第22話 放置されたもの

 一年前──。


『あー……そうだな、君の言っていることはもっともだ。覚醒剤の買い手はほとんどがリピーターで、新しい取引先を見つけるのは難しい。そこで君は私に提案してきたわけだ。君のような世界中にコネを持つ人物に覚醒剤モノを売り、君がそれをさらに高い値段で売りさばく……と、それがウィンウィンの関係であると』


 相手が頷く。その一方でチャックルは深い溜め息をついた。


『小賢しい人間だなぁ君は。自分が転売で儲けたいだけのくせに、ウィンウィンなどと自分を綺麗に見せようとする辺りが実に小賢しい。いいかね?私は金に困るような生き方などしていないのだよ、君とは違ってなぁ』


 軽蔑の目、説教じみた口調。チャックルは言葉を続ける。


『だが、売ってはやろう。私が気に入らないのは、君のような思い上がった人間が私を利用しようとしている点だけだ。それ以外は一人の客として対応させてもらうとするよ。ただし君の顔の広さをリスペクトした“特別価格設定”だ。これでも利益は出るだろう?…………ん?何の真似だ?』


 チャックルの顔にかげりが差す。


『カラダで?お前みたいな醜悪な人間が?よくもそんな戯言を言えたものだな……お前には人間の道理が無いのか!?』


 翳りは雷となり、部屋中に響き渡る。


『いくら化粧を積み重ねてもお前の奥底に根付いた汚らわしい毒素はごまかせるものではない!お前ごときがユッピーと同じやり方を選べると思うな!消え失せろ!人間を象っただけのゴミカスめがぁぁぁっ!!』




 現在───。

 爆発で吹き飛んだ倉庫の前で統和は静かに座り込んでいた。

 目の前に転がる上半身だけの死体を見つめながら、統和は全てが終わったことを悟った。


「通信が途絶えた時点でこうなる予感はしていたんだ。やっぱり人間の思いつき程度じゃ神の心は揺らがないんだな……チャックル」


 チャックルがあの後、死ぬまでに何を語ったのか統和には分からない。

 ただ、頭に疑問符を抱いたまま死んだのだろうと勝手に想像する。

 だから統和はその亡骸に語りかけた。


「そう、あんたの命は滅したんだ……罪を滅する過程でな。不思議に思うか?だったらなぜ『オーディール・ドアー』の攻撃が一度、止まったのかと」


 統和は夜空を見上げながら、つい先日のことを思い出していた。

 立てこもり事件の犯人・陸奥芝が倒れた後、レストランでガス爆発が起きた。

 あの時と同じだった。

 『オーディール・ドアー』がガラス片で狙った、すなわち攻撃した相手は陸奥芝と澪生だけだったが、その後にはレストランで起きた罪が滅する事態となった。


「攻撃が止まったのはあんたの罪が消えたからじゃない。『オーディール・ドアー』がわざわざ手を下すまでもなく残っている罪が勝手に消えるから、そういう結末が決まったから身を引いただけなんだ。チャックル、あんたを狙う別の魔の手は既に潜んでいたんだよ」

「誰のことだ?」

「…………」


 後方から聞こえた女性の声に、統和は振り向くことなく携帯電話を手に取った。

 そして画面を左耳に当てたまま話し続ける。


「フローリア、あんた盗聴器に爆弾を仕掛けていたな。いや、精霊の能力で盗聴器を殻に変え、爆弾に被せていたと言ったほうが正しいか」

「……ふっ」


 フローリアは軽く笑う。

 思い起こせば至極当然のことだった。あれだけチャックルを消すと豪語していた彼女が、盗聴器を仕掛けるだけで済ませるはずがない。


「俺に言っておいても良かったんじゃないか?」

「怒るな、トーワ。私は貴様の手で殺ってもらいたかっただけ。爆弾あれは使うつもりのない最終手段ラスト・リゾートだった」

「…………」


 確かに爆弾の存在を知ったなら自分は身を引いただろうと、統和は思った。

 しかし、フローリアにとってそれは望む結末ではない。

 爆弾で吹き飛ばせばチャックルは即死か、そうでないにしても混乱しながら死んでいくことになる。それでは彼女の気がすまないのだ。

 『オーディール・ドアー』で召喚されたフローリアの幻影が吐露していたように、彼女はチャックルの倒し方に並々ならぬこだわりを持っている。


「まぁ、最後ラストシーンには使わされることになったがな」

「それは仕方ない、『オーディール・ドアー』の判断だ。むしろ正常に起爆できただけラッキーだったんじゃないか?」


 爆弾の設置──それ以前に盗聴もだが──は当然ながら罪である。

 だが、今回はその罪に対して『オーディール・ドアー』は何もしなかった。

 それもまたチャックルへの攻撃が止まった理由と同じだ。

 爆弾のようにそれ自身が跡形もなく消滅する罪は、わざわざ関与せずとも放置すれば時間経過で滅してしまう。

 他の罪を巻き込んで滅してくれる状況であれば尚更、爆発を止める理由は無い。


(フローリアの爆弾……俺の精霊の天敵というわけか)

「ところでトーワ、さっきから誰と話している?」

「ん?いや、話していない。この電話は古御出さんにかけているんだが出ないんだ。ここに来るまでにも何度もかけているんだけどな。フローリア、あんたが単独行動していることといい……何か知ってるのか?」


 統和は左耳から電話を話すことなく言った。

 フローリアは右手を顎に添え、考えこむようにして答える。


「忘れていたよ、コーディーにはちょっとしたお使いミッションを頼んでおいた」

「ミッション?何のことだ?」

「それはだな、あー……」

「ユッピー!!」


 フローリアの前を人影が横切る。

 返答を一時中断してその方向を見るフローリア。


「ユッピー!いやぁぁぁっ!どうしてこんなことに!」

「……あの醜い奴……目が覚めたか」


 フローリアが呟く。鉄府豊姫という名前はフローリアの記憶に刻まれていないようだった。

 その悲痛な叫び声の先には血塗れで倒れるユッピーがいた。


「きゅ、救急車!呼ばなきゃ!……どうして誰も呼んでないの!?どうしてユッピーを助けないんだよ!?」


 豊姫が震える手でポケットから携帯電話を取り出す。


「うっ……ぐっ!」

「っ!?おい、どうした!?」


 統和が最初に気づいた。

 豊姫の手が震え続けていた。携帯電話が滑り落ち、それを拾おうとして今度は豊姫自身が地面に崩れ落ちた。


「こ、こんな……時に……うううっぐううううっ!!」

「これは……まさか発作か!?」


 ユッピーが言っていたことを思い出す。

 豊姫は定期的に起きる発作に苦しんでいたと、彼女はそう言っていた。


「横から乱入ブレークインしてこのザマとは、なんとも面倒トラブルサムな奴だ。これで二人か、助けがいるのは。まったく……」


 フローリアが一つ息をつきながらスーツの内側を右手でまさぐる。


「フローリア、大丈夫か?日本の救急番号はアメリカとは別で──」

「大丈夫だ」




 ──統和は気づいていなかった。

 そもそも彼の行動には不自然さがあった。

 携帯電話を手に『古御出が電話に出ない』と言いながら、それでも電話を切ることなく耳に当て続けている。

 倒れ込むユッピーの姿を目の当たりにしてもなお、救急車を呼ぶよりも電話をかけることを優先している。

 これは明らかに不自然な行為だった。

 そして“その不自然さをフローリアが気にしていない”という不自然さに、統和は気づいていなかった。


礼には及ばないイッツ・ナッシング、気にするな。先に助けてもらったのは私の方だ」


 そしてもう一つ。

 それは白上巡査の遺体を確認した直後、フローリアが統和に言った時のこと。


『今からFBIわれわれの調べたチャックルの潜伏先アジトに向かうわけだが、その前に言っておくことがある』


 あの時、フローリアが携帯電話を内ポケットにしまっていたことに──すなわち彼女が弄っているポケットが携帯電話と逆の方であることに、統和は気づいていなかった。


「おかげでギャップをつけたぞ!」


 統和の体が大きく揺れる。


「っ……あ……!?」


 焼けるような痛みと熱が腹の内から湧き上がってきた。

 次いで脈打つような感覚と共に、真っ赤な液体が体から噴出する光景が見えた。


「トーワ、恨むならチャックルだ。私を“人間を象っただけのゴミカス”と、そう呼んだあの男を恨め。最期ラスト感謝の言葉サンキューを、そして私の正体アイデンティティ録音レコーディングに遺したあの男をだ」

「フロー……リ……」

「貴様が“そいつ”を聞いていなければ口封じサイレンスすることもなかった!貴様が手にしているのはチャックルの携帯電話デバイスだっ!!」


 拳銃が一丁、フローリアの右手で煙を上げていた。

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