第二節「回想:師匠と俺」
俺と師匠には、もう一人の愛弟子が居た。
名前は知らない。知らないってのも可笑しい話だとは思うだろうが、本当に知らないのだ。師匠もおい。とか、お前。とか、そこの。なんて、名前を呼ばない言い回しばかりで彼女を呼んでいた。
だから、ある時に聞いたんだ。名前について。そしたら、彼女はこう答えた。
「名前は――無いの。うぅん、無いんじゃないんだけどね。私の名前呼ばれちゃったら、世界が
――なんだ、そりゃ。って、俺はあっけらかんとしながら、笑ってやった。でも、彼女の言う事は本当だったんだ。
「嘘じゃないよ。……本当の証拠、見せよっか?」
突然、彼女は上着を脱ぎ出す。突然の事に、俺は上ずった声で止めろと言うが、彼女はちゃんと見て! と、言ってくる。
そんなに見せたい事なのかと、思ってはグッと力を入れて閉じていた瞼を開く。すると、そこにあったのは彼女の背中に描かれた円形の魔術印だった。
だが、俺にはその魔術印が何なのかが理解出来ずにいた。何故なら、学んできた学術書では描かれていない紋様だったからだ。
「ね、酷い紋様でしょ? ――これ、ラグナロクっていう印らしいんだ」
俺は最初、何の事なのかと理解は出来なかった。何せ、魔術の世界に踏み入れたばかりの俺にとって、ラグナロクがどんなに恐ろしい魔術だったのかを知らなかったから。
「お師匠様が言うには、名前と直結した原初の魔術らしくてさ。今の魔術では絶対に
彼女は笑いながらそう言った。多分、楽観的な彼女にとって、それが恐ろしい物という捉え方が無かったのかもしれない。
名前が呼べないだけで、彼女が生きる上での障害とは思えなかったから。
「名前で呼ばれないって、ちょっと――寂しいんだけどね。でも、私は自分の名前を知ってるから、いつでも世界、壊せちゃうねっ? だとしたら、エウ君や師匠が絶望する事があれば、世界壊してあげられるなぁ~!」
同時に嘘だと、直感的に俺は感じ取った。
何故なら、彼女の背中から漂う哀愁が物語っていた。苦しむような声、見えてないだけで彼女は泣いている。
そんな彼女の明らかな嘘に、俺は間違った事を提示したのだ。
筆談なら、名前呼べるんじゃないか、知ってあげる事ぐらいは出来るんじゃないか。って
すると、少しして彼女の肩は震え、先程と同じような笑いを出した。
「――ふふっ、あははっ。面白いねっ。でも、そうだとしたらエウ君が初めて、知る事になっちゃうのかなぁ」
彼女は上着を着直し、向き直る。その直前、顔を袖口でぬぐうような動作をし、真っ赤にした目のまま、近くにあったメモを取る。
「うん、良いよ。エウ君なら、――起爆装置を渡すようになっちゃうけどね?」
さらさらと、彼女は書いた。そして、手渡された小さく書かれた文字。
……あぁ、これが彼女の名前なのか。
それを知った途端、刹那の如く、時計の針がかちかちと、瞬く
繰り返し、繰り返し。一秒、二秒と、重ねて行く事になっていると、五秒の針の音。
それが聞こえた瞬間。
――意識が、飛ぶ。
目を覚ますときには、彼女の肉体は亡き者になっていた。真っ黒こげになったまま、成り果ての姿で動こうとはしない。何故?
何故だと、俺は疑った。何が駄目だったのか、何が彼女をこうしたのか。名前を書いただけでも、駄目なのか。
知る事さえも許されないかと、俺は自分に問い続ける。何より――。
あのたった五秒の間に、何があったのか?
そんな分からないだらけのまま、師匠は呆然と立ち尽くす俺を抱きしめた。優しく、背中を擦る師匠。だが、何も語ってくれはしない。
ただ、言ってくれる言葉は一つだけ。
「お前は悪くない。お前は悪くない」
繰り返し何度も、悪くないと言ってくる師匠の言葉は、嘘とは思えない。なら、何故、彼女は死んだ? だが、理解出来ない事実は根底よりも低い海底へと沈んでいく他なく、思い出す事が無い記憶の片隅に置かれたまま、拾い上げられる事は無い。
同時に、俺が言ったその一言で彼女が死んだと思うと、精神異常に苛まれそう程の暗く閉ざされた想いが俺を襲う。
だから、忘れようとした。アレは――事故だった。偶然に起きた魔術の暴発で彼女の肉体は丸焦げになったのだと。
そう思うしか出来なかったのだ。
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