第6話 路地裏でのお披露目

 都内某所。

 怪しい外国人が女子高生を連れて路地裏に入った。

 そう聞けば誰だって“何かある”と警戒するだろう。関わらないように距離を取るか、警察に通報するか。一部の物好きは危険を覚悟で様子を見に行くかもしれない。

 しかし、この白上しらかみという男の場合、取れる選択は一つだけだった。

 なぜならば彼は警察官組織に身を置く一人の巡査であり、その仕事に誇りをもっていたからである。


(今、動けるのは俺一人だけだ)


 共に巡回パトロール中の相方は何とも不幸なことに、急な腹痛に襲われて近くのビルへと駆け込んでしまっている。

 職務質問に向かう旨を報告した彼の上司からは、単独行動を避けるように指示を受けた。

 だが彼は心の中で反発した。


(俺に指示を出した上司は相方あいつの顔色を見ていないんだ。あれじゃ十分以上はかかる。その遅れが致命的になったらどう責任を取るつもりだ?)


 既に途切れた通信機をしばらくの間、睨みつける。


(違う!俺たちが心配するのは責任の所在なんかじゃない!この瞬間にも目と鼻の先で起きている事件の方だ!)


 そして一人で車両を離れ、路地裏へと向かう。




「あーちょっと、そこのお二人さん……」


 二人の人物を確認し、声をかけたところで白上は言葉に詰まることとなった。

 彼らは様々な意味で対照的だった。外国人の中年男性と、日本人の女子高生。すなわち国籍、性別、年代、体格……それに加えて白上に対する反応もそうだった。


「あ、う……」

「ウーフー」


 女子高生は青ざめた顔で全身を震わせている。右手に持った物をバッグに隠そうとしたが間に合わず、中途半端な状態で硬直していた。

 一方で、男は笑っていた。女子高生の手にした物を前に言葉を詰まらせる白上を嘲笑っていた。


「彼女のが気になるかね?」


 男が彼女の右手を顎で指す。

 気にならないわけがない。

 それは札束。時代や場所を問わず常に犯罪の温床となり得る物だった。


「私が払ったものではないからなぁ、いくらあるのかは知らないが……んー見た限り百万円という所だなぁ」

「ちょ、ちょっと……署まで来てもらおうか」

「君は警察官か、なら拳銃は持ってるかね?」


 震える声で職務を全うしようとする白上に男の声が飛ぶ。外国人であることを忘れるほどの流暢な話し方だった。


「拳銃はいいぞぉ、特に世間の食いつきがいい。たったの十発、人間に向けて引き金を引く……それだけで世界中の話題を掻っ攫える。当たってから死ぬまでが短いし、何より損傷が激しい。世の中の人たちはこういう瞬間的な話題に食いつくのだよ」

「わ、分かった。分かったから来なさい」


 嘘である。男が何を言っているのか白上は分かろうともしていない。

 犯罪者という人種は警察を前にすると、こうやって長々と言葉を連ねるものだ。自分を正当化したり、相手の共感を得ようとしたりと。

 いずれにせよ、白上にとってそのようなものは戯言でしかない。そもそも眼前の状況を理解できていない彼に、男の脈絡のない言葉を理解しろというのも無理な話なのだ。

 しかし男は話し続ける。


「別の言い方をすればだね、十発……十人の命で世間の目をそらしてくれるとも言えるわけだよ。いいかね?たったの十人。年間十万人以上を葬っている我々からすれば誤差みたいな数だ。それっぽっちで悪党の主役になってくれるなんてな、こんなにいい隠れ蓑はそうそうない。だから私は銃規制には反対なんだなぁ、ウーフー!」

「ああ、もう!分かったから!」


 そうして白上の混乱が苛立ちに変わり始めた頃だった。


「いっ……!?」


 白上の首筋に痛みが走った。何事かと振り返ろうとした彼の体は、全身をぐるりと回転させて後頭部から地面に倒れこんだ。

 体を起こそうとしてもがくがくと震えるばかりで全く力が入らず、眼前の景色は歪に曲がりくねっていた。

 虫なのかゴミなのか分からない黒い何かが、空中でバーコードのような形に整列し、右へ左へと飛び回っている。


「な、何を……!?」


 女子高生が口元を手で押さえる。

 男は芝居じみた様子で苛立ちを表現しながら、倒れた白上の元まで歩いていく。


「ところがだよ……そんな私にも認められない銃犯罪がある。分かるかね?犯人が薬物中毒者というパターンだ。こればっかりは拳銃より薬物が主役になる。隠れ蓑になってもらえないんだよ」


 白上の目に映ったのは、空中を飛び回るバーコードを男が掴み取る光景だった。その時になって、彼はそれが黒い目盛りのついた注射器だということに気付いた。

 ──中身は空だ。


「本当に嫌いだよ、拳銃を持ったまま薬を摂取したなんて奴は。この世から消し去りたくなって仕方がない。分かるかね?誰のことだか……ん?分かるよなぁ!?」

「あ、ぐ……分から……ない……!」


 独り言だった。白上の耳は最初からずっと男の話など聞いていなかった。

 もちろん分かっていることもある。彼が感じた痛みや首筋という場所を考えれば、今の今まで注射器に中身が入っていたことも、それが何でどこへ消えたのかも容易に想像がつく。

 分からないのはもっと別のことだ。


「あ、あんた……────誰だ……!?」

「…………ふぅむ」


 男は顎に手を当て、白上の言葉をよく噛み締めながら言う。


「そうやって首を突っ込むから君は嫌われるのだよ。“好奇心は猫を殺す”と、イギリス生まれの言葉だが日本人はどう捉える?猫ですらも殺される……それが人間ならどうなると思うのだね?んー?」


 ガリガリと白上の耳に何かを削るような不快な音が聞こえてくる。

 どこか遠くの音に思えたのは最初のうちだけで、徐々に大きくなっていったその音はやがて頭の中へと浸透し、脳を揺らし始める。


「チャックルだよ」


 音はますます勢いを増していた。

 得体の知れない何かが体内を蠢いているかのような痛みと熱さが耐えず白上を襲っていた。


「君はもう余計な言葉を発することはない、お口にチャックルだよ……なんてなぁ!ウーフー!」


 それが現実に起きていることなのか、覚醒剤による幻覚の類なのか。

 白上がどのような結論に至ったのかは誰にも分からない。


「あ、あ……ぐっ……!」


 女子高生は恐怖に身をすくませながら、目の前で起きた惨劇に耐え抜いていた。

 男は笑顔で言う。


「あぁ、安心したまえよ。もう君は逮捕されはしないさ。それより取引の話をしようじゃないか。君はそのお金を払うと言うのだな?」

「…………」

「よぉし!」


 札束を持つ女子高生の手に力がこもる。

 チャックルは小柄な体格に見合わないほどに目を大きく見開き、とびきりの笑顔を見せた。

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