第3話 神判の時間

 扉の向こうに見えたのは膨大な光の世界。眩い光が渦を巻き、その先に何があるかも分からない、そんな真っ白な世界だった。


「み、見えねぇ……!」


 陸奥芝は思わず手で顔を覆った。

 扉さえ見なければ目を開けてはいられるのだが、いざ扉を直視しようとすると途端に何も見えなくなってしまう。


「クソがぁ!『ディンブル・ウッド』!!」


 陸奥芝の精霊が扉へ向かって殴りかかる。

 その前には統和の精霊『オーディール・ドアー』が立ちふさがっていたが、特に扉を防衛する素振りを見せることなく統和の元へと戻っていく。


「はっ!何が出てくるのか知らねぇが、出入り口なら俺の『ディンブル・ウッド』で塞げばいいだけだぁぁぁっ!」

「何か割れたな」

「あ……!?」


 陸奥芝が攻撃を加えるより先に扉から何かが飛び出した。そして統和が言ったように、同時に何かが割れた音がした。

 それはガラスが割れた音に似ているが、もっと小型で局所的な音だった。

 陸奥芝の脳裏にもやもやとした感覚が浮かぶ。つい最近、この音を聞いた覚えがあるが思い出せない。そんな感覚だ。


「お前、何をした……?」

「…………」

「何をしたかって聞いているんだぁ!この扉から何を出したぁぁぁっ!?」

「さぁ?」


 統和は素っ気なく言い放つ。


「俺は引き金を引いただけだ、その結果がどうなるかは分からない。ただ、神判の扉は開かれた……ここから先は全ての罪を滅する“神判の時間”だ」

「わ、わけの分からないことを!もういい、こうなりゃさっさとお前を窒息させておしまいだぁぁぁっ!」


 陸奥芝の叫び声が木霊する中、統和はじっと扉の方を見つめている。


「ぎゃっ!?」


 同じ音が鳴った。ただし今度は鋭い痛みを伴って。

 陸奥芝の右腕に透明で鋭利な破片が突き刺さっている。


「ガ、ガラス?銃弾みてぇに発射されて俺の腕に……!」

「……そうだったな、思い出した。あったよ。立てこもりだけじゃなかったんだ、あんたの罪はな」

「っ!お、俺の罪……!」


 陸奥芝の表情が変わる。


(思い出した、こいつの割れる音……!こいつはガラスじゃない、ガラス“製”だ!奴の言う俺の罪ってのは!)


 パリン、パリン、パリンとまるで壊れたレコードのように、同じ音がずっと繰り返される。

 その数はすなわち……陸奥芝を襲う破片の数。

 全ての破片が当然のように同じ形をしていた。


「ぎゃあああああああっ!!」

「あんたがさっき、落として割ったガラス製のコップだ。立てこもりに比べたら些細な罪だけど、俺の『オーディール・ドアー』にとってはどちらも等しく一つの罪だ。重いも軽いも無い。人間の法律からすれば理不尽ではあるけどな」

「り、りふ、理不尽んんんんん!!」


 次々と放たれる破片は放射状ではなく、直線の軌道で陸奥芝の肉体を狙い撃ち、肉体を引き裂いていく。


「『ディンブル・ウゥゥゥッド』!!そのテーブルをぉぉぉっ!!」


 半狂乱で繰り出された『ディンブル・ウッド』が近くに転がっていたテーブルの脚を掴む。

 椅子が引っかかっていたが力任せに引っ張りだし、何とか自身を守る盾を作り出した。


「あ、危ねぇ……死ぬ所だったぞ、ふざけやがってぇぇぇ!俺が割ったのは一個だけだったじゃねぇか!理不尽すぎるぞクソがァァァ!」

「待った、それより椅子だ。飛んでいった、よく見な」

「何が椅子だぁ!?もうその破片は通用しな──」

「うえええええええんいたいよおおおおっ!!」

「えっ……!?」


 頭に血が登っていた陸奥芝も思わず振り向くほどに、その泣き声は悲痛で大きく、そして異常だった。

 倒れ込む少女の姿、大きく腫れ上がった左足。その側にはゆらゆらと転がっている椅子。


「み、澪生ちゃん……!違う、俺はそんなつもりじゃ──!」


 見ていなかった。気づかなかった。焦っていた。

 言い訳などいくらでも浮かぶ。

 しかし、陸奥芝は全身を流れる冷や汗を止めることができなかった。


「あぁ、今のはあんたのせいじゃない。あの女の子が神判に巻き込まれただけだ。俺は責めたりしないよ、な」

「お、おい……やめろ!」


 陸奥芝の顔が青ざめだす。

 開かれた扉がゆっくりと角度を変えていく。

 その先にいるのは他でもない、泣き叫ぶ澪生だった。


「澪生ちゃん!うわあああああああっ!!」




(統和……こいつ利用しやがったな……俺以上に人質を……!澪生ちゃんの方にテーブルを持っていこうとしても間に合わねぇ……俺が盾になるしか……!)

「き……きゃああああああっ!!」


 陸奥芝は自身の肉体と精霊を使って澪生への破片を肩代わりしていた。

 彼はやがて後ろ向きに倒れこみ、ゴポゴポと血を吐きながら少女の声だけを聞いていた。

 『ディンブル・ウッド』の姿が消えると共にその体に刺さっていたグラスが全て床に落ち、虚しい音を立てた。


「あ、あく、悪人……人質ごと……ゴボッ!」

(……陸奥芝には伝わらないだろうけど、俺は扉を開いただけだ。後は『オーディール・ドアー』が罪を滅するだけ。そこには慈悲も差別も、俺自身の意思も無い。悪人がいるとしたら神判に巻き込まれたあいつの方……)

「やくたたずっ!」


 陸奥芝の脳内で大きな音が鳴った。


「ぱぱがあたしのことだいじにしてるって、しょうめいしてくれるっていったのに!けいさつがきても、あたしのことまもってくれるっていったのに!やくたたず!ごみくず!ほしゃくきんはらってあげない!」


 澪生が寝そべりながら、無事だった右足で陸奥芝の頭部を蹴り続ける。


「『オーディール・ドアー』が狙った時点で単なる人質じゃないのは分かっていたよ。筒田澪生、グルだったとはな」

「な、なによ……!?」


 統和は自分の体を挟んでいたテーブルをどかし、立ち上がる。

 澪生は思わず身を強張らせた。

 しかし統和が犯人グループに目をくれるようなことにはならなかった。


「役目は終わったし俺は帰るよ、これから行かなきゃならない所があるからな」


 彼はそう言うと一台のテーブルを元の状態に置き直し、財布から取り出した千円札と小銭を上に置いて去っていった。




 統和の退店から数分後、瓦礫まみれの厨房でシェフは怒り狂っていた。


「め、メチャクチャだ……!おのれぇぇぇ!碌に人生の将来も設計していないような底辺のクズがよくも!よくも私のレストランをぉぉぉ!」


 こみ上げる怒りが収まらない。


「あんなクズ、全身に後遺症が残っちまえばいいんだ!保険料は全て私のものだ!親元に押しかけてでもふんだくってやるからなぁ!」


 まずは立てこもり犯へ。次に事態を解決した青年へ。


「何が罪を“裁く”だ!犯人を刺激して被害拡大しやがって!自分に酔ったエゴ丸出しのヒーロー気取りがよぉぉぉ!!」


 行く宛の無い怒りが無意識に包丁を手に取らせ、そして適当な所へ投げつけさせる。

 ──シェフは大きな勘違いをしていた。


「っらぁ、ストライク!」


 投げつけた包丁がコンロのつまみに命中し、点火する。


「お、お……?」


 そこで初めて気づく。厨房のどこかから音が鳴っている。風船から空気が抜けるような音が。


「うぶっ!?お、おえっ……!!」


 刺激臭、そして猛烈な吐き気と目眩。

 点火したコンロの炎が大きく歪み……そして宙へ飛び跳ねた。




 シェフは大きな勘違いをしていた。

 もしも統和がこれを“裁く”と表現したのなら、シェフの怒りは妥当なものだっただろう。

 陸奥芝が味わった事象、すなわち自分のした以上のことをやり返された……その過剰な報復は、確かに法律の枠内に収まらない理不尽な仕打ちだと批判されるだろう。

 ──だが、これは違う。


「い、いてて……て……!」


 統和の姿はとある百貨店のトイレにあった。


(やっぱりあのニンジンだよな……ビーフシチュー、食わなきゃ良かった。仮に食ったのが俺一人だとしても俺個人への攻撃にはならないよな、食中毒だもんな。不特定の客相手に対する罪になる……『オーディール・ドアー』が滅する罪になる!)


 罪に対して与えられた罰は適量であるか?

 そんな精査をする必要は無い。

 最初から統和は言っている。罪を“滅する”と。


(やはりレストランのトイレを借りなくて正解だった。あの音はガス爆発。もうあのビーフシチューで食中毒は“起こせない”……罪は“滅した”!)

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