第2話 カイホウ
まるで幽体離脱かのように出現したその存在を前に、陸奥芝だけが表情を変える。
彼の後ろに佇む化物とは異なり、統和から出現した方はまだ人間に近い姿をしていた。
銅の鎧で全身を包み、頭部を覆う兜は両側から角のような突起物が上方向に伸びている。体格は筋肉質というよりもスラリとしており、まるで正義のヒーローのような格好だ。
だが、その兜の奥から漂う雰囲気は正義感のような熱さではなく、むしろ真逆。
すなわち冷徹だった。
「幸いなことにあんたはまだ誰も怪我させてはいない。今すぐ人質を解放して投降するなら多少はマシな結果になると思うけど、どうする?」
「……ぐっ」
陸奥芝の頬を汗が伝い、その視線がゆっくりと澪生の方へ動く。これまでの鋭いものではなく、焦りのこもった視線。
やがて彼は奥歯を噛み締め、自分を奮い立てるように統和の方へ向き直る。
「へ、へへっ……ナメんなよ。俺だってちゃんと考えてんだ。行き当たりばったりでこんなマネやったわけじゃねぇ。覚悟決めてんだよぉぉぉっ!」
「きゃあああああっ!」
陸奥芝の強い叫び声に呼応した精霊がテーブルの上を薙ぎ払う。
無論、周囲からは何が起きたか分からない。
澪生はただ悲鳴を上げることしかできなかった。
「『ディンブル・ウッド』!そいつを始末しろぉぉぉっ!!」
太い筋肉がさらに隆起する。その太さは誇張ではなく、本当に人を撲殺できる凶器と化した。
だが、迫りくる暴力を前に統和は顔色一つ変えなかった。
この男は実は何も見えていないではないか。そう疑わしく思えるほどに平然としていた。
「余計な罪を重ねるのは利口じゃないな」
統和の元を離れた精霊が素早い動きで近くのテーブルへ向かう。
そこに置かれていたのはフォーク。
レストランという舞台においてはナイフよりも刺さりやすく作られたそれを数本掴み、本物のナイフかのように投げつける。
「えぐぁ!」
銀色の凶器は正確に眼球へと投擲され、それゆえに陸奥芝からはよく見えた。
恐怖心と防御意識が膨れ上がり、無意識に両腕で顔を庇うと、二の腕から鈍い痛みが走る。
致命傷は避けたが、その痛みは彼の集中を削がすには十分だった。陸奥芝の怯みと共に『ディンブル・ウッド』の攻撃が中断する。
既に統和の元へ戻っていた精霊は瞬時に敵の懐に潜り込み、頭部と思われる出っ張りに強烈なアッパーカットを叩きこむ。
「ごげぇぇぇぇぇっ!!」
精霊への打撃と共に、陸奥芝の方も顔をひしゃげさせながら吹き飛んだ。
でっぷりと肥えた体が宙を浮き、隣のテーブルを巻き込んで大きな音を立てる。
「ただ、今の振る舞いについては安心していい。あんたから俺への攻撃は罪に加算しない。攻撃の過程で発生した店への損害も
「げ……うぐっ……げぇっ……」
「吐いてもいいぞ。降参してもいい。ただしその前に能力を解除してくれないか?この店の出入り口に見えない壁を作っているな。それがあんたの精霊の能力だろう?」
「げぇっ……えっ……えっ……えへぇっ!」
「むっ……!」
『ディンブル・ウッド』が立ち上がる。
そして次の瞬間、客席と厨房を仕切る壁を拳で盛大に貫いた。
「う、うわあああああああん!!」
澪生の泣き声が響き渡る。
ひとりでに飛ぶフォークや陸奥芝にはおろおろしていた彼女だったが、いきなり壁に大穴が開くとなればさすがに恐怖が上回った。
「えへへへへぇっ!罪に加算しないぃ!?ならありがたく使わせてもらうぜぇ!こんな風に壁をくり抜いてぶん回してもお前への攻撃ならいいんだよなぁ!?無実なんだよなぁぁぁ!!」
「勘違いしないでくれ。俺の精霊がそう扱うだけで、社会や法律はまた別問題だ。それに俺個人を狙うならともかく周囲を巻き込む無差別的な攻撃は……、──!?」
「もう無差別じゃねぇんだよぉぉぉっ!」
「客が……!」
統和の目に映ったのは窓ガラス越しに走り去っていく客たちの姿。
いまや店内に残っている人質は澪生だけだった。
「お前の言う通りだぁ!『ディンブル・ウッド』の能力は出入り口を塞いで通れなくする!それをさっき解除したぁ!親切心じゃねぇぜぇへへへぇくらえぇっ!」
手にした瓦礫──すでに壁としての機能を失っている鈍器──を大降りする。重量に比例して破壊力が増す代わりにスピードは低下するはずだった。
しかし──!
(速い!?)
とっさに身を屈めた、というよりは圧倒されて倒れこんだ。
スイングに巻き込まれた椅子やテーブルが風圧に舞い、ガラスを叩き割る。
(くっ……さっきまでのこいつは能力を発動している状態だった。入り口を塞ぐ壁を作って、それを維持していた分だけ体に負担がかかっていた。要は重しをつけた状態で戦っていたってことだ)
「えへへへぇっ!見えるぞ!お前の動きがさっきより遅いぞぉっ!」
陸奥芝がさらに瓦礫を振り回し、徐々に統和を追い詰めていく。
直接的な打撃を加えているわけではないが、店内に散乱している椅子やテーブルといった残骸が統和の逃げ道を塞ぎ始めていた。
「気分はプロゴルファーだ……!プロゴルファーみてぇに、お前の顔面の穴にブッこんでやるぜぇヘヘヘぇぇぇっ!!」
「はっ、プロの割には乱打しすぎじゃないのか……?」
憎まれ口を叩いてはみたが、それで状況が好転するわけではない。
よろよろと腹部を抑えながら後ずさりする統和の背中に何かが当たる。
振り向くまでもなく、それらがレストランのインテリアで、今は彼の退路を塞ぐバリケードと化していると悟る。
「くらいなぁ!」
「ぐっ……!」
脚の側から飛んできたテーブルが統和の身体を挟み込んだ。
陸奥芝は手にした瓦礫を放り出し、身軽になった腕を回す精霊と共にゆっくりと接近する。
「完全に動きを止めたぜぇ、えへへぇっ!なんかハンバーガーの具みてぇになっちまったじゃねぇかよぉ!いいぜぇ俺好みだぁ!」
「ハァ……ハァ……」
「この店の料理は無駄に高ぇわ俺の舌に合わねぇわで最悪だったぜぇ!だから駅前のファーストフードの方にしたかったんだよなぁ!」
「……いてて」
「苦しそうだなぁ、楽にしてやろうかぁ?えへへぇ!言っておくがお前の体をすり潰してパティにしたりはしねぇぜぇ?俺の『ディンブル・ウッド』でお前の顔の
ガコン、と重い音が鳴る。
「っ!?な、なんだこれは!?」
空間に浮かび上がったのは一つの扉。木製の表面ながら金属質な光沢をわずかに放つ両開きの扉だった。
陸奥芝の背筋にゾワリと悪寒が走る。
その扉は神聖な雰囲気に包まれてはいたが、彼が抱いた感情は真逆だった。
重々しい音と共にゆっくりと開いていくその様には、決して軽はずみな気持ちで開けてはならない“不吉さ”があった。
「仕方がない。単純な肉弾戦だけで勝負できれば良かったんだけどな。猶予が無くなってきた」
扉の前に統和の精霊が立つ。
すぐに陸奥芝は理解した。こいつが扉を作り出した、いわば扉の支配者なのだと。
それを証明するかのように、統和の精霊が扉を一気に開放する。
「『オーディール・ドアー』……神判の扉は開かれた!」
<挿絵:https://kakuyomu.jp/users/FoneAoyama/news/16817330664876326336>
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