第7話 見るに堪えない

 数人の警察官が集まっただけで“ごった返す”と言えるほどの、決して広くはない路地裏。そこが事件現場だった。


「ひでぇ臭いだなこりゃ……」


 古御出は顔をしかめながら言った。

 赤黒く濁った水溜まりの中に一人の人間が倒れている。

 警察官の服装をしたその人間は首から上が消失していた。いや、水溜まりになるまで細かく粉砕されたと考えるべきか。

 とにかく、この場で惨たらしい損壊行為があったことは誰の目にも明らかだった。


「一体、何をしたらこんな遺体ほとけができあがるってんだ」


 もちろん不可能ではない。例えば工業用の破砕機でも使えば再現はできるだろう。

 だが周囲にそのような器具は無いし、それを持ち歩く奇人変人の類は目撃されていない。

 要するに、不可能ではないが現実的でもないのだ。


「おう、見えてるか?」

『見えてるよ、古御出さん』


 古御出の装着したイヤホンの向こう側で統和が言った。




 現場付近に停車した警察車両の後部座席で、統和とフローリアはタブレット端末を挟んで座っていた。

 端末からは古御出の見聞きする光景と音声が流れ、二人は現場に行かずして状況を把握できるようになっていた。古御出のイヤホンにカメラが内蔵されているのだ。

 これはもともと統和のために用意されたものだ。警察組織に属していない統和が現場に混ざると余計な混乱が生じる可能性があるということで、古御出が提案したものだった。


「その白上さんが上司に遺した情報だと外見の特徴はチャックルに一致しているな。それで殺されたとなれば口封じだろうけど……どういう殺害方法やりかたなんだ?フローリア、過去に似たようなことがあったりは?」

「…………」

「フローリア?」

「ニュースキャスターが言い間違いスリップアルバイトパート・タイマー迷惑行為ハラスメント。あとは東京の海でサメが出た」

「は?」


 手元の携帯画面を統和に見せながらフローリアは淡々と言う。


「良かったな、この事件ケースはまだ記事ニュースになっていない。重大記事ビッグ・ニュースはサメの方だ」

「……それは何より。で、俺の質問は?」

「私はこんな光景シーンは見たことがない。チャックルではない、一緒にいた別の誰かの仕業アクションだろう」

『あ?別の誰かぁ!?あんた、日本じゃチャックルに護衛がいないようなことを言ってたじゃねぇかよ!』

「ゴエー?護衛ガードのことか。ふん、私がいつそんなことを言った?」


 フローリアは古御出の発言を鼻で笑う。

 チャックルは精霊を持つ者と一緒にいることが多いが、専属の護衛を雇っているわけではない。彼女は改めてそう説明した。


「私が言ったのは奴の人間関係コネクションのことだ。単純シンプル友人フレンドなのか顧客クライアントなのかは知らない。だが奴は精霊ビージーエムを持つ奴との人間関係コネクション着実ステディに広げている。日本ジャパンはまだ少ない方だ」

「ぞっとしない話だな……」


 統和はぽつりと言った。

 精霊能力を駆使する人々が、チャックルの商売によって取り締まるべき犯罪者へと変わっていく。

 フローリアの言葉はそういった可能性を示唆していた。


『……だったらよう、こいつも精霊持ちだってことか?』

「うん?」


 端末の向こうで古御出が屈み、何かを拾った。


『隅っこに落ちていたぜ、学生証だ。鉄府てっぷ豊姫とよき……女子高生か。一緒に路地裏に入っていった奴ってのはたぶんこいつだな』

「ふはっ!なんだその汚いものは?日本ジャパン学生証スクール・カードは随分と不潔ダーティなのだな」

『んなわけあるか!動物の糞にまみれてやがるだけだ……ったくよう』

「……?」


 そこに写っている人物をどこかで見たことがあるような気がした。

 統和は少しの間、今日一日を振り返る。


(あぁ、警視庁に来るまでに出会った一人か。確かユッピー……じゃなかった。ユッピーを呼んだ側だ)

「トーワ、どうかしたのか?」

「いや、大したことじゃない。こんな若い子が人生をふいにしかけてるなんて、少しやるせない気分になっただけだ」


 道端ですれちがっただけ。統和からしてみれば正直に伝えるのもむず痒い、些細な理由だった。

 つまらない意地を張ってしまった自分に思わず苦笑する。

 そんな彼を見ながら、フローリアも笑った。ただし見ていて気分が良くなるような笑い方ではなかった。


「ふはっ、私に言わせれば至極当然パーフェクトリィ・ナチュラルだ。あの顔を見ろ」

「え……」


 彼女が映像に人差し指を突きつける。


「あれが女の十代ティーンだと?糞の化粧メイクがよく似合う肥え太った醜いブタの間違いではないか!顔ガチャで外れたなら覚醒剤アイスに手を出すのも至極当然パーフェクトリィ・ナチュラルだな!最初から不幸な人生ミゼラブル・ライフ確定フィックスしているのだから!ふはははっ!!」

「よくそんな……、……顔ガチャなんて変わった日本語を知っているな」

『おう、統和。素直に言った方がいいぜ、性格が悪いってな』

(心の中で思うだけにするよ……)


 統和は呆れ気味に背もたれに寄り掛かる。

 フローリアの言葉は言いすぎだとは思ったが、彼が豊姫のことをそのふくよかな体型で記憶していたのは事実だったため、多少の罪悪感を抱くことになった。


『ちっ、いつまでも笑ってんじゃねぇや。ここはもう引き上げるぞ。誰が殺ったにしろチャックルを吐かせりゃ済む話だ。切るぞ……』


 端末の画面が真っ暗に切り替わる。


「トーワ」

「ん?」


 統和が端末を仕舞おうと手を伸ばしたところに、ようやく笑い終えたフローリアが口を開く。

 彼女は先程までいじっていた携帯電話を左手で内ポケットにしまうと、まっすぐ統和の目を見つめて言った。


「今からFBIわれわれの調べたチャックルの潜伏先アジトに向かうわけだが、その前に言っておくことがある」

「俺だけ?古御出さんには聞かせなくていいのか?」

標的ターゲットを消しに行くのは貴様だ。それに貴様とコーディーとの信頼性リライアビリティも見えんからな。教えたければ好きにしろ」

「分かった、それで?」


 彼女の深刻な口調に、統和は真剣に耳を傾けることにした。


「チャックルはブスな女が嫌いだ」

「…………なんだって?」

「聞け、真面目シリアスなことだ」


 その反応は分かっていた、とフローリアはさらに表情を引き締め、統和の心を引き止める。


「私があの女を醜いと嘲笑ったのは研究リサーチしたからだ。それまでは貴様ら日本人ジャパニーズの顔は全て同じに見えた」

「……!」


 その言葉に統和はフローリアが外国人であることを再認識する。

 馴染みのない人々の顔が全員、同じに見える。統和にも覚えがある感覚だ。


重要エッセンシャルだったのだ、女の顔を知るというのはな。チャックルという男を追ううちに顧客クライアント特色キャラクターが見えてきた。奴は自身が好む女からは金は取らない。その代わりにここだ」


 フローリアの指が胸へと動く。

 カラダで支払わせる。統和にもその意図はすぐに伝わった。


「だがな、トーワ。この場合ケース注目フォーカスすべきは、魅力的チャーミングな女が標的ターゲットにされていることではない。その逆、ブスな女の方だ。チャックルは顧客クライアント自由フリーに選べる立場ポジション……必ず何かしらの要因ファクターがある」


 金を持たない相手でも容姿が気に入ったなら物を売る。

 同じ理屈で言い換えれば、容姿の気に入らない相手に物を売る以上、そこには必ず他に気に入られた部分がある。フローリアはそう主張している。

 例えば金、地位、人脈。あるいは……?

 ──否、統和たちは真っ先にその要因を疑った。


「精霊か」

精霊ビージーエムと言え。ともかく、あの女がただの顧客クライアントでそれっきりと決めつけるのは危険リスキーだ。私が言いたいことが伝わったか?」

「警戒はしておくよ」


 統和はそう言ってフローリアとは真逆の方へ顔を向ける。現場の捜査を切り上げた古御出がこちらへ向かってくるのが見えた。


(どこにでもいる女子高生のうちの一人……か)


 少なくとも今日の夕方まで鉄府豊姫はそう捉えられていた。

 だが、そんな彼女は覚醒剤の売人チャックル・ハックに接触し、そして彼女を追った警察官が犠牲になった。


「おう、戻ったぞ。他に行く所はねぇな?」

「古御出さんこそ、トイレに行かなくていいのか?」

「手くれぇ洗ってから来たに決まってんだろうが!」


 今から統和は“仕事”に向かう。

 標的の名は告げられたが、彼にとってそんなものは関係なかった。彼の“仕事”とはすなわち“罪を滅するのみ”である。

 ……ただ、そこに一つの可能性が生まれたのだ。


(彼女はもう家に帰ったのか?あるいは……俺の向かう先にいるのか?)


 統和の脳裏に先程の記憶が蘇る。汚れてしまった学生証、血だまりと化した白上の遺体。

 そしてフローリアの忠告。


「古御出さん、行く所を思いついたんだがいいか?」

「あぁ?」


 彼らを乗せた車は静かに走り出した。

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