし、悪い神様に成ったんだったら、それは俺の役目だ。

 お前が願われたと勘違いしてる通り、俺が殺してでも止めてやる。

 魔女として、神を罰してやるから、覚悟しとけって言ってるのに、まだ不安がってやがる。


「自分の意思……意味、分かんないです」

「あぁそうだ。神ってのは自由に好き勝手やれる。だからこそ、自分の意思が大事なんだ」

「分かんないです。全く、意味が理解出来ないです。神様は、願われる存在でしか無いんじゃないんですか?」

「はぁ。あのな、今まさに足りてねぇのはそれだ。自ら、死へと向かう覚悟を持てって事を言ってるんだよ」


 あの時、グレイスの先には、理解出来ない毒キノコを見ていた。


* * *


 だが、そんな奴がまさか、本当に自らの意思で俺に食らいついてくるなんて、誰が想像できただろうか。こんなにも、ボロボロになりながらも、魔女なんか助けても何の意味も無い毒キノコだろう。


 でも、コイツは喰らいついてきやがった。それが自分の意思って奴だ。グレイス。


 

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