第11話 引き金を引く前に
『拳銃で殺人を犯すために必要な工程は何か?』と尋ねられれば多くの者がこう答えるだろう、『引き金を引く』と。
間違いではない。だが、それは銃口を向けられた側の立場から見た印象でしかない。
事はそう単純ではないのだ。
(今、『オーディール・ドアー』が扉を開いたとして……何が起きる?)
弾丸の装填を確認したか?
日々の手入れに突発的な事故、その他暴発のリスクを加味したか?
(俺が罪を滅するべき相手はチャックルだけ。だがユッピーがいる)
弾丸の届く範囲と標的の位置を計算したか?
その一発を放ってから次の弾丸を放つまでの猶予を確保したか?
(そして二人までの距離……)
これほどの壁を乗り越えて引き金を引いても、そこはまだゴールではない。
指先ほどの小さな塊が、空気中の様々な要因に翻弄されながらも標的に命中し、さらに着弾点と急所が一致して初めて殺人に至るのだ。
(やはり、ここからじゃまだ遠い。二人の罪を滅するなら、もっと近づかなければならない……!)
ましてや統和が手にしている拳銃は通常よりも強大で危険な諸刃の剣。
だからこそ考えなくてはならない。
引き金を引く前に、引いた後のことまで。もちろん引いてからも考え続けなくてはならない。
「どうしたのかね?戦いに来たわりには随分と及び腰じゃないか、統和くん。このまま見つめ合っていても、君と私との間には何も生まれはしないぞ?」
「俺にとっての戦いは洞察と対応の連続だ。見誤った方から崩れていく」
余裕に満ちた態度で挑発するチャックルに、統和は冷静に答える。
「ふぅむ、その考えには賛同するが……大事な物が欠けているなぁ。戦いにおいて最も重要なのは“意識”だよ。相手に先んじるという“意識”。なぁ、そうだろう?」
チャックルの手がユッピーの肩に触れる。
それが合図だった。膨れ上がった風船が破裂するかのように彼女の喉が鳴った。
「ウサちゃん、お願い!」
「キュイイイイイッ!!」
ユッピーの精霊が大きな叫び声を上げる。
同時に街灯がわずかに照らす影が動き始めた。
不吉な足音と耳障りな鳴き声が二重三重に溢れ出す。
予兆だ。次に起きるのは、牙を剥き出しにしたネズミたちの襲撃だった。
「やはりか、ネズミを使役して……くっ!」
『オーディール・ドアー』が蹴りを放ち、一匹のネズミを退ける。だが、その隙間を縫って次のネズミが現れる。とっさに身を交わすもすぐに次のネズミが。その後ろには次の次のネズミが。
多勢に無勢だ。
すぐに統和は追い詰められるはず、ユッピーはそう思った。
「なっ……!?」
信じられないといった目で口元を抑えるユッピー。
『オーディール・ドアー』が背中から地面に倒れ込み、ネズミたちを下敷きにしていた。
続いて別のネズミに向かって拳を振り下ろす。
所詮は小動物の華奢な肉体だ。一瞬のうちに血肉が飛び散ると、後には潰れたトマトを思わせる無惨な姿で口元をヒクつかせる哀れな姿だけが残った。
だが、それでもまだ終わらない。あとほんの数秒を待つだけで息絶えるというのに、統和はネズミを掴み取るよう自身の精霊を動かす。
その両手が添えられたのはネズミの上顎と下顎。
……それ以上を直視する勇気はユッピーには無かった。
「なんと!思いっきりいったぞ!ポテチの袋を開けるかのように引き裂いたぞ!」
「やめてっ!なんて人なの……意味も無いのにあんな残酷な──!」
「ネズミを戻すのだ。統和くんが来る」
「えっ……!」
数歩、後退しながらチャックルが言う。
その言葉通り、統和が既に走り出していた。
「ウ、ウサちゃんっ!!」
「キュイッ!」
「っ!速い……!」
統和の足が止まる。
ネズミたちが主を守るために立ちふさがったと、暗闇の中では見えないが音だけで彼はそう確信できた。
「残念、奇襲は失敗したなぁ」
チャックルが愉快そうに言う。
「いいかね、ユッピー。統和くんはあえてネズミを惨殺した。他のネズミに恐怖を植え付けて攻撃を中断させ、さらに君を怯ませて奇襲する時間を作ったのだよ。殺されたネズミにとっては不必要な苦痛に満ちた残虐な行為だろうが、私に言わせれば理に適った必然的な行為だ」
「な、何よそれ……!?」
「だが大したものだ、思いついても普通はできない。動物が可哀想だとか以前に気持ち悪くてゲロ吐きそうになるからなぁ!ウーフー!」
「ふざけたこと言って煽らないで!ネズミたちが怒ってるよ!」
「私のせいにするのかね?怒りでやる気を引き出させているのは君の能力だよ」
ネズミたちが興奮した様子で威嚇を繰り返す。
次の襲撃はより闘争心の溢れたものになる、と統和は確信した。
(仲間を殺された怒りというよりユッピーを狙ったことへの怒りだな。単純な使役や操作とは違う、あれはおそらく魅了だ。恋心か忠誠心か、いずれかをネズミたちに植え付けている……それがユッピーの能力だ!)
統和自身、フローリアの助言とユッピーの襲撃を受けるまでは彼女を敵だと思わなかった。
そして彼女が話していた、子供時代の同級生からのいじめ。
異性を引き付ける彼女の魅力が、精霊として具現化したのだ。
「
ユッピーがぎゅっと拳を握った。
あと一声でネズミたちの攻撃は開始される。それで終わりのはずだった。
「……何、それ?」
あまりにも唐突な展開にユッピーが目を丸くする。
統和の傍らに一つの扉が顕現した。
サビだらけのコンテナの中に生まれた一区画はあまりに神聖で、近寄った者の全てにバチが当たるかのような、異様な雰囲気を醸し出している。
「状況は変わった。今なら安心して扉を開くことができる」
「……!?……!?」
「怯えなくてもいい、ユッピー」
困惑の表情に染まるユッピーにチャックルは柔らかな声をかける。
「統和くんが何をしようと私たちの所までは
「いいや、チャックル。距離なんて最初から問題じゃないんだよ」
「なに……!?」
チャックルが上ずった声を上げる。
「先んじて動いていたつもりでいたのか?俺の攻撃範囲がユッピーのものよりも狭いことを知り、安全地帯から一方的に攻撃できると」
ユッピーと遭遇する直前、統和は『ネズミの鳴き声がするな』と思ったことを思い出す。
加えてイヤホン越しに自分が話した言葉。
『罪を滅する範囲には限度がある。せいぜいレストランの一画程度だ』と、彼はフローリアに向けて言葉を発していた。
「あの時、既に斥候役のネズミが俺の周囲を嗅ぎ回っていた。俺の情報はバレていたんだ。俺が何者か予測ができた。だからあんたは、俺の正体を気にする素振りを微塵も見せずに暗殺に踏み切った」
「……なるほど。だがそれが何だね?統和くん、君が何を得意げに語ろうと、そこからの攻撃が私たちに届かないのは確かなはずだ」
「言っただろう、距離なんて問題じゃないと。状況が変わったともな」
「……っ!!」
──チャックルの表情が変わる。
(こ、この状況は……まさか!?)
「『オーディール・ドアー』……!」
(確かにそうだ!
「神判の扉は開かれた!」
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