第20話 露見する牙

 濛々と立ち込める埃が落ち着きだし、瓦礫に埋もれたチャックルの姿が明快になっていく。

 統和は外の通路に身を隠しながら、その光景を静かに見つめていた

 彼の全身はずぶ濡れのまま乾いておらず、港湾倉庫に来る前に買ったジャケットは両方の袖が引き千切られている状態だ。

 その手に持っている通信機は手持式ハンディー・タイプであり、こちらも事前に用意していたイヤホンに装着するタイプの型とは異なるものだった。

 そして『オーディール・ドアー』の能力で顕現させた扉は、通路の出入りを阻害しないように、入口付近からわずかにずらした所に設置している。


『君の死体を確認しておくべきだった……とは思わない』


 通信機からノイズ混じりのチャックルの声が聞こえてくる。


『なにせ夜の海、しかも相手は獰猛なサメだ。ライトで照らす程度では死体は発見できなかっただろう。そもそも人の形を保っていないかもしれないし、サメが私を襲わない保証もないしなぁ』

「その結果がこれだ。照らしておくべきだったな」

『何が映った?』

「サメの死体」






 あの時、鋭い牙を剥き出しにして上空から襲いかかるサメの姿を前に、統和はすぐに理解した。


(肉弾戦で何とかなる相手じゃない……!)


 次の瞬間、サメの着水と共に大きな水しぶきと強烈な水圧が発生。統和の体が水中で振り回される。


(だが、ユッピーの方もパワーアップしたとはいえ、あの調子じゃ肉体的に限界は近い。狙いは短期戦だ。息を潜めて海中から奇襲させるよりも正面から襲わせる、サメにはそういう指示を出すはず。陸で生きる人間と水中で一対一の状況なんだ、強気に出るのが普通だ)


 『オーディール・ドアー』が片手を港の縁にかけ、もう片方の手で統和の体を支える。

 サメの姿は海面にあった。

 背びれで海を切りながら、一直線に統和の方へ向かっていた。


(いた。やはり身を隠すつもりはない)


 既に勝利を確信していたチャックルや、精霊能力の維持に必死だったユッピーには知る由もないだろう。

 ──統和は静かに笑っていた。


(やるよ……この腕!)


 何かが砕け散るような乾いた音が一つ。

 陸地で聞いていたチャックルは不審には思わなかった。むしろ頭蓋骨が噛み砕かれる音なのではと考え、それ以上の想像を止めていた。

 実際は統和の両腕、もとい彼の来ていたジャケットの両袖が“砕け散った”音だったのだ。


(ジャケットの袖は事前にフローリアの能力で殻に変えていた。そして中に仕込んでいたが溢れ出し、生身の腕の代わりに牙を受けることになる)


 途端に海面を叩く音が増加した。

 獰猛なサメが一転、前後不覚に陥ったように苦しみ始める。

 その周囲にはおびただしい数の、破裂したスプレー缶が漂っていた。


(防犯スプレー、それも唐辛子成分たっぷりの鼻に来る奴だ。ユッピーの使う動物対策に用意したものだが、サメ相手にも役に立ったな。それと仕込んでおいたのはもう一つある。何匹いるかも分からない動物相手には拳銃よりもこっちの“牙”の方が有効だと判断した)


 統和の精霊がサメの方へと向かう。

 その右手には刃渡り三十センチはあろうかというサバイバルナイフが握られていた。


「これで終わりだ!『オーディール・ドアァァァーッ』!」


 サメの鼻柱を深く削ぎ落とし、次いで目やエラをえぐり出す。

 既にチャックルたちはこの場を離れていた。

 夜の海に浮かぶ地獄絵図は誰にも知られることなく、潮の流れに紛れて消えた。




 その後、海から上がった統和の元に一人の影が近づく。


不法投棄フライ・チップ海洋汚染マリーン・ポリューション動物虐待ズーサイドやりたい放題ワイルドだったな」

「フローリア……悪いが死線を越えて疲れているんだ。小難しい英単語を並べられても頭に入ってこない。いつものつまらん奴ピーナッツ扱いか?」

「いいや、貴様は狂人ナッツだ」

「はぁ……?」


 統和には意味が分からなかったが、フローリアの表情を見るに批判されているわけではないように感じた。


「で、フローリアはなぜここに?古御出さんは?」

「車にいる。それと貴様にプレゼントだ」


 そう言ってフローリアが差し出したのは通信機だった。


「貴様らがやり合っている間に、チャックルの倉庫アジトを探して仕掛けてきた」

「仕掛けてって……盗聴器!?」

「そうだ。お前は今からその倉庫アジトの近くまで行き、チャックルが覚醒剤アイス接触コンタクトしたら精霊ビージーエムを使え。それで終わりだ」

「……急に協力的だな」

「貴様の精霊ビージーエムならもっと協力サポートできていたさ」


 そりゃそうか、原因は自分の方だ。統和は自虐的に笑った。

 巻き込まれる心配があるから距離を置いているだけで、この件を一番解決したがっているのはフローリアなのだ。


「私は貴様の射程外アウトレンジまで離れなければならんから案内ガイダンスはできん。今から言う場所ポイントを覚えろ」






 そうして統和は今に至る。

 チャックルの倉庫を自身の能力の射程内に収めて通信機の会話に耳を傾け、“覚醒剤の所持”という罪が成立したタイミングを狙って能力を発動した。


(『オーディール・ドアー』から出た光がフローリアの姿でチャックルを殺しに向かった……と思いきや、とどめを刺さずに戻ってきた。それはつまり、もう罪を滅する必要が無くなったということだが……)

『恨んじゃいないよ、統和くん。君は私の罪を滅しただけだからなぁ。むしろ感謝したい気持ちだ。攻撃してきたのが君だったから、君の繰り出す“神のご加護”があったからこそ私はこうして生きているのだからなぁ!はははっ!』


 チャックルはご機嫌な口調でそう言った。

 苦痛に苛まれながらよく笑えるものだ。統和は心の中で彼の異常性を再認識する。


「チャックル、生きているのはあんただけか?ユッピーは?」

『今の状況下で私から見えると思うかね?まぁ、生きているだろうなぁ。ネズミの攻撃が終わった時点で彼女の罪は滅した、そう考えれば追加でさらなる攻撃は受けないだろう』

「それもそうか」


 ユッピーは自分の意志で覚醒剤を接種した。それが罪とみなされて攻撃を受けた。

 統和が見たのは、『オーディール・ドアー』の扉から現れたネズミが倉庫へ向かっていくところまでだが、通信機で聞いた内容から彼女が全身を噛みつかれたことは推測できた。


「おそらく彼女は、体内に取り込んだ覚醒剤の成分を血液ごと抜き取られたんだ。それで覚醒剤の接種という罪は滅した。他に残っている罪が無ければ『オーディール・ドアー』の被害、すなわち倉庫の瓦解による影響は受けないだろうな」

『だが、統和くんは知らんだろうが、あの出血量なら早く搬送しないと死ぬぞ』

「あぁ、もちろん助けるさ……──な。」


 ──な。

 統和のその言葉はチャックルには聞こえなかった。

 別にユッピーの命を軽視しているわけではない。

 統和はただ、警戒しているのだ。


(チャックルは自力で罪を終わらせたようだ。おそらく決意した。覚醒剤の売買や未成年との淫行など、自分がこれまで犯してきた罪を“もう二度としない”と心の中で神に誓った。それで攻撃が止まったと……)


 “罪を滅する”とはなにも物的証拠を破壊したり、現行犯を戦闘不能にするだけではない。

 犯人から肉体的あるいは精神的に“将来的に同じやり方で同じ罪を犯す”という可能性を取り除くことで、初めて罪を滅することになるのだ。

 

(理屈としては合っている。だが……本当にそんなことで乗り切れるのか?)


 チャックルがやってのけたのは何の保証も無い、ただその場で思いついただけの薄っぺらい決意表明。

 相手が人間ならまず信じてもらえはしない。


(それが神になら通用するのか?いや、そもそも人間の理屈が神に通用するのか?)


 信じきれない。

 いくらチャックルが得意げに語ろうと、統和にはその疑惑を完全に払拭することができない。

 人間が悪知恵を駆使して神を出し抜くなど本当に可能なのか、と。


(どうする?このまま時間をかけたところで事態が好転するとは思えない。チャックルの罪……いやチャックルだけじゃない、それ以外にも……本当に滅したのか?)

『ところで統和くん。君はなぜか気にしていないようだが、まさか君はのことを知っているのかね?』

「え……?」


 チャックルの雰囲気が変わる。

 先程までの勝ち誇っていた態度は鳴りを潜め、そこにはわずかながらの緊張感が含まれていた。


「あいつというのは?」

『もちろん君の精霊が呼び出したあのFBIの女のことだよ。あいつが一体、何者なのか私に聞いてこないようだが。単に興味が無いだけかね?』

「あ、あぁ……確かに聞かなかったが、あんたのしてきたことを考えたらFBIが現れたくらいで驚かないさ」


 少し焦った統和だったが、無難な返答でごまかそうと考える。


「で、あんたからそう言うってことは聞いてほしいのか?」

『…………』

「あいつは何者なんだ?」

『…………』

「チャックル?」


 ──通信が途絶えた。

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