第6話 昆虫聖女「虫、好きー?」/ギロチン令嬢「買わざるをえない喧嘩を押し売られました」
》
聖女名、アイシャ・グリーンベレーの1度目の人生は、病室で幕を閉じた。
今では思い出すこともないほどの遠い記憶だが、人並みの幸せ、というものとは無縁のものだった事実だけは確かだ。
たとえば、日の光を浴びることができない。たとえば、1人で出歩くことができない。たとえば、テレビを見るのもネットをするのも許可が必要で、そのために体を起こしてみれば3回に1回は体調を悪くして再び床に伏せる。
そんな彼女だから、体調がいいときにいつでも手に取れるように、と、両親や看護師たちはよく本をプレゼントしてくれた。無論、部屋に置いておける量はたかが知れているのだが、いくつかのお気に入りはレギュラーメンバーとして、いつもアイシャの枕元に陣取っていた。
アイシャが、分厚い昆虫図鑑をことのほか大切にしていたことに、両親と看護師たちは首を傾げるばかりだったが。
》
聖女名、アイシャ・グリーンベレーは、3度目の人生、すなわち今、悪役令嬢軍の陣地を訪れていた。
「たのもーう」
そう言いながら見下ろす悪役令嬢軍の西門には、警備を務める近接系の令嬢たちが集まり始めていた。当然である。戦争をしている相手軍の主力が、唐突にたずねてきたのだ。
加え、アイシャは己が使役する中でももっとも移動能力に長けた、カマキリ型の使役体にまたがっていたものだから、令嬢たちの反応は当然のものであった。
カマキリの名はティス子といった。当然、「マンティス」というカマキリの英訳が由来だ。この名は実は第2候補であったのだが、第1候補はゲーム内で弾かれた。解せぬ、とアイシャは思った。
殺気立ち始めた令嬢たちに向け、アイシャは言う。
「そんなイキり立つなってー。別に喧嘩売りにきたわけじゃないんだからさー」
「ど、どの口が言いますのですかあなた!」
令嬢たちが独特のお嬢口調で反論してきて、アイシャは面倒を感じた。
確かにティス子は少し凶暴な外見をしている。見た目はそのまま巨大なカマキリだが、手にした鎌と胴体は金属質な甲殻に覆われ、さながら昔流行ったロボアニメの登場キャラクターのようでもあった。
だが、その中身は紛れもなく昆虫そのものである。生の体があり、節があり、目はどこを見ているかわからず、なんならハリガネムシも住んでいる。つまり可愛い。可愛いしエロい。ゆえに敵意や警戒を向けられる筋合いはないのだが、まあ無理強いするものでもないしな、とアイシャはいつも通りの納得をする。
……いけない、興奮してきたなー……。
アイシャはティス子の背にまたがったままムラッとしつつ令嬢たちに言葉を返す、という器用な真似を披露した。
「そもそもさ、あたしが所持する昆虫の半分は先日の襲撃で撃破されてるよー。今はみんな療養中ー。こいつはあくまで乗り物でー」
と、その時であった。
アイシャの背後、森の中から、2メートルほどのサイズをした無翼系の竜種――有り体に言えばトカゲだ――が唐突に飛び出してきたのだ。
結界のない悪役令嬢軍ではよくあることである。加え、ティス子という見慣れない生物が出現したこともあり、興奮もしていたのだろう。
トカゲは、バネを思わせる俊敏さで跳び上がり、ティス子の背に乗るアイシャへと爪を突き立てようとし、
「――」
風が通り過ぎた。
ティス子の鎌が、トカゲを上下に等分する音だった。
アイシャが言った。
「……敵意はないですよー?」
警戒に出てきた令嬢たちが倍の距離をとった。
》
赤の信号弾があがった後、レイネはグーラと共に陣地の西門へと赴いた。
以前、レイネがもふもふたちを必要以上の派手さでギロチン刑に処したのは別に趣味というわけではない。そうすることで、前世での知り合いがこちらに気づかないか、と期待したからだ。
果たして、ほぼ直後というタイミングで聖女のひとりがこちらの陣地へとやってきた。
単独であるからには戦闘系だろう、というグーラの談を信じるなら妹である可能性は低いが、それでも聖女軍の内情や手がかりを得られる可能性はなくもない。
そうしてやってきた西門では、門の外側を警戒する令嬢たちの人垣と、その向こうに巨大なカマキリの上半身が見えた。
……近くで見るとわりとグロいですわねー……。
カマキリの足元では、12歳前後と思しき白髪の少女が、悪役令嬢の1人と話し込んでおり、
「ほら、ここ。ぷにってするでしょー?」
「おお、ほ、ほんとにやわらかい……まぎれもなく動物のお腹なのに体温が低いのが不思議ですわ……」
「そうそうー。この子はまた極端だけど、夏とかは結構ひんやりしてて気持ちよくてー」
「これ、どうしてやわらかいんですわ? 脂肪とかではないですわよね?」
「おっとー。来たねー、グーラー。この前はよくもやってくれたねー」
「あ、あの! どうして目を逸らしますのですわ!? ちょっと!?」
なんだか白髪の少女が令嬢を沼に落とそうとしていた。周囲も止めろよ、とレイネとしては思うが、遠巻きに抗議の視線を送るのが限界だったのも解るといえば解る。
グーラが警備令嬢の人垣を割って進む中、レイネは尋ねた。
「グーラさん、この方、お知り合いですの?」
「向こうの主力だよ。名前はアイシャ。言っただろう、何度か協議があったのだと。その時に顔を合わせた……まあ、顔見知りだ」
「なんだよなんだよ他人行儀だなー。あたし、あんま悪役令嬢っぽくないあんたのこと、気に入ってるんだよー? あたしも聖女然した立ち居振る舞いは苦手だしー」
「だったら虫を勧めてくるのをやめろ」
「なんでだよー。別にGや多足系を推してるわけじゃないだろー。カブトとかカマキリとか、この陣地にも好きなヤツはいるくないー?」
「性的に好きなヤツは絶対いない」
ざ、と令嬢たちがアイシャとの距離をさらに倍とった。
》
聖女と悪役令嬢は戦争をしている。とはいえ常にいがみ合っているわけではもちろんなく、このように互いの陣地を行き来することもあるそうだ。
まあ、お互いが憎くて戦っているわけでもないのだ。何か不思議な関係性ではあるが、そういうものなのだろう、とレイネは納得をした。
陣地の中をグーラの先導で歩いていくのは、カマキリとその背に乗ったアイシャ。
そして、
「……なんだか夢のような光景ですのね」
「言葉通りにな」
アイシャとカマキリの背後からついてくるのは、荷物を背に満載した2メートルほどの甲虫の列だった。
甲虫の数はおよそ10匹。歩みはどうにも鈍重で戦闘系には見えない。専用の固定具をつけているあたり輸送用なのだろう。
アイシャが言う。
「ちょい前の襲撃の賠償ねー。食べ物が中心だけど、無くなった腕やら足やら生える飲み薬なんかもダースであるよー」
「それ何か特定の名前あるヤツじゃありませんの?」
「ゲームごとに名前違うからー」
聞けば、1回名前を統一しようとしたところ最後派とドラゴン派で内紛が起こりかけたのだという。ついでに物語派と女神派も加わってきたところで「さすがにまずい」となって今の状態に落ち着いたらしい。
「ていうかきみ、見ない顔だねー。新人ー?」
「あ、ええ。レイネと申します。ジャングルに放り出されていたところを拾われまして。ていうか賠償とかあるんですのね?」
「戦争だからねー。とはいえ負け1個で1発アウトってのも芸がないから、こういうので削りあいしてるってわけー」
「ではどうなれば『生やされる』ことになるんですの?」
「事前に設定した賠償を払えなくなるかー、先に100敗するか、かなー。今どうなんだっけー?」
アイシャの問う先、グーラが答えた。
「こちらが50敗、聖女軍が45敗、だな」
「先日のヤツは含まれますの?」
「いや、あれはマジで削りが目的の、布告なしの急襲だから含まれない。まあ結局削られたのは聖女軍になったわけだが」
「あははー、耳が痛いねー」
そう言いつつも、アイシャには特に気に留めたような様子がない。よくあること、ということなのか、それともアイシャが特別楽観的なのか、レイネは判断に迷った。
「それよりさー、グーラー」
アイシャが、話題を切り替えるように、身を乗り出しながらグーラへと話しかける。
「なんだ? 先日やった菓子ならもうないぞ。あれは料理系のスキル持ちが実験的に作ったものでな、材料も異世界ショップのスキル持ちが偶然引き当てたものだったからもう無い」
「あー、それは残念ー。あたし、地球だとろくにお菓子とかケーキとか食べられてなかったからさー。聖女の中にも作ってくれる人はいるんだけどー、なんかよくわかんないけど悪役令嬢のほうが料理スキル高いんだよねー」
「それは素の知識の差と……需要の差かな。悪役令嬢は料理ができるとポイントが上がるから」
「ポイントー……?」
何かアイシャが不思議そうに首を傾げているが、これも悪役令嬢としての生存戦略の話だ。
箱入りで育った令嬢が料理を披露すると、大抵の場合高感度が上がる。
聖女の場合も上がるは上がるが、出身がスラムだったり名家だったりとバラバラなので、必要に迫られる、ということが令嬢に比べ少なかったのだろう。
「ま、いいやー。別にお菓子ご馳走になりにきたわけじゃないしー」
「いらんのか」
「対価は情報でしょー? お菓子与えればいつでも情報出てくるATMだと思われても困るっていうかー」
「先日、令嬢のスキルで地球の銘菓がいくつか手に入ってな。東京銘菓『雛鳥』など」
「アンチマジック特性の付与はめっちゃ神聖力食うらしい上に対策が簡単だから今後は防衛戦闘にしか使わないって話だよー」
これはATMというよりガチャガチャか何かでは? とレイネは思った。
今聞いた情報を手元でメモしたグーラが、それをそのままこちらへと渡してきた。
「レイネ、これを」
「今の話のメモですの?」
「取り急ぎ先日の中央塔へ伝えてくれるか? グーラがアイシャから聞いたいつものヤツだ、と言って門番にでも渡してくれ」
「……いつものヤツ、で通じるんですのね……?」
「まあな。念話でもいいんだが、形にして共有しておくと後で情報部が勝手に精査やら裏取りやらしてくれるから」
よろしくねレイネちゃんー、と笑顔で手を振るアイシャを見て、レイネは、なんだかやっぱりゲーム感覚ですのねえ、と思った。
先日の中央塔、というのは、3日前にレイネが手足を拘束の上連行された白の建物のことだ。周囲と比べ高さがあり、かつ余計な装飾を省いたシンプルな建物なので嫌でも目立つ。
レイネの処遇は未だ保留のままだが、だからこそ彼女はこの3日こういった雑用を積極的に請け負っていた。何もせずに陣地内で過ごすのが居心地悪かった、というのもあるのだが、ある意味でこれも布教活動だ。
その末にたどり着いたのが、子供たちを相手にした遊具作りだったわけだが。
とはいえ、西門に程近いここから中央塔へは少しばかり距離がある。こういうのはやはり早い方がいいだろう。となれば移動手段が必要になるが、陣地内を定期的に回っている魔導馬車は辺りには見当たらない。
まあいいですの、とレイネは思い。足元にギロチンを作り出す準備を始めた。
……イメージとしてはカタパルトでしょうか? トロッコのようなものを作って操作で浮かせてもいいですが、それでは少し普通すぎ……いえ普通でよくないですの? どうなんですの?
「ところで」
レイネの背後で、グーラが話題をアイシャへと振るのが聞こえた。
「さっきお前、『お菓子食いにきたわけじゃない』とか言ってたな。てっきり私、タカりに来たんだと思ってたんだが」
「まあ半分はそうー。もう半分は賠償届けにでー、もう半分は遊びにー。んで、もう半分がー」
「今200パーセント越えたが」
会話を聞きながら、レイネはイメージを形作る。
……まあ、早いほうがいいですものね? だとしたらやはりレールに沿って走るより、一気に加速して射出してする方式の方が効率いいですよね。だとしたら滑走路は15メートルほどで、上空に向けて……ああ、トロッコよりスキー板状のほうがいいですかね? うん、飛んでいって……着地は……着地? ええ、アドリブで。
カタパルトを組み立てるため、足元にギロチンパーツを200ほど射出し、浮かせたままイメージを固めていく。
それと同時、レイネの背後ではアイシャがまたがったカマキリの頭を撫でながら、
「ほら、3日前さー。あたしの昆虫たちと、もふもふ部隊が手ひどくやられたじゃんー?」
「あー……うん?」
「賠償届けついでにー、ちょっと調査してこい、ってお達しでねー。『あのギロチン使いを特定して決闘してこい』ってさー。ぶっちゃけあたしもけっこうプライド傷ついたんでー、ちょうどいいかーってー。グーラ、あのギロチン使いが誰なのか知ってるー?」
「え?」
レイネがアイシャの方を振り返ると同時、射出された200のギロチンパーツが、レイネの足元で音を立てた。
アイシャとグーラの視線が同時にこちらを向く。
沈黙が落ちた。
「……いや、その」
だって、
「……し、視覚から外れると制御が少しですね、甘くなりますもので……」
ただ浮かせておくだけなら問題はないが、200ものパーツ数から目を離すと、少しばかりグラついて音を立てる。
見るとグーラが額に手を当てて嘆息しており、その隣ではカマキリに乗ったアイシャが笑みを浮かべていた。
レイネは問うた。
「……ちなみに決闘って、拒否権とかありますの?」
「正式なものならあるにはあるが」
グーラは、うーん、と考え込むような素振りを見せながら腕を組み、
「こいつの目的がたとえば『憂さ晴らし』とかである場合、あんまり意味がない」
カマキリが、アイシャが腕を掲げるのにあわせるようにして両の刃を振りかぶった。
》
悪役令嬢の陣地に、金属音が鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます