第六節「うちの弟子に何してんじゃ、ぼけぇ!!」

「あんた、うちの弟子に、何かしたんじゃないんだろうねぇ……?」

「してないっての!」

「あ、でも、殴られそうになったのは間違いないですよ。師匠」

「ルーナ⁈」


 終わったわ。俺、終わった。


 目の前に居る師匠の顔は似顔絵とほぼ似た醜い鬼の形相へと変わっている。師匠は強く蹴り、誰の目にも止まらない速度で俺へと踏み出していた。 


 人には無理だろうな。魔女だったら、視える訳だが。

 そして、師匠が俺の間合いに近づくと、師匠は打ち出された矢よりも素早く、俺の下顎を捉え――。


「こんの、馬鹿弟子が!!」

「あがっ!」

「し、師匠⁈」


 いつの間にか、俺は

 師匠の立派な握り拳によって、間違いなく、人間が本来飛んじゃいけない高さへと打ち上げられていた。

 高さは近くの家々よりも高く、青空とした雲よりは低い高さまで。

 

 そして、丁度家の屋根が見えた辺りから、急速に落下していく。首から地面へと真っ逆さまになりながら、緩急ある速度を付けて、真下に見える地面へと突き刺さる。

 

 成程。これが走馬灯か。

 その刹那、師匠の元で学んでいた頃、幾度となく拳骨に殴られた事やジートリーが魔術を詠唱して失敗した事が、突如として浮かんできたのだ。

 本当に、ロクな思い出じゃないな、おい。


「うちの弟子に何してんじゃ、ぼけぇ!!」

「ちょ、おち、落ち着いて、下さい! 師匠!!」


 流石のルーナも、言った事が不味かったと思ったんだろう。

 だが、もう遅い。つか、師匠の身体を押さえつけるよりも先に、俺の身体を庇ってくれたって良いだろうが、ルーナ!

 

 そう、もう既に俺の首はへし折れていた。

 先程の走馬灯の想いではものの数秒で、反転した世界を映し出していたのだ。


 ――つか、したくて、したんじゃねぇ!! 

 って、言いたい。凄く言いたいんだよ。でも、首が明らかに変な方向に曲がってる。曲がっちゃいけない方に曲がってるもんだから、呼吸だってやっとの事だし。声はうめき声っぽいし。

 助けろよ。ババァ! お前の愛弟子、首へし折れてるんだぞ。

 俺じゃなきゃ、間違いなく、死んでるんだぞ!!


 ……よし、ここまでだ。

 こんな無意味な脳内ツッコミはここまでにしておこう。首が折れた以上、指をくわえて黙って行く末を見るぐらいしか出来ないのだから。

 まぁ、師匠が落ち着いたら、後で俺が治せばいい。それまでは取り合えず、事情をルーナから詳しく説明してもらうか、それとも、このまま抑え続けてもらうかの二択だろう。

 俺は首に手を当てがい、頭の中で魔術を唱え始める。頼むぞ、ルーナ。

 そのまま抑え込んでおけよ。これが終われば、後は軽い事情を説明して、納得してもらえば良い。そう思って矢先、俺の考えは真っ向から崩されることになった。


「あ、エ、エウ様!?」


 師匠のアトリエと思わしき家から洗濯かごと思わしきものを持ったジートリーがドアを開けて、現れた。こちらと視線が合うと、すぐさま洗濯カゴを放り投げ、舞う衣類。

 あぁ、マズイ。禄でもねぇ奴らが三人もそろいやがった。どう考えても、収拾がつく無くなる。

 そして、俺の考え通り、淡々とした会話が弾み始めた。


「どうしたんれすか! あぁ、首がごっきり曲がってるれすぅ! エウ様、即死してるれす!」

「え、誰。その子」

「あぁ、この子は今そこで死に損なってる奴の子供だよ。後、ジートリー、そいつは死んじゃいないよ。ゾンビだからね」

「ひぇっ! ぞ、ゾンビは悪霊退散するれすぅ!」


 ジートリーはすぐさま、手を十字にして、俺の向けてくる。だぁぁ、収まりが付かなくなるぞお前ら。っつか、悪霊とゾンビは違うって教えたよな、ジートリー?! 

 何か打ち合わせでもしてんのか。糞が! 

 だが、話はとんとん拍子で俺を抜いて進んでいく。首さえ折れてなきゃ、言い返せるってのに、何だってんだ。この状況は!


「人妻だったんですか⁈ うわぁ」

「そうさな。ルナ。間違っても、こんな風になるんじゃないよ。コイツには、隠し子がまだまだいるからね」

「……うわぁ」

「がっ、ぁっ、んがっ」


 声が出せないと見るや、糞ババァめ! 

 ニヤニヤ顔でとんでもねぇ事話し始めやがった。誤解だ。余計な事を吹き込むな。ルーナもそんな可哀そうな目で見るんじゃねぇ! 頼む。頼むから、禄でもない話に持っていかないでくれ。このままだと、死んでも死にきれねぇよ!


「うう、エウ様の首がこんなにも曲がって、ジーは悲しいれすぅ~。なむなむ」


 そして、ジートリーも拝むな! 

 え、何。コイツらそんなに薄情だったの? ジートリーすらも、この混沌とした状況を楽しんでるのか。

 俺が理解力が無いだけなのか。どちらにせよ、後で覚えてろよ。


「はっ。そうじゃないれすでした。可哀そうなエウ様、今れすよ!」


 おい、ちょっと待て。ジートリー。今なんつった。治す、だと? あぁ、ヤバい。コイツが詠唱した魔術が正しかった事は一度も無い。それは本当に回復魔術か? 

 即死魔術や死霊返しデスポイルだったら許さんぞ。


「育む大地、願わくば祖の祈りにて、安らぎを生む事なかれ」


 だが、俺の身勝手な二度目の脳内ツッコミを無視するかのように、聞き覚えのある詠唱をし始めるジートリー。

 ――あぁ、これは。

 間違いなく、俺が教えた魔術の一つだ。しかも、ちゃんとした回復魔術では、あるが、同時に、冷や汗が止まらなくなっていく。

 これは憶測にすぎないが、ジートリーは俺を治そうとしてくれているのは、間違いない。それは、有難い事だ。

 ただ、その魔術ではだ。ダメなんだ、ジートリー!


「あ、がっが!」


 今すぐ、詠唱を止めろ! 俺は手足をばたつかせ、とにかく止めるようジェスチャーをするが、詠唱は止まる事は無い。って、ジートリーの奴、目を瞑ってるから、こっちの意図なんて汲み取ってくれやしないじゃないか!


 あぁ、終わった。俺、死にます。ありがとうございました。


「――なれば、かの者に育む力を。憂う心を。癒しの力を」


 ジートリーは手を重ね合わせ、ゆっくりと手の指先を離さないようにして、花開く寸前の蕾のように膨らませていった。

 そして、ある程度の光がその中へと灯り始めた時、光は自分の首元へと向かってくる。


 止めろ。頼む、ジートリー! お願いだから、その魔術はヤバいんだっ――。


完全回復フローレスヒーリング!」


 届く事の無い俺の想い。

 当然だが、詠唱を終えた後、俺は悲鳴をあげた。意識が保てないと感じるぐらいには、痛みが全身へと向かってくる。


 そう、だ。


 首だけならいざ知らず、痛みは全身へと駆け巡ってきているのだ。

 ありとあらゆる動脈内の血が、沸騰するようなに揺れ動いてるのが分かる。そして、俺の身体は死にかけた魚のように動きまわってるに違いない。


「あ、ぁ。が、ぐっぁ――っ!!」

「師匠。何がどうなってるんです?」

「あぁ、そうか。ルナにはまだ教えれるような魔術じゃないからね。良い機会だ、教えてやるとするか。――ま、その魔術を受けたコイツは一週間まともに動けないだろうがね」

「どういう事ですか?」


 何か、言ってる。

 だが、俺には何も理解出来ない。聞こえない、感じない。唯一、視覚だけは辛うじて残っているが、それ以外の感覚を失いつつある。

 ――それだけじゃない。意識もだ。今は保つ事は出来てるが、以て数分。いや、それ以下かもしれない。

 

 何故ならば、真っ白になりそうな程、何も考えられないからだ。今だって、意識を手放してしまいそうになっている。

 

「あの魔術は、全身を造り替えるんだよ。分かりやすく言うんだったら、肉体分子の蘇生とでも、言おうか」

「造り替える。回復魔術って事ですか?」

「そうとも言える。ただ、分類としては蘇生魔術に近い魔術さ」


 薄らと見える視線は、歪んでいく。――取り囲むようにして、師匠とルーナ。そして、心配そうに見ている元凶ジートリー

 あぁ、そんな目で見るな……。

 特に師匠クソババァ!! 大体、その不敵な笑みは何なんだ!


 クソ、駄目だ。意識が、遠のいていく。段々、前も見えなくなる。

 暗闇が――視線を遮ってくる。


「ルナ。もし、お前が全身を造り替える際、それと繋がっている精神はどんな痛みを抱えると思う? 例えを出すんなら、整ったパズルを壊して、元に戻すって事さ」

「……」

「お、じゃない。どうやら理解したようで、何より。そうさ。この魔術は肉体と精神を切り離してから行う必要があるんだよ」


 俺は完全に意識を失った。

 

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