第十九節「神獣の力」

 俺はルーナを信じる事にした。当然、力を貸してくれるならと、その間何もしてこなかった。二日間、ただボーっと過ごす日々や時折、師匠の手伝いとグレイスに世界の常識を教える日々が続いた。


 靴の履き方、掃除の仕方、金の稼ぎ方。……魔術の使い方についても聞かれたが、教えるつもりは無い。と、言ってやった。そうしたら、なんとまぁ。ふふ。


 ありゃ、今でも、


 アレのお陰で、久々に楽しい思い出が出来ちまった。

 その事が唯一、二日間の癒しと言えるだろう。

 対して、異端審問会への対処の一つもしなくなった俺に、師匠は心配そうに声を掛けてきた日もあったが、敢えて俺は問題無いと言ってやった。


 奇妙な関係とはいえ、師匠にルーナの事を伝える訳には行かないからだ。むしろ、師匠の事だから案外気付いてそうな気もするが。

 それはどちらでも構わない。師匠に害さえなければどうでもいいからだ。


 とまぁ、軽く二日間の思い出に酔いしれながら、俺は見えない瞼を開けながら、聞こえてくるざわついていた空間の中に居る。

 そして、誰かの声が響くと、声は止まった。


「静粛に、静粛に! では、これより、魔女エウリカの異端審問会を開始する」


 二日後、俺は異端審問会からの呼び出しで、師匠のアトリエから連れ出された。そして、目隠しをされたまま、両手を縄で縛られた。

 そのまま、何処かへと連れてこられた訳だが、ここが何処なのかさえ分からん。だが、複数の視線は感じる。しかも、その視線達は、ひそひそ声で笑っている。

 大方、俺の処罰内容が決まってると思っての事だろうが、……ふざけてやがる。


「魔女エウリカ、貴殿には我々からの質疑応答の権利がある。もし、一度でも応答がない場合、貴殿の記憶を抹消する事になります。分かりましたか?」


 俺は黙ったまま、何も言わない。言う理由があるか? こんなクソみてぇな事をしやがって。ったく、腕もぎちぎちに縛られて、痛い程だ。

 ちょっとは緩めろよ。魔女なんて詠唱をしなければ、何も出来ないクソ雑魚なんだから。


「返事は?」

「分かってるって。なんだ、俺は毎回返事しろって? 子供でも分かるぞ。それは黙ってたって、理解してるって裏返しぐらいだって事をな!」

「失礼ですよ、魔女エウリカ。貴方の罪はこの異端審問会において許されるモノではありません。愚直な行為は慎みなさい。これは貴方の今後を決める為の取り決めです」


 あぁ、そうかよ。クソ、これだから堅物は嫌いなんだよ。俺が悪態をついていると、微かながら俺を嘲笑う声が嫌でも耳に付く。

 気味が悪いだの、魔女なんて殺してしまえ。

 

 その声の正体は、多分魔術師ギルドの奴らなんだろう。まるで、人と魔女は違うと言われている気がする。

 同じ見た目、人と変わらず、食べ物を食べ、思い出を作り、必死に何かを頑張ろうとする。何ら人と変わらないのに。

 

 唯一、違うとすれば死なない事。人は死んで、魔女は死なない。それだけしか違いが無いのに、コイツらは魔女というだけで、俺を否定している。

 そんな戯言、今すぐにでも真っ向から否定してやりたいが、今は我慢だ。


 何せ、こっちには、神獣という奥の手があるのだから。


「静粛に、静粛に! 魔女エウリカ、貴方は禁呪であるラグナロクの発動をさせようとしましたね?」

「してねぇよ。そもそも、ラグナロクは一人で行えるようなもんじゃないだろ」


 それ以上は言わずに俺は黙る。そして、ルーナへの合図を何時出すかと伺う。

 ……しかし、本当にやるつもりか? 

 信用には値するが、。だってアイツは魔女を消しさってきた張本人なんだぞ。事が終わり次第、問いただす事が山ほどあるんだからな。


「次です。貴方は禁呪を使い何を企んでいたのですか?」

「あぁ⁈ してねぇつったよなぁ!」


 俺は声を荒げて、暴れる。ふっざけんな! 間違いなく、質疑に対して応答して、やってないと答えた筈だ。

 だが、応答の内容は勝手にした事になってやがる。腐ってんなぁ! おい!!


「ふむ。私達が嘘を付いたと。それでは、周りに確認しましょうか。この者の返事はどのような内容でしょうか」

「この者は発動させたと言ってました」

「異議なし。異議なし。異議なし」


 ……異議なし。


 男女の複数の声は、次々に響く。皆、異議を成してない。どう考えたってまともじゃないだろ! 俺は間違いなく、使ってないと言った筈だ。

 そもそも、ラグナロクは一人で本当に発動できない。だが、コイツらの考えは何一つ変わらない。


「満場一致で、異議がないとの事なので、魔女エウリカは禁呪の発動をしていたという事になります」

「いい加減にしろよ。てめぇら、良いか。耳かっぽじって聞きやがれ!」


 ここだ。と思いながら、胸一杯に息を吸い込み、助けを呼ぶ。――ルーナ、来い!! 


「指示が遅いんだよ! おっさん!」


 激しく何かの壊れる音。同時に、俺は縄の手錠をぶち破る。こんな縄で縛ったぐらいで、魔女を拘束できると思うなよ。やるなら、鉄製でやれ。それぐらいは必要だ。

 そして、引き剥がすように、目隠しを外すと視界は劇場のような場所で、ぱららと木屑が埃のよう舞って落ちてくる。天井裏に居たのか、ルーナの奴。


「つか、おっさんじゃねぇよ、お姉さんって言え!」

「やだよ、おばさん」

「はぁぁあ⁈」


 イラっとするクソガキのやり取りなど無視するように、カーテン幕からはざわついた悲鳴が聞こえてくる。

 死ぬだの、何だの言っているみたいだが、馬鹿なのか? いや、馬鹿なんだろうな。こうなる事ぐらい想定しておけよ。お前らが相手してるのは、魔女なんだぞ?異端審問会の奴らってのは、勝手に質疑応答だの面倒くさい事をしてきやがるんだから。俺だったら、問答無用でソイツを殺すぞ。だって、その方が楽だから。

 それより、俺も自分の身を守る必要がある。その前に、腰を落とし、がくがくと足を震えさせる男の元へと駆け寄り、胸ぐらを掴んだ。


「おい、お前。お前に聞きたい事があるんだが」

「ひぃいい!」

「え、そいつ生かすつもりなの? うーん、魔女ってお人好しだね」


 うるせぇぞ、ルーナ。ったく、コイツは大事な証言役だっての。一人残らず、全員消そうものなら後々不利になった時困るだろ。保険だ、保険。


「わわわたしはギルドから雇われただけで、お、おやめください。魔女様ぁ!」

「あぁだったら、早く、耳を塞げ。そうすれば、大丈夫だ」 


 掴んでいた部分を投げ捨てると、男は俺の指示通り、身を屈ませたまま、耳を塞いだ。

 コイツ、全員巻き込む気だったのか。自分の力がどれ程強大で危険な物なのかを理解しろよな。そして、同じように耳元を塞ぎ、ルーナの方へと相槌を打つと、ルーナは魔術を詠唱し始めた。


「祖の神、憎しみの果て喰い殺した月の神マーニの名において、発現しろ。我が名は憑神マーナガルム――ルーナ!」


 刹那、ルーナの遠吠えが鳴る。


 それは耳を塞いでいても、尚、心に響く声。

 それは強く高らかな声で、尚、同族を探し続ける声。

 それは孤独と言う名の憎しみを持ち、悲しみを訴えるひとりぼっちの声だ。


 同時に紫がかった靄がカーテン幕からすり抜けていき、ルーナの方へ向かっていく。その先へと視線を向ければそこには、純白の毛並みに身を包み、口から生えた立派な牙と憑神の名にふさわしい猛々しさ。

 それは、人から四足類の狼へと成っていた神獣の真たる姿だった。


 神獣フェンリル。またの名を。マーナガルム。何度見ても身震いしちまう――そう思った途端、俺は意識が飛びかける。

 体感がぐらりと揺らぎ、視界がぼやけ、倒れかけた。やっぱ、そうなるか。


「おい、大丈夫か。おっさん」

「おっさん、じゃねぇつってん、だろ」


 ふらついた身体を何とか立て直し、俺はカーテン幕を乱雑に開ける。

 当然、誰一人も意識が無い。口から泡を吹いてる者から、死んだ目のような奴だっている。流石って所だな、憑神の力は。

 耳塞いでたってのに、俺でも気絶しかけるってのは勘弁願いたいもんだが。


 憑神の力。それは、災禍という記憶だけに限られるが、記憶を喰らう事が出来る力だ。人は皆、罪や災いに対し無力だ。当然、それは神でも同じ事には変わりない。

 だからこそ、喰らってもらう。

 喰らった災禍は消え、無かった事になる。死んだ人の記憶も、居なかった記憶も。


 これは、憑神マーナガルムだからこそ出来る事、それがルーナが持つ能力だ。


 だが、魔女は災禍そのものだ。当然、コイツの声を諸に聞けば俺は霧散の如く消えるだろう。それ程、魔女の罪ってのは重いんだ。


「久々の元の身体だってのに、あっけないね。つまんないし。後、マズイ」

「マズイってなんだよ。それに、つまらんとか言うな。お前のせいでこっちはどれ程消えたか分かってんのか?」

「災禍は僕のご飯だからね。罪を、――憎しみを喰らってこそさ」 


 だららと垂れる涎と犬のようなはっはっと繰り返される短い呼吸音に合わせ、ルーナの姿は元へと戻っていく。

 何故か、衣類はそのものは破れておらず、元に戻った姿に俺は首を傾げ、疑問を聞く。


「なぁ、何で服破れてねぇんだ?」

「ばっ! 僕が変態とでも言いたいのか⁈ 今は、その……気にする必要も無いだろ。僕より、そっちの奴を見てやれよ!」

「はいはい」


 ルーナは珍しく声を荒げた。おぉ? こりゃ、何かタネがありそうだな。後で弄ってやろうか。つっても、今は事後処理が先だ。

 そう思い、先程の男へと視線を向けようとする――。


「えいっ」

「……は?」


 そのまま、背中をぐりぐりと抉られ続ける。血が噴き出して、尚、男の造り出した尖った魔術の刃は、深くへと刺さり貫通した。

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