第9話 女子高生

「あんたは……!?」


 その女子高生の腕を掴んだとき、統和は感じたのは大きな戸惑いだった。

 そして彼女を街灯の下に引っ張り出したところで彼は納得した。


「……なるほど。妙に細腕だと思ったら別人だったか」


 イヤホンに搭載されたカメラが彼女の顔を映すように調整する。途端に戸惑いの声は古御出に移った。


『な、なんだぁ!?こいつ全然違うぞ!誰なんだぁ!?』


 統和の前にいる女子高生は引き締まった顔や手足に曲線のはっきりした胴体を合わせ持ち、まるで雑誌の表紙を飾るような洗練された身体をしていた。さらにはその顔立ちや肌、声に至るまで魅力で埋め尽くしたようだった。

 男性はもちろん、女性も含めて羨望の眼差しを向けられるに違いない。統和は素直にそう感じた。


『これはこれは。あの学生証スクール・カードに映っていた醜いブタとは逆のようだ』

『ど、どういうことだよ!?一体、何者ナニモンなんだよこいつはぁ!?』

「ユッピーだ」

『あ……?』


 もはやフローリアの暴言を誰も気にしない状況下、統和は静かに呟いた。


「そう、あんた確かユッピーって言われてたな。今日の午後五時頃、俺とすれちがった。覚えてるか?」

「っ!あ、あのぶつぶつ言ってた……!


 ユッピーの顔がさっと青ざめる。


「やだ!イヤッ!離して!」

「落ち着け!あんたに興味はない!」

「え……!?」

『おい統和!?お前、こいつと知り合いなのか!?』


 統和はイヤホンからの問いかけには答えず、ユッピーとの顔をじっと見据えた。

 何から話すべきか迷ったが、チャックルとの接触を考えると仲間はいない方が都合がいい。古御出たちの存在を明かさずに話を進めることを決める。


「あんたはどうしてここにいる?俺はここには人に会いに来た。もちろん誰にも知られないように一人でだ。あんたもそうなのか?」

「…………」


 ユッピーが警戒しているのは明らかだった。

 統和はしばらく考えた後、少し踏み込んでみることにした。

 

「鉄府豊姫」

「っ!!」


 少女の顔色が変わる。これだ、と統和は思った。


「知ってるだろ?あんたと同じ高校だもんな。そいつのせいで今……そう、色々と面倒なことになっている。俺としては正直、迷惑しているんだ」


 慎重に言葉を選びながら相手の様子を伺う。


豊姫トヨに何する気……!?」

「今の所は何も。ただ、あんまり目障りなら俺もこれ以上は黙っていられない。それであんたはどうなんだ?その豊姫と一緒で俺の敵なのか?」

「ち、違う!お願い!トヨに手を出さないで!あたしが何とかするから!」

「あんたが?」

「あたしはトヨを助けに来たのよ!」


 ユッピーが声を荒げる。

 彼女はチャックルの取引とは無縁の第三者だということだった。






 三場さんば優美ゆうみことユッピーにとって、目の前に現れた怪しい男が何者なのかは些細な問題だった。

 重要なことは、この男が自分の友人である豊姫に何らかの干渉をしようとしているということと、それによって豊姫の人生が大きく捻じ曲げられてしまうということだった。


(それだけはダメ……!あの子の人生はまだやり直せる。いいえ、やり直せるレベルまで引き戻せる。あたしにならそれができる!)


 言葉通りの意味ではない。彼女の“できる”に込められているのは“やらなければならない”という使命感だ。

 彼女がここまで来てしまったのも、元をたどれば“豊姫を守りたい”という強い使命感が原因だった。


『アッハハハ!泣いた泣いたー!』

『ほらほら返してほしかったら追いかけてこいよー!』


 最初のきっかけは小学校の頃。ユッピーはクラスの男子からよくちょっかいをかけられていた。

 この日、ユッピーはランドセルに着けていたウサギのストラップを取られ、大勢の前で泣き崩れていた。

 そこに豊姫が声を上げたのだ。


『いいかげんにしろ男どもっ!』


 その時、豊姫が何を言い放ったかユッピーはほとんど覚えていない。ただ、自分を助けてくれた少女に多大なる恩を感じたことは事実だった。

 それから二人は友人になった。


『なんだよあいつ偉そうに』


 ……ユッピーに気付けるわけもなかった。

 男子たちの行いはユッピーという一人の女子への好意からくるものだった。一時的な流行やその場のノリとは全くの別物だったのだ。

 遺恨となった彼らの気持ちは次第に好意から悪意へと裏返り、その標的は豊姫へと変わっていく。


『なぁ、あいつ何か変じゃね?』


 中学に上がってから豊姫の身体に異変が生じ始めた。

 急激な体脂肪の増加、それに伴う身体への様々な負担。肉体的な面だけではなく精神的な面でも彼女は大きく苦しむことになった。

 日常生活を送るために日々の錠剤の服用が欠かせなくなり、定期的に起きる激痛を伴う発作に睡眠時間は大きく削がれた。


『撮れ撮れぇい!世界初!ヒトと豚のハーフ、デッブのお披露目でぇぇぇす!』

『キャハハハハハ!』


 憎たらしい相手が不幸に見舞われたとなれば、そのチャンスを見逃すわけもない。

 彼らが騒ぎ立てるのは必然的だった。

 かつてユッピーに向けられたものよりも鋭く研ぎ澄まされた攻撃が豊姫に向けられている。

 黙っていられるわけもなかった。


『あたしの大切な友達に何か用?』

『あ、いや……』


 拍子抜けするくらいに彼らはあっさりと引き下がった。豊姫への攻撃が過熱することも、ユッピーが報復を受けることもなかった。

 ユッピーには彼らの心を変えてしまうほどの強い魅力チカラがあったのだ。

 それ以降、ユッピーの心に使命感が生まれた。


(トヨを嫌う人はまだ残っている。そしてトヨの味方になれるのはあたしだけ。あたしにしか救えない……あたしだけが救えるんだ!)


 そして事態は動き出す。


『おい、聞いたか?デッブの奴、覚醒剤くすりに手ぇだしてるらしいぞ!』

『マジ?人生終了じゃん!あの見た目じゃ元から詰んでるようなもんだけど!』


 人間はなぜ陰口を言うときだけ想像力が膨らむのだろうか?


『それって何か根拠があって言ってるの?』

『ユッピー!?』


 ──否、そうではなかった。


『と、隣のクラスの奴が言ってたんだ!いいか、夜の八時に港の倉庫でな──』


 彼らの陰口には題材があった。

 覚醒剤に手を染めた一人の不良生徒からひそかに漏れ出した真実が、根も葉もないありふれた誹謗中傷に彩りを付け加えたのだ。

 そしてユッピーは……!






「要するに、あんたは友人の無実を証明するためにここまで来たのか」


 ほとんど一方的だったユッピーの言葉に、統和はそう返した。


「わ、分かってるわよ……あなたの話を聞く限り、トヨは……!でも、それでもあたしはトヨを守りたいの!トヨに手を出さなければあなたにも迷惑はかけないから!だからお願い……!」

「……いいだろうさ、あんたが友人を説得して連れ帰ってくれるなら俺が助かるのは事実だ。一緒に来な、俺の名前は統和だ」


 他に選択肢はない、といった様子で統和は静かに彼女に背を向けた。


(信じてもらえたみたい……)


 統和の背中を見つめながらユッピーはほっと胸をなでおろした。

 最初は話すら聞いてもらえずに、問答無用で危害を加えられるのではないかと気が気ではなかったのだ。


(っ!!)


 しかしを視界に入れた瞬間、再び全身が緊張する。

 統和が向かう先とは正反対の方向、その街灯の下にぼんやりと男の顔が映っていた。

 その男は左右対称のチョビ髭をいじりながら、大きな目で彼女を見つめていた。


統和このひとは……気づいていない!)


 心臓の音が爆発するかのように鳴り響く。額には脂汗が滲み、手足が自分の物でないかのように震えだす。

 当の統和は全く同じペースで歩き続けていた。ユッピーが追い付けるように気を利かせた、ゆったりとしたペースだった。


「ウーフー」


 あまりにも無防備な背中。チャックル・ハックは静かに笑った。

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