第15話 説得

 突然の豊姫の声に、統和もユッピーも硬直する。

 そんな中、最初に理性を取り戻したのはチャックルだった。


「あ、あの女……やはり馬鹿だったか……!」


 チャックルの顔が歪む。怒りと不快感が脳を刺激し、思い出したくもない記憶を無理やり引きずり出す。






 数時間前、路地裏にて。


『上を見たまえよ、窓が割れて建物の中に入れるところがある』


 共に路地裏に入った女子高生に向かって、チャックルはそう言った。


『私の精霊が肩を貸そう。あそこから中に入るんだ……隠れろということだよ。君を尾行している奴がいる。君と同じ制服だ、ユッピー』

『び、尾行って……!?』

『早く隠れたまえ!奴と知り合いなのかといった細かい話は後で聞く!』


 雑多で賑わう大通りでは、人々の求める情報源は日の当たる場所に限られる。

 わざわざ路地裏に気を配る者がいるとすれば、その者は初めから日陰に焦点を当てていたのだろう。

 あるいは追っていた情報源が勝手に日陰へ入っていったパターンもある。


『女子高生が路地裏に連れて行かれたんですよ!女子高生ですよ!?若者の未来が奪われるかもしれないのに私たち警察は──!』


 パトカーの中で通信機を片手に手応えのない抗議を繰り返す白上巡査。

 彼が視線を外した一瞬の間に、後からやってきたもう一人の女子高生が路地裏へ入っていく。


『君は……私に会いに来たのかね?』


 チャックルは相手を見下すように努めた。

 “尾行の対象が姿を消した”うえに“尾行に気づかれた”。相手の状況を鑑みればここは強気に振る舞う一択。

 ましてや相手は女子高生なのだ。


(若者の無鉄砲さは厄介だが、自分が“格下した”だと自覚させれば途端にあしらいやすくなる。この醜いツラ、関わり合いたくはないがここは我慢だ。大人の余裕を見せつけてやらねばな)

『そうだよ』

『……うん?』


 女子高生、鉄府豊姫がカバンを開く。


『あなたに会いに来たんだ!もう二度とユッピーに近寄らないで!』

『──ホッッッ!?』


 彼女が取り出したのは百万円の札束。

 チャックルからすれば百万円。だが彼が保とうとしていた大人の余裕を粉砕するには十分だった。


(何だこの女は!?危機感というものがまるで無いっ!あまりに無謀すぎるっ!!)


 表情こそ崩さないものの、チャックルの脳内にはガンガンと警鐘が鳴り響く。

 この人物と関わってはいけない、と彼の第六感が全力で怒鳴り散らしていた。


(こいつはトラブルメーカーだ!無意識に周りの足を引っ張りまくって失敗に追い込む不幸の……何と言えばいい!?女神じゃない!むしろ真逆の……ああともかく不幸のナントカだぁぁぁっ!!)


 その予感は早くも的中する。


『あーちょっと、そこのお二人さん……』


 白上巡査の登場。

 さすがのチャックルも、この状況で警察官を言いくるめられるほどの自信は持ち合わせていなかった。

 始末するしかない。


『いっ……!?』


 警察官の首筋に注射器を打ち込む。

 相手は精霊の認知できない一般人。それ事態は容易いことだった。


白上こいつが死ぬのは確定した。だが、豊姫こっちをどうする!?私の精霊が見えてはいないだろうが、私が現行犯で何かやったくらいは分かるはずだ!次はどう動く!?こいつにあるのは自分の命も顧みれない中途半端な知能と正義感!まさか次の警察を呼びに行くのでは……!)


 ガリガリとチャックルの耳に小さな音が聞こえてくる。


(……!?この音は……ユッピー!?)


 それはネズミが“硬いもの”を齧る音。

 ユッピーの『ジャンピング・ガール・ソング』がもたらす残酷な彫刻のショーだった。

 なぜ彼女がわざわざ自分の手を汚してまで干渉してくるのか?

 答えは豊姫の様子にあった。


(ひ、怯んでいる……目を背けているぞ!ユッピーは知っていたのだ、あいつが嫌がるであろう光景を!そして作り出した!)


 豊姫の勢いが削がれた。

 冷静な話し合いの場と、チャックルが優勢という雰囲気が生まれたのだ。


『取引の話をしようじゃないか。君はそのお金を払うと言うのだな?』

『…………』


 お金を払う代わりに、チャックルがユッピーとの関係を断つ。いわば手切れ金だ。


『だがなぁ、はたしてそれでユッピーは救われるのかなぁ?私がいなくなるということは、二度と覚醒剤が買えないということを意味する。困るのはユッピーの方じゃないかぁ?』

『ユッピーが……どういうこと?』

『私に言い寄る前にユッピー本人の意志を確認してみたまえ!現に私の誘いを彼女が断ったことは一度たりともなかったのだ!もう私の覚醒剤うりものが無ければ彼女は生きていけないのだよ!これが貧乏人ならガス欠という形で断絶できる望みもあるだろうが、あいにく彼女にはものもある!彼女にしか払えないモノがな!ウーフー!」

『…………』


 チャックルは目の前の少女に思い知らせた。

 お前は無力だ。何も分かっていない部外者だ。既に堕ちるところまで堕ちた薬物中毒者を救う手立てはお前には無い。

 強く勝ち誇った。

 だが……!


『……ない』


 豊姫は去り際に言った。


『何も分かっていない……こっちが言いたいよ。お前はユッピーのことを何も分かっていない!』




(そう言ってあいつは去っていった!醜いツラの奴に一方的に罵られると、それだけで公衆便所で流されずに放置されたクソを見つけたときのような最低な気分になる!あの豚ぁ……私が言った通りにユッピーを追って来たというわけか!統和くんの起こした爆発が無ければここまでたどり着けもしなかったくせにぃぃぃ!)


 怒りの形相でチャックルは豊姫を睨みつける。

 一方で統和にはチャックルの心境は分からないが、豊姫の介入を望んでいないのは彼も一緒だった。

 危ないから近づくな、そう言おうとした。

 ところが、それよりも先に豊姫は動いていた。


「ユッピー、こんなことはやめよう!これ以上、一人で頑張る必要なんてない!」

「おい、あんたそれ以上──」

「私も一緒に頑張る!一人で抱え込まないで!友達でしょ!?」


 統和の言葉を聞く素振りも見せずに、豊姫は前進を続ける。


「そりゃ、このオッサンがヤバいのは分かってるよ。警察官の人、殺したの見たし。でも勇気を出して拒絶して!ユッピーのため、そっちの方が絶対に幸せだから!私なら平気!お願いだから私を信じて!」


 それは豊姫の魂の言葉だった。




「はっ……!」


 豊姫の主張が一区切りした、まさにその瞬間にチャックルが笑う。


「はぁっはははぁぁぁーっ!!聞いたかね統和くん!?君なら私の方に共感してくれると信じてるよ!はははははぁぁぁぁぁーっ!!」

「…………」


 共に笑えと言われて笑えるほど統和は友好的ではない。ましてや敵対する相手に。

 その代わりに統和は押し黙った。

 確かに感じたその共感を、チャックルが代弁するのだろうと思って身を引いた。


「一度、覚醒剤に手を出した時点でユッピーは立派な中毒者なのだよ!やれ勇気だの幸せだの信じてだの、そんな無知で無責任で安っぽい言葉で覚醒剤くすりの誘惑を断ち切れると思ってるのかねぇぇぇ!?素晴らしいっ!君みたいなナメた奴がいるから私みたいなヤバいオッサンがこの世からいなくならないのだよ!ウーフー!」


 その通りだ、と統和は目を伏せた。

 他人の悩みを解決したり励ましたり、そのためには同じ悩みを共有できるだけの“知識”や“経験”が必要なのだ。

 いくら想像力を働かせて寄り添ったフリをしても人の心は動かない。

 ただ冷たく跳ね返されるだけだ。遠くへ、より遠くへと。


(ユッピーと豊姫が視線を合わせても、それは通じ合ったからじゃない……逆だ。すれ違い、決裂する。その前兆にすぎないんだ)


 統和が目を開ける。


「……?」


 二人の少女は目を合わせてなどいない。

 彼女たちが見ているのはチャックルの方だった。


「な、なんだね?その“無知はお前だ”的な顔は?私が何か妙なことを言ったかね?」

「言ったじゃん」

「あぁん?私が何を──」

「だから言ったじゃん。お前はユッピーのことを何も分かっていない」


 男たちには分からない。

 いくら想像力を働かせたところで、結局は欠けているのだ。

 ──年代と性別、すなわち悩みを共有できるもう一つの要素……“立場”が!


「ユッピーは健常者だ!覚醒剤に手を出したことなんて一度もない!!」

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