第10話 カゲの敵意
(統和……あいつの名前は統和か。まぁ、覚える必要はないがね。さっさと始末してしまえばいい話)
チャックルの目が統和の背をじっと追う。
その手前には狼狽した様子でこちらを向くユッピーの姿があったが、彼はさして気に留めなかった。
(結果だけ見れば
チャックルの脳裏に数時間前の出来事が過る。
路地裏で豊姫と名乗る女子高生と顔を合わせた。
自分の好みとは程遠いその見た目に酷く嫌悪感を覚えながらも、ここは大人として余裕たっぷりな態度を見せつけてやろうと、チャックルがそう思ったあの時。
『あーちょっと、そこのお二人さん……』
あの時も駆けつけてきたのは男だった。
『あ、ぐ……分から……ない……!』
倒れこんだ男が最後の力を振り絞って動かす言葉。そこにあるのは嘘も偽りも無い彼自身の本音。
彼の頭の中に真っ先に浮かぶイメージの言語化だ。
『あ、あんた……一緒に
『…………ふぅむ』
チャックルは思わず唸った。驚きを通り越して関心すらした。
(最期の瞬間、女子高生のことなど気にかけるかね?恐れ入ったよ、普通なら思うであろう当然の疑問、すなわち“何をされたのか?”なんてことには微塵も興味を抱かなかったのだから。たった一瞬、目に映しただけで警察官を虜にしたとはな……実に素晴らしいじゃないか!)
チャックルの意識が夜の港湾倉庫へと戻る。
そこにいる彼女はゆっくりと統和の方へ踏み出した。
(気づくわけがない。あの女の醸し出す魅力は無意識のうちに人を味方につける。それが男であるなら尚更だ。かくいう私もそう、対等な取引がモットーだというのに思わず支払い以上の
制服の内ポケットから取り出されたのは注射器。
(
無防備な背中、そして無防備な首筋。
ユッピーの腕が動く。
ガラスの割れた音が空しく夜の闇に吸い込まれていく。
ユッピーの振りかざした注射器は足元に落下し、破片へと変わり果てた。
彼女の腕を掴んでいるのは、具現化した統和の精霊『オーディール・ドアー』の腕だった。
「……何をする気だったんだ?」
「や、やだ!イヤッ!離して!」
「さっきまでとは状況が違う。今となっては離してやる方が異常者だと思うが?」
統和の視線がユッピーの肩へ、さらにその奥へと動く。
「素晴らしいっ!」
標的は拍手喝采といった表情で進んで姿を表した。
逃げてもらった方がまだ安心できたかもしれない。統和はわずかに眉をひそめる。
「よく彼女の魅力を断ち切った!もしかして君は年上が好みなのかね?それとも女性の時点でお断りなのかなぁ!ウーフー!」
「俺のことはどうでもいい。大事なのはあんたの好みだったんだから」
「うん?」
(……フローリアの言う通りだった)
それはユッピーが自分と豊姫の身の上話をしている時のことだった。
その時、統和はイヤホンを通して別の話を聞いていたのだ。
(フローリアのデータによれば、ユッピーの容姿ならチャックルはまず受け入れるということだった。カラダでの支払いでいくらでも
「私の好み?何のことだね?」
「制服だよ」
「っ!!」
ビクリという震え。ユッピーの動揺を統和は精霊を通して確かに感じ取った。
「覚醒剤の取引場所、そんな犯罪の温床になぜ制服姿で来る必要がある?自分の身の上に繋がる情報は少しでも手放したいのが人間心理ってものだ。だが、それでもユッピーは制服を着ている。そこには必ず理由があるはずだ」
「ほう?それは?」
「ユッピーがあんたの好みに合っていると分かれば一つの可能性が生まれる。あんたが指示した。自分の楽しみのために服装を指定したんだ。すなわち、ユッピーとあんたは繋がっている……!!」
「素晴らしいっ!」
チャックルが再び高らかな声を上げる。
「んー、だが正解とはしたくないなぁ!より正確に言うなら“繋がっていた”、あるいは“これから繋がる”のだよ、ウーフー!」
『トーワ、そいつの──をちょん切れ!』
イヤホン越しにフローリアの怒りが伝わる。
統和もこれ以上は話を続けずに攻撃に移ったほうが良いと判断した。
(耳を塞げないこの状況で彼女の聞くに堪えない下品な暴言に晒され続けるとは、どちらが敵なのか分かったもんじゃないな)
思わず苦笑が漏れそうになりながらも、統和は精霊を動かした。
途端にイヤホンから焦りの声が聞こえ始める。
『統和、扉を開く気か!?そっちの学生も巻き込まれるぞ!』
『構わん、女ごとやれ』
『なんだと!?フローリア、お前……!』
『いいや、お前の方だコーディー、どうかしているのはな。あの女は“離して”と言った。誰に向かってそんな口を聞いたと思っている?』
『あぁ!?どういうことだ!?』
「うぐっ……!」
『と、統和ぁ!?』
何かの衝撃が統和の肉体を小さく揺らした。
それと同時に彼は呻き、そして歩みを止め、倒れ込む。
ユッピーは腕を振り払い、チャックルの方へと走った。
「外れた……くっ!でも信じて、あたしは……!」
「うむ、分かっているとも。君は躊躇などしていない。狙いは正確だった。ただ、統和くんはちゃんと回避するという意識を持っていたからな、結果は掠り傷だ」
「攻撃の音を聞かれたから……!」
パタパタパタ、と小さな音のする方にユッピーが目を向ける。
「んー、そうではないなユッピー。君のミスはそこではない。君は“離して”なんて言ってはいけなかったのだよ。統和くんに腕を掴まれたのならまだしも、精霊に掴まれたのだからな」
「あっ……!」
「あの一言で君が精霊を持っていることは筒抜けとなった。そして君が操っていたものにも気づいたようだ」
統和はある一点を見つめていた。それは先程ユッピーが目を向けた方向だった。
『トーワ、スピーカーを切るぞ』
「助かる」
あの音を聞き逃してはならない。端末を通して統和の視界を共有したフローリアもすぐに理解した。
小さな足音と鳴き声。一匹のネズミが統和をじっと見つめていた。
(『オーディール・ドアー』を認識していたということはチャックル
<挿絵:https://kakuyomu.jp/users/FoneAoyama/news/16817330665238775626>
ユッピーの足元にぼんやりと何かが浮かび上がる。
人間の足ほどの大きさしかない小柄なウサギのような姿。大きな耳を上部に広げて二足歩行だ。顔と手首、足首は白い毛皮で覆われており、体はピンクと白の囚人服といった模様の滑らかな皮膚をしていた。
「さてユッピー、君の『ジャンピング・ガール・ソング』が統和くんを倒してくれないと私はとても困ることになるのだが……どうだね?やれるかな?」
「やる……あたし、やる!」
それは震えの混じった小さな声。吹けば飛びそうなほどに弱弱しい決意表明。
だがチャックルは知っている。
(そうだろうとも、ユッピー。君は私がいなくては生きられない。私の取引相手はみんなそうなるのだ。どれほど細くとも折ることのできない決意。そいつに免じて今日の
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