第17話 獰猛なるチカラ
統和の目に映ったユッピーの顔つきは、遠目からでもはっきりと分かるほどに狂っていた。
瞬きを忘れた瞳の中では色褪せた瞳孔が縦横無尽に駆け巡り、叫びっぱなしの口からはボタボタと泡の混じった唾液が噴き出している。
(こっちに近づいて……!まさか本人が来るのか?配下の動物ではなく?大体、あんなスピードじゃ、俺の所に来るまで持つとは……)
『ミィッ!』
(っ!?い、いや違──)
獣の鳴き声が聞こえたときには、既に敵の精霊は統和の目の前にいた。
とっさに防御姿勢を取った『オーディール・ドアー』ごと、統和の体が殴り飛ばされる。
「うぐっ……!」
精霊を通してビリビリと腕の痺れを感じる。
のろのろとした足取りは、自身の速さを覆い隠すためのフェイク。
野蛮になったとはいえ、決して知能指数が低下していたわけではなかった。
むしろ逆。殺戮という任務を完遂するために、人体の限界を超えて全力で稼働しているのだ。
『ミミミィィィ……』
「ゴルルルルゥゥゥ!」
『ジャンピング・ガール・ソング』。小柄なウサギと称した精霊の姿もまた、ユッピーと同様に変わり果てていた。
手足は大きく伸びて統和と同等以上に、目は肉食動物のようにギラリと輝き、爪は鋭利に尖っていた。
<挿絵:https://kakuyomu.jp/users/FoneAoyama/news/16817330665801213708>
「素晴らしいっ!私が期待していたのはこれだよ、ウーフー!」
耳障りなチャックルの声に、ユッピーも精霊も一切の反応を見せることなく統和の方へと向かってくる。
「くそ、チャックルめ……!」
チャックルを倒せば覚醒剤を通して付加された“凶暴化”は消える。それは統和も分かっている。
しかし距離が遠すぎる。
ただでさえ『オーディール・ドアー』の攻撃範囲は警戒されていたのだ。
今では間にユッピーを挟み、さらに統和が吹き飛ばされたことで大きく距離を広げられてしまった。
「どうしても先にユッピーを倒さなきゃいけないらしいな」
『ミミミィィィィィーッ!』
「殴りつけろ『オーディール・ドアァァァーッ』!」
迫りくる狂気のウサギへ、統和の精霊が拳を繰り出す。
だが、敵は姿勢を低くして拳を回避し、カウンターのボディブローを放つ。
「がっ!」
再び苦悶の声と共に統和の肉体が吹き飛ぶ。コンクリートの地面を転がり、倉庫の壁に打ち付けられる形で停止する。
「はははっ!お話にならないなぁ!もはやパワーもスピードもユッピーの方が、ああいや私の
(お、『オーディール・ドアー』の肉体が丈夫なおかげで重症には至っていないが時間の問題だ……!殴り合いに持ち込んでも勝てない!)
統和が背中に手を回し、ブンと何かを投げつける。
「おおっと?飛び道具か!?」
『ミンッ!』
「だが残念!反射神経も向上しているのだよ!投げナイフ程度なら、簡単に……」
チャックルの視界からはユッピーたちの背中に遮られ、統和が何を投げたかは分からない。
投げナイフというのはあくまで予想だ。
「チチチ……」
「むっ!?ナイフではない、この鳴き声は……!」
「『オーディール・ドアー』!」
統和の寄りかかっていた倉庫の壁面に扉が浮かび上がる。
「ね、ネズミか!全滅したのはさっきまでの範囲内の話!統和くんが吹き飛ばされた先に、まだユッピーの能力下にない個体が生きていたのか!」
「ゴルルゥ?」
「ユッピー!そのネズミを捨てるのだぁぁぁっ!」
「もう遅い!神判の扉は開かれた!」
大きな音を立てて扉が動く。
倉庫の中と錯覚するような扉の向こう側では強大な光が渦を巻いている。
(さっきは銃弾だったが、あれはヤクザたちの罪に影響を受けたからだ。次も銃弾である保証はない)
見極める。洞察と対応。統和は全神経を集中する。
ポトリとネズミが地面に落ちた。
……いや、降り立った。
「何も……起きない……!?」
ネズミはそのまま怯える素振りを見せながら駆け出していく。
ユッピーはネズミに目もくれない。
ただ、その拳を振り上げた。
「ぐあっ!」
統和の肉体が衝撃に耐えきれず、宙に浮かび上がった。
(なんてことだ……ネズミはもういらないのか……!)
ユッピーが過去に犯した罪──ネズミを用いた殺人──は既に滅する必要が無くなっていた。
仮に、同じ方法で再び罪を犯そうと彼女が思っていれば『オーディール・ドアー』は動いただろう。二度とその気が起きなくなるまで徹底的に。そこまでして初めて罪を滅したことになるのだ。
だが今のユッピーにはその意思が無い。
チャックルの能力が彼女の攻撃から、“ネズミを用いる”という選択肢を搔き消してしまった。
(覚醒剤の服用も同じか……罪にしてはもらえなかった。そりゃそうか、ユッピーが要求したならまだしも、あれはチャックルに無理やり打たれたもので……要は被害者だもんな。それでもって俺への攻撃は罪にはならない。これで完全に……)
『ミミミミミミィィィィィィィィーッ!!』
(完全に罪は無くなっ──)
空中にいる統和の肉体に渾身の一撃が叩き込まれた。
統和は全身で風を切りながら星空を眼下に見下ろし、やがて訪れるであろう着地へと向かっていく。
(むぅ?ユッピー、どこへ向かって飛ばしている!?調子に乗ったか!?)
チャックルは思わず心の中で悪態をついた。
吹き飛んでいる統和の大勢を見れば、それが頭部から先に落ちるものだと分かる。
港湾倉庫の壁でもコンクリートでも、飛ばした先が硬ければより大きなダメージを与えられる。
しかし、実際に彼が向かっている方向にはそのいずれも存在しない。
(そっちは海だぞ!しかも水底の見えない夜の海!逃げられたらどうするのだ!)
チャックルにとって統和の戦闘不能は絶対条件だ。
一度や二度、殴りつけて後は安否不明などと、その程度で妥協できるはずがない。
『ミガァァァッ!』
(っ!?いや、あれは……!)
ユッピーの精霊が吠えた。
それを聞いた途端、チャックルは余計な心配だったと知る。
なぜならば、それは勝利の雄叫びではなかったから。その声に呼応するかのように水しぶきが上がったからだ。
「ぶはっ!げほっ……!」
海面に叩きつけられた統和は痛む体に鞭打ち、酸素を求めて水面から顔を出した。
それは実にちょうどいい角度だった。
「え……!?」
夕方のニュースを聞いていたフローリアの声が脳裏に過る。
『「ニュースキャスターが
炎の光に照らされた大きな肉体が海上に飛び上がり、降りてくる。
──獰猛な牙と共に!
「サメ……」
数メートルまで昇った派手な水しぶきがコンクリートに打ち付けられた。
次いで何かが砕け散るような乾いた音が一つ。
あとはサメが尾ひれを振り回して海面を叩く音が途切れることなく鳴り続ける。
「終わったか。君が統和くんを海に突き落としたのは
「グ……う……うぅぅ……!」
「おや、もう効果が切れたか。さすがに全力を出すと燃費が悪いな。まぁいい、来なさいユッピー」
いまだに海面では“処刑”の音が続いていた。
磯の香りに混ざって錆びた鉄の香りが広がり始める。
チャックルは鼻と口元を手で抑えながら海に背を向け──元から視界に入らないように注意していたが──歩き出す。
ユッピーもふらふらとした足取りで後を追った。
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