第19話 終わらせる権利

 何の前触れもなく登場した襲撃者と銃声、両足から立ち上る焼けるような熱さと痛み、そして迫りくるネズミたち。

 この三つの“命の危機”に同時に立ち向かえるほどチャックルはクールな人物ではなかった。

 まずは床に顔を打ち付ける形で倒れ、続けて火花の散る視界にネズミを確認。そして半狂乱になって身をばたつかせる。

 後はネズミにもみくちゃにされればそれで終わりだ。


「ハァッ!ハァッ!ハアアアアァァァッ!!……ァ…………ア?」

冷却クーリング・ダウンしたか?」


 そうはならなかった。ネズミたちは襲撃を止めていた。

 もう自分たちの役目が終わったかのように、各々が自由に振舞っていた。


「なっ、なん……なんだ!?これは何なんだぁぁぁ!?」

「こっちを見ろ」

「ヒィッ!?」


 チャックルの頭部をかすめるように銃弾が飛ぶ。

 威嚇射撃にしては弾道が急所に近すぎる。

 ほんの少し手元がぶれれば致命傷だ。

 ゆえにチャックルは余計な動きを堪えて縮こまるしかなかった。


「私の名前が言えるか?」

「っ!お前は……馬鹿な!え、FBI……の……!」

「…………」

「FBIの……」

「フローリアだカス野郎!!」

「はぐぅっ……!」


 怒声と共にフローリアがさらに引き金を引き、チャックルの股下すれすれに穴が開いた。


「わ、私を消しに……来たのか……」

「消す?笑わせるな、ただ消すつもりならもう銃撃アクションは終わっている」

「な、なら……?い、言っておくが覚醒剤を横取りする気なら無駄だぞ。あれは私の精霊『ウーフー・フーニブ』があってこそのもので──」

「ふん、貴様の陳腐な想像力ピーナッツ・イマジネーションではその程度か。覚醒剤アイスだと?それが何だフー・ケアーズ?これは誇りプライド問題マターだ」


 フローリアはつかつかとチャックルの横を通り過ぎていくと、倒れこむユッピーの体を足でそんざいにひっくり返した。

 そして負傷した二人の前に立ちはだかる自分を誇示するように言う。


「これだ!貴様らよりも私が格上ハイ・ポジションだと、それを思い知らせるために私はここまで来たのだ!」

「は……は!?」


 チャックルは全て聞いていた。フローリアの言葉を一言一句、漏らさずに全てだ。

 それでも彼女の真意は理解できなかった。

 それに、そもそも彼女の今の言葉は本当に正確な表現だったのか?

 テンションが上がって言い間違えたわけではないのか?

 貴様と……それは表現として本当に適しているのか?

 全てを聞きながらはそう思った。


「よく噛みしめろ、私の恐ろしさを!男特有の偉そうマンスプレイニングな馬鹿面を私に向けた自分の浅はかさシャロウ・マインドを!」

「……!?お、おい何をする気だ!?この音は何だ!?」


 勝ち誇るフローリアの声に混じって、チャックルには別の音が聞こえていた。

 パキパキと乾いた音が、倉庫中の至るところから聞こえてくるのだ。

 同時に小さな粒が床に散らばっていく。

 その粒は倉庫の壁と同じ色で塗られ、同じ質感をしていた。


「『ピーナッツ・プレーン』、倉庫ウェアハウスを支える壁はもう殻に置換リプレイスされている。それが砕かれたらどうなる?神のご加護をゴッド・ブレス・ユー、地獄で祈りなクソ野郎」

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉーっ!!」


 崩れ落ちる屋根と舞い上がる埃。

 チャックルの声も姿も、一瞬にしてかき消された。




 散らばった破片を踏み鳴らす足音を聞きながら、チャックルは自身が気を失っていたのだと気づく。

 視界に映るのは無機質なコンクリートの地面と、数メートル先も見えない埃の霧。

 体を起こそうにも崩れた瓦礫が腰から下を埋めており、全く身動きは取れない。


「うう……ぐっ、温かいぞ……股ぐらが、あああ温かい……!尿か?尿なら……まだマシだ、血よりもずっとマシだ……」

「はっ、そうだな。汚らわしい貴様には血よりも尿そっちの方がお似合いだ」

「……くっ!」


 大量の埃を意にも介さず、フローリアはチャックルの目の前に立っていた。

 それどころか、チャックルよりも倉庫の奥にいたにも関わらず、彼女の体は傷一つ無い綺麗な状態だ。


「これで私の完全勝利コンプリート・ゲームだ」


 フローリアが銃を構える。

 照準はチャックルの眼球。すなわち次の一発で必ず殺害するという宣言である。


最期の言葉ラスト・ワードだ、言え」

「……っ!」


 フローリアは銃口と同時に、今にも笑い出しそうな自らの表情を見せつけていく。 

 それは執行人が死刑囚に問うような義務的なものでは決してなく、強い感情や期待が込めた話し方だった。

 彼女が求めていたのは捨て台詞。それこそがチャックルの最期を“無様な負け犬”として思い出にするために必要な最後のピースとなるのだ。


「……神のご加護か」


 そうした状況下、チャックルが言葉を放つ。

 だが、それは……結論から言えば捨て台詞とは対極的なものだった。


「皮肉を言ったつもりだろうがね、皮肉なのは君の方だよ。FBIの……あー、誰だか忘れたが。なにせ気づかせてしまったんだからな、私に神のご加護があるという一つの事実を」


 悠長。チャックルの態度を一言で表すならそれだった。

 最期の言葉を求められながら一向に区切る気配の無い、あまりにも悠長な話し方だったのだ。


「で、“最期ラスト”と言ったが、君は本気でそう思っているのかね?引き金を引いてこの状況を“終わらせる権利”がそちらにあると?クククッ、それは違うなぁ!その権利があるのは私の方なのだよ!」

「ふん、覚醒剤の売人サプライヤー最期ラスト錯乱ヘッド・トリップからの長話ロング・トークか」


 さして面白くもなかったと、フローリアは白けた様子で引き金を引いた。

 音はカチンと小さく、短く。

 ──弾丸は発射されなかった。


「どうだね?この通り、君の方から終わらせることはできない。当然だな、罪が無ければ精霊は何もできないのだから。既に罪を私には決して手出しできないのだよ!」


 いつのまにか無表情になっていたの肉体が淡く光り始める。

 やがて指先で摘み上げられるように宙へ浮かび上がると、その場で後ろ向きに回転し、水平の姿勢を保ちながら重力を無視して飛び去っていった。


「やはり、私の聞き間違いではなかった……!ユッピーに注射器を打ち込んだ時に聞こえてきたのは扉の開く音だったのだ!そうだろう!?聞いているのかね!?」

『聞いているさ』


 声は瓦礫の中からだった。

 それどころかチャックルのすぐ近く、足元か股下ほどの距離だった。


『さっきからずっと俺に話していたのは分かっていた。だが、わざわざ姿を見せてはやらないぞ。そうしなくても済むように仕掛けてあるんだからな……通信機』

「生きていたかぁぁぁ統和くんんんん!!」

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