第25話 突破口

 まだ科学はおろか論理ロジックも存在しなかった時代。人間が“正しさ”を求めてすがったのは神であった。

 神は罪を忌み嫌うがゆえに正しき者を生かし、悪しき者を滅する。神であれば正しい選択を導くことができる。

 ……残る問題は一つ、すなわちいかにして神の選択を知るか?

 神聖なる水を神とみなせば罪人を縛って沈めて試し、獰猛なる毒蛇を神とみなせば罪人をその口元へと捧げて試す。

 水審すいしん盟神探湯くかたち。決闘。魔女裁判。

 “神との接触”を探求し、じを得る。

 人はそれを神判と呼ぶ。






を許すと思っていたのか?」


 扉へと伸びた『オーディール・ドアー』の手は、その寸前で止まっていた。

 あとほんの少しなのにどうにもならない、そして致命的な距離。


「統和……!?おい、どうなったんだ!?扉は開いたのか!?」

耳障りだシャラップ!」

「おい、統────」


 古御出の顔がスーツの布地に覆われていく。

 『ピーナッツ・プレーン』が軽やかなステップを踏みながら、フローリアの傍らで睨みをきかせていた。


「甘すぎるな、トーワ。いくらコーディーが脅したところで、私は自分を人質プリズナー駆け引きマインド・ゲームをするつもりなどさらさらない。『オーディール・ドアー』の発動トリガーを防ぐ、それが確実な勝利セーフ・ベット最優先事項トップ・プライオリティだ」


 フローリアは勝ち誇った笑みを浮かべながら、統和の方へ歩み寄っていく。

 不用意な接近ではあるが、彼女が恐れることはない。

 統和の身体は既に動きを封じられていた。扉に伸ばした右手と首から上を除いてコンクリートの中に埋め込まれていたのだ。


「く、くそっ!」


 統和は首を後ろに向けてフローリアを睨みつける。


「まさか豊姫を虐げていたときに仕込んでいたのか?袋を引きずりながら地面に触れて、殻に変える準備を……くっ!」

「今更、気づいても遅い。貴様にはもう扉は開けられんよ。な」

「っ……!!」


 『ピーナッツ・プレーン』が統和の脇を通り、扉の前に立つ。


「次は『オーディール・ドアー』自身そのものを繰り出すつもりだろう?やってみるがいい」

(無理だ……やるまでもなく)


 銃撃によって負傷している統和と、五体満足のフローリア。二人の身体の差は精霊能力の精度にも大きな影響をもたらす。

 『オーディール・ドアー』を繰り出したところで、その手が扉に届くことはない。

 それよりも前に統和自身と同様に埋められてしまうだろう。


「どうした?私の顔ばかり見て。扉は向こうだろう。貴様の最後の望みラスト・チャンス、やるだけやってみろ」

「……ははっ、随分とやさしいな。チャレンジさせてくれるのか?」

「なに?」


 統和は少しだけ肩の力を抜いた。

 フローリアの態度。それは油断や慢心というよりはエゴに近いものだった。

 彼女にはこだわりがあった。“自分が相手より上である”と相手に示した上で勝つ。

 だから彼女は統和の行動を待っているのだ、自分が後出しで上回るために。


「そのエゴがあんたの墓穴となる……『オーディール・ドアー』!」

「っ!?」


 統和の精霊が飛び出す。だが、その方向は扉とは真逆だった。


「正面突破が不可能なら裏口を使うまでだ!」

「まさか私を標的ターゲットに?いや、そっちにいるのは……!」


 フローリアには目もくれず、倒れ伏している豊姫の方へ向かっていく。

 何を狙っているのか、その答えはすぐに“形”となって現れた。


「と、扉がもう一つ!?違う、これは再形成リフォームか!」


 先に顕現した扉を開くことなく能力を解除し、別の場所に再び顕現させた。

 扉の場所を決めるのは統和なのだ。


「そのまま突っ込めぇぇぇーっ!!」


 統和がありったけの声で叫び、激励を送る。




 そして……突っ込んだ。


「ふ……はっ!」


 統和の言葉通りに、『オーディール・ドアー』の身体は、それはもう見事に。


「ふははははっ!!」


 突っ込んだ……地面に。


「思ったか?“やった”と、私が焦っていると、本当に思ったかぁぁぁっ!?あまりにノロマな動きだったぞ!ふははははっ!!」


 ジタバタともがく腕がコンクリートの上を虚しくなぞる。

 『ピーナッツ・プレーン』はとっくに追いついていたのだ。


「これで勝ちだ!初めの銃撃ガンショット九割方テン・トゥ・ワン決まっていたがな!それを反撃ファイト・バックさせたうえで踏みにじった!完全パーフェクトに私の勝ちだぁぁぁっ!」


 今度こそ、フローリアは勝ち誇る。

 相手を完全に上回ったと確信した以上、余計な時間は割かずに最後の一手を決める。

 すなわちとどめを刺す。


「地面……が……」


 統和の身体がコンクリートの底へと潜っていく。精霊の方も同様に。


「さよならだ。もう銃撃ガンショットは無い。外れれば殻を壊すかもしれないからな。貴様にはこのまま眠っていてもらう。なに、コーディーもいるんだ。仲良くお喋りでもしているんだな」


 右手が埋まり、首が埋まる。コンクリートそのものが意思を持ったかのように、頭部を徐々に包み込んでいく。

 そうして最後に口が埋まろうとしたとき、統和が言葉を発した。


「“突っ込め”って変だと思わなかったか?」

「なに……?」


 チャックルの時と同じ。それは捨て台詞とはかけ離れた、やけに落ち着いた口調だった。


「『オーディール・ドアー』の扉は、見た目というか雰囲気は一緒なんだけど、それ以外はそこそこ自由なんだ。たとえば扉の開き方とかさ」

「何が言いたい?」

「今回は内開きにした。“突っ込む”だけで開くんだ。引っ張る必要は無い。分かるか?人間のような腕が無くても、力づくでぶつかりさえすれば開くようになっているんだよ」

「……!?……!?」


 理解ができない。彼が何を言いたいのか分からない。

 だが聞き返す時間は無かった。

 統和は完全にコンクリートの中身として封印された。




「……まぁ、いい。気にすることもない。トーワはもう終わりだ」


 フローリアはすぐに思考を切り替え、封印された統和の排除を考える。

 計画としては、まず何かしら小さな物体を探すところからだ。

 統和を覆ったコンクリートをさらに別の小さな殻の中に封じ込めることで、持ち運びが可能になる。


「さっさと離れなければな……」


 そう言ってフローリアは後ろを向く。

 『オーディール・ドアー』の身体もコンクリートに封印されはしたが、扉の方は変わらずにその場に佇んでいた。

 爆発音を聞きつけた警察がやってくる可能性もある。

 どこぞの誰かが扉を間違って開ける前に、コンクリートを回収して扉から離れなければならない。


「まだ信号サイレンの音は聞こえてはいないな、よしすぐに……、っ!?」


 その時、彼女の澄ました耳に別の音が入った。

 それは何かがぶつかったような衝撃音と、バサバサという不規則な羽ばたきの音。

 そしてそれらの音は彼女のすぐ近くで聞こえてきた。


「何のっ……!?」


 羽ばたきの音が上に移動する。

 まるで狩人に狙われた鴨のように慌てふためいた飛び方は、フローリアの現在の心境と似ているものがあった。


(と、扉は……大丈夫だ!開いてはいない!)


 彼女の目線が扉に移ったのは、その音の根源が扉の裏側にあると気づいたためだ。

 今や壁となって視界を妨げているだけの扉に、どこかから鳥が突っ込んできたのだった。


「ふ、ふざけたマネを……このゴミ鳥が!首をねじ切ってやろうか!?」


 怒りが沸き上がる。

 その諸悪の根源が上空に舞い上がり、彼女の目に移った。

 バードストライクを放った鳥の正体はカラスだった。

 彼女にとっては“ゴミ漁りに精を出す不潔でみすぼらしい鳥”であり、そんなゴミ鳥に驚かされてしまったことはあまりに屈辱的だった。

 だから彼女はカラスを思いきり睨みつけ……そして気づく。


「カラスが……見える!?」


 真っ黒な体を持つカラスが夜空を背景に飛んでいる。

 その姿をはっきり確認できる。


「なんだ……この光はどこから!?」

「カァーッ!」


 カラスが一鳴きして飛んでいく。

 高度を下げながら瓦礫の山の方へ、その方向も光で照らされていた。


「聞こえた……よ……」


 誰かが立っていた。

 カラスがその誰かの肩に止まろうとして、気を配ったかのように向きを変えて地面に降りた。

 ──真新しい血痕が今も滴り落ちている地面へと。


「だから言われた通りに……つ、突っ込ませた……!ウサちゃんがカラスにお願いして……扉に!」

「き、貴様は……!?」


 “彼女たち”を照らす光がより一層と強くなる。

 もう遅かった。光源は“壁”の向こう側にあったのだ。


「私が見ていたのは……と、扉の裏側バックサイド!開ける役割ロールはトーワではなく……!!」

「聞こえた……聞こえたんだ……トヨ!あたしが助けるから!」

「ユッピィィィィィィィィィィーッ!!」


 神判の扉は開かれた──!

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