Ordeal Door~神判の扉は開かれた~
青山風音
第1話 立てこもり事件
罪人よ、それでもそなたが潔白ならば神がそなたを死なせぬであろう。
~ある死刑執行人の言葉~
『こちら立てこもり現場のレストランです。事件発生から既に二時間以上が経過していますが、
「
「はいよ。ったくうるせぇ奴だよなぁ」
東京都警視庁の一室にて。
机に置かれた電話機からのそのそと受話器を取り、耳から十分に距離を置いてボタンを押す。
案の定、電話口の向こうから聞こえてきたのは怒りにまみれた罵声だった。
『お前が責任者か!?私の娘が人質になっているというのに警察は何を呑気にやっているんだ!?』
「
『あぁ、そうだとも!年商50億は稼ぐ社長、それが私だ!その一人娘の命ともなればどれほどの重みを持つか説明するまでもあるまい!しかも犯人はろくすっぽも稼げん無職の中年だという話じゃないか!さっさと射殺しろ!あんなクズの命、無下にしたところで誰が困ると言うのだ!?』
「娘さんが困るでしょうに」
古御出は受話器を叩きつけたい衝動を必死に抑えながら言う。
「目の前で人が撃たれて死んだら一生物のトラウマになっちまいます。かといって一発で無力化できなきゃ、その時は娘さんを道連れにされておしまいだ。射殺なんて簡単に言うもんじゃない。そもそも……」
『だったら手を撃てばいいだろう!包丁を持ってる方の手だ!武器を落とせばあとは警察が突入して──』
「馬鹿野郎がっ!!」
『ぎゃっ!?』
古御出が受話器で机を殴りつける。
やはりこうなったか、と誰かの溜息が室内に漏れた。
古御出が相手を黙らせたい時によく使う手だ。今回は受話器が壊れていないだけ優しい方だった。
「お前、拳銃を何だと思ってんだ?引き金を引くだけで殺しができるなんて、そんな便利な道具がこの世にあるとでも思ってんのか?いい年こいた大人が漫画みてぇな理想像を見てんじゃねぇぜ!」
『み、耳が……あああ……!』
思い通りに通話相手を怯ませたことに成功した古御出はご機嫌な表情で、しかしそれを悟られないように威圧的な口調で続けた。
「大体おかしいとは思わねぇのか?人質は十人。単独犯で武器は包丁のみ。最初の一人に包丁を突き付けて、残り九人は自由だ。それで一人も取り逃がさずに制圧するたぁ、こいつは何か“やってる”って感じがするもんだよなぁ」
『な、何が言いたい……?』
「現場からの報告を聞けば案の定だ。「
そこで古御出は再び目線をテレビに向ける。
そこには中継カメラが店内の光景をガラス越しに撮影している映像が映し出されていた。
包丁を手に椅子に座っている男と、手を掴まれて泣いている少女の姿も見える。
「おう、ちょうど映ってるな、陸奥芝の後ろだ」
『後ろってどこの映像を言ってるんだ?クズ野郎が私の娘を怖がらせているだけじゃないか!他には何も……いや、あれは……!?』
筒田の声が戸惑いに震える。
『なんだ!?ガラスの破片が浮いている……!?』
「正確には“手にして立って”いる。おそらくコップだろうなぁ、さっき落として割ったみてぇだ」
『ガ、ガラスでもコップでもどちらでもいい!一体なんだあれは!?』
「見える奴には見えるんだよ、おたくの目にはガラスしか見えねぇだろうがな」
<挿絵:https://kakuyomu.jp/users/FoneAoyama/news/16817330664876106976>
“それ”をあえて一言で表現するなら化物だった。
人間はもちろん他のどの生物とも異なる見た目をしており、それでいて頭部や手足は人間と同じ個所に位置し、人間ほどの体格で二足歩行をする存在。
全身の皮膚はクルミの殻のように細かい窪みが刻まれ、両腕は太く筋肉質で鋭利な爪がついている。丸みを帯びた頭部には目や鼻といった部位は存在せず、ただの突起物と言っても差し支えないようにも見えた。
「まぁ、化物なんてのは何も見えねぇ奴にイメージを伝えるための便宜上の表現だな。実際にアレを化物呼ばわりする奴なんざいねぇさ。なんたってそいつらにはアレが見えねぇんだからよ」
『ふ、ふざけているのか?警察組織がそんな意味不明なことを本気で主張しているのか!?さっき私に現実を見ろと言ったのはお前の──』
「ちょっと待ってろ!」
『ぎゃっ!?』
今度は受話器を放り出した音だった。
ノートPCに表示された文字を見た瞬間、古御出は忙しなく携帯電話を手に取り、文字を入力し始めた。
これ以上、電話対応に取る時間は無いというアピールだな、と他の職員は納得した。通話先の相手には何も分からないだろうが。
「ふぅ、やっと承認が下りた。後はあいつの仕事だ」
古御出は大きな独り言を発して他の職員たちに現状を展開する。
「しっかし、お偉いさんが精霊を見れねぇ奴らばっかなのは何とかしてほしいぜ!精霊の関与なんざ見れる奴が見りゃそれで済むことじゃねぇか!緊急会議なんざしている間に犠牲者が出たらどうすんだよ!なぁ!?」
自分の役割が一区切りついたのか、軽快に愚痴を吐き続ける古御出。
職員たちは苦笑しながら、すっかり忘れられてしまった通話中の受話器の方を見つめていた。
立てこもり現場のレストランでは絶えず少女の泣き声が響き続けていた。
それもそのはず、立てこもり犯は常にその少女一人を傍に置いていたためだ。
一方、
貧しいなら裕福な家系を狙い、運動音痴なら体格的に有利な子供を狙う。
澪生が人質に選ばれたのも必然だった。
「おいシェフ!」
「は、はいっ!?」
陸奥芝が声を上げると、すぐにコック服に身を包んだ料理人が返事をする。
「コップを落として割っちまった。片付けてくれ」
「は、は、直ちに!」
「あぁ、それと注文だ。このガキに」
「ふえええええん!こわいよお!しにたくないよお!」
「さっきから泣き声がうるせぇんだ。泣き止むように何か食わしてやれえねぇか?ほら、好きなもん頼みな」
「え?え?えっと……えっと……」
彼らはずっとこの調子だった。陸奥芝が気にかける相手は澪生とシェフだけで、それ以外の人質は放置されていた。
とはいえ、暇つぶしに携帯電話をいじったりドリンクバーに行ったりする勇気を持つ者は誰もいなかった。
犯人にとってどうでもいい人質ならいつでも処分できるんじゃないか?
一度そんな不安に駆られてしまえば、後はひたすらに黙って座っていることしかできないのだ。
「び、びいふしちゅう。あと……ちょこれえとけえき」
「は、はい……承りました」
たどたどしい言葉遣いの注文を受け、シェフは一礼して厨房へ向かう。途中で陸奥芝が何も注文していなかったことに気づき、振り向いて様子を伺うも、彼は早く行けと包丁を持った方の手で合図するだけだった。
「やめておいた方がいい」
誰かが言った。
驚いた顔で陸奥芝がその方向を見ると、男が一人、席から立ち上がる所だった。
「ビーフシチュー……なんかニンジンから変な味がしたんだ。だからやめておいた方がいい」
散髪したてのような清涼感のあふれる短い黒髪をした青年だった。端正な顔つきは大人びてはいるが老けてもおらず、大学生とも三十代とも取れる。
そしてその目つきには怯えや恐怖といった感情が見られなかった。ただ真っすぐに陸奥芝の方を見つめていた。
「なんだお前……!?」
陸奥芝はわずかに身を強張らせた。
目の前の男は自分に向けて話している。注文したのは澪生の方なのに、本当に用事があるのはお前の方だと言うように自分の方を向いている。
……それにも関わらず、なぜか目が合わない。
「たった今、連絡が来たんだ。命令が下った。陸奥芝備一……立てこもり犯の罪を滅しろと」
「お前、警察か!?」
「いいや、たまたま居合わせただけの一般人……一般人?違うな、どう言えばいいのか。
そう言って男が人差し指を向けた先は陸奥芝からはわずかにずれていた。
目が合わないのも納得だった。この男が見ていたのは陸奥芝ではなく、その後ろにいる“そいつ”だったのだ。
「俺は
「せ、精霊……!まさかお前、俺の『ディンブル・ウッド』が見えているのか!?」
統和は返事の代わりに軽く笑みを浮かべた。
次の瞬間、その背中からゆらりと何かが浮かび上がる。
精霊。
現代社会で静かに蠢く彼らの犯罪に立ち向かうのも、やはり精霊だった。
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