第九節「師匠と弟子」

 この物語は、俺と師匠と出会った頃の話だ。


 当時、俺とババァの関係は最悪だった。何せ、人を殺したというだけで幽閉されたんだからな。

 勿論、師匠と弟子の関係ではあるものの、全ての知り尽くしてる俺に教えられる事など俺には何もないし、所謂、お目付け役を押し付けられただけに過ぎないと思っていた。


「全く、魔女が人を殺すなんてあっちゃいけない事だろうに。さ、授業を始めるよ」

「知らねぇよ、糞ババァ」

「言葉遣いも成っちゃいないね。その腐った脳みそを叩き潰してやりたいぐらいだ」


 ――だから、どうした? 

 たかが、害虫をひき潰したに過ぎないだけなのに、どうしてここまで言われる理由がある? 忌み嫌われ、人では無い扱いを受ける魔女様が、何故、人を殺したぐらいで騒ぎ立てられる? 

 ふん、本当にウンザリだ。人ってのは。


「さて、今日はこれだ。視線は事実。嘘は揺らぐ。無言は真実。エウリカ、分かったかい? ……しかし、このお茶意外と美味しいねぇ」

「知るか。つか、教鞭を持つ奴が茶なんか啜ってんじゃねぇ!」

「飲んじゃ悪いのかい? ほら、早く復唱しな」


 鉄格子の前に居るババァはそう語る。そう、鉄格子だ。

 内に居るは俺で、外に居るのはババァ。こんな薄汚くて、松明の一本程度の明るさしかない場所で幽閉されている。対して、ババァは広々とした空間でふかふかとした椅子の上で、優雅に茶を啜ってやがる。俺は見世物か! 

 第一、魔術を教えるとか言いながら魔術と関係無い事を言ってる事に俺は苛立ちを覚える。


 視線は事実? 嘘は揺らぐ? 無言は真実?


 どれも魔術に関係しないだろう。はん、ふざけたことを抜かして、俺を小馬鹿にしてるのか。


「なぁ、ババァ。いい加減ここから出せよ」

「駄目だね。ったく、真面目に授業を受けたら出してやっても良いと思っていたが、こんな馬鹿弟子クソガキだなんてねぇ」

「分かった。ここから出たら、お前を真っ先に殺してやる。魔女をキレさせたら、死に方は選べないと思えよ。ババァ」

「だったら、一生ここから出る事は無いだろうね。――さぁ、授業を続けるよ。ちゃんと復唱しな」


 そして、目の前にある石壁に映し出された文字が現れた。先程の三文が書かれている。クソ、糞糞。コイツは何様だ。

 勝手に師匠面しやがって、挙句、俺をこんな場所に閉じ込めて、あぁ、そうか。分かったぞ。てめぇ、俺の事が怖いんだな。

 でなきゃ、こんな檻の中に俺をいれたりしない筈だ。


「ほら、速く。復唱」

「やだね」

「あーもう、授業が全く進まないじゃないか。良いから、早く言いな」


 コツコツと指で、テーブルに悪態をつきながら、ババァはウンザリとしていた。

 俺はといえば、どうにかして一泡吹かせてやりたい。そう思いつつ、思考を巡らせ、ある事に気付く。俺はすぐに、それを実行する事にした。

 答えるのが師匠としての、努めだろう?


「なら、教えろ。これがどう魔術に関係するんだ。言っとくが、俺はこの三文の意味は。だが、俺に教えを説くんだったら、その魔術とやら、見せて見ろよ」

「ふむ……そう来たか」


 すると、ババァは眉を顰め、手に持っていたお茶の入れ物を机へと置いて、何かを考え始めたが、――残念だなぁ、ババァ。

 俺はこの世の魔術、全て知ってる。だからこそ、言える。こんな魔術、間違いなく存在はしないし、この引掛けカマかけでこのババァの無知さを嘲笑ってやる。いい気味だ。

 数日間は笑って過ごせる話の種だ、良い花を咲かせろよ。


「エウリカ。ふと、聞きたいんだが、私の大事な秘薬を飲んだかい?」

「は? 飲む訳ねぇだろうが、んな気色悪い物飲むかよ」


 それを聞いた途端、ババァは笑った。なんだってんだよ。秘薬ってのはなんだか、知らんが、ババァのテーブル横に置かれてるその謎の瓶の事だろ。

 玉虫色に光ったその液体は、どう見たって怪しいし。きっと、それの事だろうと、俺は勝手に思う。


「あぁ、揺らいだね。お前は今、言葉を出しただろう。嘘をついたのさ」

「はぁ⁈ 嘘なんかついてねぇよ」


 ふざけんな!

 秘薬なら、机の上にあるだろうが。どう見たって、空じゃないだろうが!

 それに、俺が飲む素振りなんて何処にも無かった。俺はしっかりとそれを今、確認する。――大体、嘘をツいてるのはお前の方だ。


 さぁ、早くそのエセ魔術を見せてみせろ。あまり、俺をイライラさせるな……!


「次に、視線は事実。お前は、何処を見ているんだい? もしかして、この秘薬かい?」


 たっぷり入ったその謎の瓶を持ち、チラつかせ揺らす。――クソ、人をおちょくりやがって。確かに見たのは間違いないが、だから何だと言うんだ。

 つか、やっぱりそれが秘薬なんじゃねぇか! 俺の予想通りとはいえ、ムカつくったらありゃしねぇ。


「――無言は真実になる。これを勝手に、ババァの秘薬だと思ったんだろう? だが、残念。これはただの薬品だよ。けど、秘薬になっちまったねぇ」

「……」

「無言は真実。そう捉えるけど、良いかい?」


 やられた。してやられた。あぁ、間違いなくこれは、だ。


 魔術は、魔法と違うことわりだ。


 嘘を真実へと塗り替える事が魔術の殆どだ。例えば、魔女がそこにある。と言えば、ある事になるし。無い。と言えば無い事になる。

 これが魔術の基礎になる。だから、あるものは決して変わらない。これは割り算の仕組みと一緒だ。


 1÷1は1だ。ならば、0÷0は? ――答えはこうだ。


 【なんでもかんでもすべてあり】となるし、【なんでもかんでもすべて無し】とも言える。何処ぞの屁理屈数学者達の造り出した答えでは、これを除外しろと言われている。

 だが、魔術では除外せずに考えている。これが魔術の全てだ。


 そして、今、間違いなくこの謎の小瓶をババァの飲む秘薬だと思ってしまった。その結果、アレは秘薬になった。視線は事実となり、嘘は揺らいで、無言は真実となった。


 ――でも、こんな魔術、俺も知らない。きっと、驚きを隠せないでいるんだろう。師匠の顔は不敵な笑みを溢していた。

 それに、師匠としての努めを果たしてしまった以上、俺は認めざるを得ない。この人は、間違いなく俺に魔術を教えてくれたのだから。

 

「これが、魔術の基礎さ。揺らぎ、事実、真実。その三つがあって初めて、意味を成すのが魔術。ほらほら、復唱しな」

「……視線は事実。嘘は揺らぐ。無言は真実」

「よし。良い子だ、エウリカ」


 静かにババァはこちらへと近寄ってくる。なんだ? 殴ろうってのか。それとも、罰の悪かった俺を殺そうってのか? 俺は色々と試行するが、結果はどちらでも良くなった。どうせ、コイツも俺の事を忌み嫌ってる。

 視線を落としたまま、俺は黙った。


 だが、どうしてか。覚悟をしていた事とは全くの予想外な出来事が起きた訳だ。

 ババァは鉄格子へと近寄った後、間から頭を撫でてきたのだ。それは初めての事で戸惑いを隠せなかった。撫でられた、何故? 

 俺は疑問をすぐにぶつける。


「俺が怖くないのか? って、俺は魔女だぞ! 撫でんな、ババァ!」


 手を払いのけると、ババァはそれでも撫でるのを止めない。なんなんだよ! 

 俺は魔女だろう⁈ そうだ。俺は、魔女だ。孤高で、誰からも愛されるべきではない存在だ。

 なのに、何でこんなにも嬉しくて、悲しい気持ちになるんだ。訳分かんねぇ。


「怖いさ」

「だろ! だったら、黙って――」

「……でも、師が、弟子を怖がってどうするんだい?」


 遮ったその一言で、俺はふと、視界はババァへと向けていた。

 そこには、不敵に微笑んでいたババァは居ない。

 屈託のない笑顔の視線を投げかけ、一生懸命に俺を震えた手でまた、俺の頭を撫でた。


「それと、弟子が成長した時、頭を撫でずにどうする。よく覚えたね」

「うぐっ、ふっ……あ、あぁ」

「なんだい、クソガキみたいに泣いちまって。馬鹿だねぇ、本当に」


 あぁ、あぁ――あぁ。

 沈めたくなるような恥ずかしい想いと胸一杯に刺さったその言葉で目の前が明るくなっていく。俺は戸惑いを隠さずに、ワンワンと泣いていた。

 ぼろぼろ、ぼろぼろと大粒の涙が溢れて止まらない。


 こんなにも辺りに吠え散らかしてばかりで、人を喰い殺した事があるような野良犬おれに、ババァは手を噛まれても尚、撫で続けた。


 怖がらなくても、良いんだと。独りじゃないからと言い続けながら。このババァ――いや、師匠は俺を唯一の弟子ひととして見てくれたんだ。

 人として見てくれて、ありがとう。師匠ババァ


 師匠との物語を締めた後、俺の視線はグズるように泣きまくった少女へ戻した。

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