第7話 ようやく、プロローグの終わり?



悪役令嬢スカーレット。


ゲーム内における彼女の短い人生は、混乱と混沌に満ちたものだった。


彼女が死に至るルートは7つ。


ハインズとエルザが結ばれ、その果てにハインズに断罪されるものが1つ。

ハインズ以外とエルザが結ばれ、戦火の中で死亡するものが4つ。

隠しキャラの一人に翻弄され、裏切り者として処刑されるものが1つ。

ハーレムルートで、公爵家が没落して一家離散し、路頭に迷った挙句に人知れず死んでいくルートが一つ。


死に際のシーンはどれもふわっとした表現で終わっているものの、現実に起これば目も当てられないような悲惨な目にあうことは間違いない。


特に悲惨なのはハインズとエルザが結ばれるルートで、自暴自棄に陥ったスカーレットはエルザの事を徹底的に排除しようとする過程の後、身も心もボロボロになっていく。

彼女が生き残ることができるルートは、全てのエンドを見た後に解放されるもの。

もう一人の隠しキャラが絡むおまけストーリーの一つのみで、それにしたってこの国から離れざるを得ない状況に陥るのだ。


………このゲームの製作者は、貴族階級の気の強い令嬢に親でも殺されたんだろうか。

全ルートを通してスカーレットは不遇で不憫。

俺が攻略している時は、エルザそっちのけでスカーレットがどうにか幸せになって欲しいと願ったものである。


生まれる前からこの国の王子に嫁ぐ未来が決定された人生って、窮屈じゃないんだろうかって不思議だった。

ログだけで書き記された彼女の半生は、周囲の大人からの洗脳の連続にしか思えなかった。

会ったことも無い王子の為に必死になって自分を磨き続け、出会ってからというものは、それだけを心の支えにして半ば折れそうな心を繋いで努力し続け………。


エルザが駄目というわけではないけれど、半ば鬼気迫るその思いに感銘を受けたんだ。


だからなのだろうか。


五歳になってオズワルド家への奉公が決まり、彼女と出逢ったときに前世の記憶が舞い戻ってきたのは。


とにかくそこからは俺も必死だった。


なぜこんな事になっているのかなんて考える暇もないくらい己を鍛え、同時にスカーレットを鍛え上げた。


そうすることが、俺とスカーレットの運命だったから。

いや違うか。

その時はそうすることでしか、運命を手繰り寄せる術を思いつかなかったからだ。


死なせない。


絶対にこいつを若くして死なせたりなんかしない。


死なせないだけじゃ駄目だ。


幸せにしてやる。


この世の誰よりも、こいつを幸せにしてやるんだ。


その為に俺はここに来たんだ。

そう思って過ごした十二年間は、あっという間に過ぎた。


記憶が蘇ってからは、のちの伏線となる出来ごとを徹底的に潰し続けることと、エルザの役割を奪える能力をスカーレットに叩き込むことが日々のタスクになった。

文句を言われ、ぶん殴られることも日常茶飯事だったし、時折嫌気が差しそうになることもあったけど、その度にスカーレットが処刑される悪夢を見て飛び起きたもんだ。


いっそ国外に攫ってしまおうかと考えたことすらある。


でもだめだ。


そうじゃないんだ。


幸せにしてやらなくちゃいけない。

ハインズと結ばれる未来を手繰り寄せてやらなくちゃいけない。

あのゲームのハッピーエンドなんか、実現させちゃいけねぇんだ。


………いっそ、エルザを消し去ってしまえば。


そんな思いが脳裏をよぎった日は、何だか自分が自分じゃなくなったような感覚に襲われて泣きたくなった。

そもそも前世の記憶ってなんだよって感じだよ。

ゲームの中の世界って、外はどうなってんだよ。

未だにこれが現実なのかと不安になることがあるんだよ。

いつかどこかのタイミングで、夢から覚めるんじゃないかって、そう思うんだよ。


でも、


「聞いてよアルフ!ハインズ様がねぇ………」

「ねぇアルフ、ハインズ様だったらさぁ………」

「ハインズ様に手紙なんて無理よ!!!あんたが書いてよ!!」

「本当にこれでハインズ様のお役に立てるんでしょうね………?」


スカーレットの顔を見るたびに、スカーレットの声を聞くたびに、そうじゃないんだって思いに胸が満たされる。


「アルフぅ………」

「はいはい、元気だしてくださいよ、お嬢様」


この世界は夢なんかじゃない。


「アルフ!!!!」

「はいはい、今やりますから、お嬢様」


この子は悪役令嬢なんかじゃない。


「アハハ!!アルフ!!」

「はいはい、よござんしたね、お嬢様」


一途で、不器用で、ちょっと嫉妬深いごく普通の女の子だ。


「アル………フぅ………」

「はいはい、おやすみなさい、お嬢様」


絶対に幸せにして見せる。

一人の人間の未来が、たった八つのルートしか無いなんてことあるはずがない。


俺は………ちょっと頼りねえかもしれねぇけどさ。


「アルフ」


任せとけよ。スカーレット。





◇ ◇ ◇




「ハインズ王太子殿下………」

「やぁ、こんばんは。夜分遅くに済まないね」


朗らかに笑うハインズを前にして、完全に思考が停止した。

何でこんなところに?

女子寮だぞ?

護衛もつけずに?

いや、そもそもなんで執事ごときの名前を………。


と、そこまで考えてから「あぁ違うそうじゃない」と思い至った。


まずいだろ。


今ここにはエルザがいる。


「君は………エルザ君だったね。」

「は、はい!王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう………」


不慣れなカーテシーを披露するエルザを見て、ハインズはただ一言「うん」と頷いてまた微笑んだ。


………。


なんか、かっけえな………。


ゲームしてたときには正義感ぶったいけすかねぇ野郎だと思ってたけど、生身の人間として正対するとオーラがすごい。


………ってそうじゃない。

こいつは何をしに来たんだ?

またエルザの見えざる修復力の影響か?

どうする………今エルザを引き剥がすのは流石に不自然だろうし………。


「ところで、なんで君たちは廊下で話しているんだい?」


等とつらつら考えている間に、ハインズは至極当たり前の疑問を口にした。


「ひょっとして………スカーレットはもう寝てしまったのかな?」

「………どうでしょうか。分かりかねます」


正直、なんで俺も廊下なんかでこんな重い話してたのかよくわからん。

エルザの暴走………ってことにするのはずるいだろうか?


………。

ていうか、スカーレットって呼び捨てにするのが微妙に気に食わない。

娘が彼氏を連れてきたときって、こんな気分になったりするもんなんだろうか。

なにを既に自分のものみたいな扱いをしてくれちゃってんのこいつはと。

………。

まぁ、生まれた時からこいつのものではあるんだけど。


「………ノックしてみても?」

「………良いのではないですか? 寝ていれば出ないだけですし」

「分かった、そうしよう」


そう言ってスカーレットの部屋の扉をノックしたハインズが「夜分遅くにすまない。ハインズだ。起きているか?」と部屋の中に声をかけると………


「こ、こんばんは………ハインズ様」


ほとんど間髪を入れずに、部屋のドアが軋んだ音を立てて開いた。

………やっぱり、扉の前でずっと盗み聞きをしていたんだろうな。


「………随分とやつれて見えるな?」

「も、申し訳ございませんっ!」


ハインズが言葉を選んで表現したスカーレットの顔は、確かにやつれて………というか、ひどい顔をしている。

もともと化粧をする必要なんて殆ど無いような完璧な造形をしているスカーレットではあったが、今宵に限って言えば泣き腫らしたせいで目が真っ赤。

髪にしたって慌ててとかしたのがバレバレというか………ところどころ乱れてひどい有り様だった。


………。


まぁそれでも、この世の誰よりも美しくはあるのだけど。


「よ、よろしければ部屋にお入りください。まだなんの片付けもできていませんので………椅子ぐらいしかありませんが………」

「ふむ………良いのか?非公式な訪問とはいえ………先程寮長には部屋の前までしか行かんと言ってしまったが………」

「だ、大丈夫ですっ!!二人きりというわけではありませんからっ!執事もおりますし………その………」


そう言ってからエルザを見たスカーレットは、やや気まずそうにしてすぐ目を逸らした。


………。


今日の俺のくしゃみは偶然のもの。

であるならば、主であるスカーレットは本来エルザに謝罪をして然るべきではある。


「よろしければ………エルザさんも中にお入りになって?」

「えっ………よ、よろしいのですか?」

「………勿論よ。………なに?泣いてたの?ひどい顔よ」

「あ………い、いえ………これは………その………」

「かわいい顔が台無しじゃない。ほら、これ使ってよ」

「こ、こんな高級そうなハンカチお借りできませんッ!!」

「特注品でもないただの安物よ。用がなくなったら捨てればいいわ」

「〜〜〜〜っ………か、必ずお返しを!洗って返しますので!」

「………なんでも良いわ。好きになさい」

「は、はいっ!」


ただ、スカーレットだけは俺がエルザを救うために、自分とスカーレットを犠牲にしたことを知っている。

偶然くしゃみが連発してしまった、という状況にしているものの、素直に謝る気分にはなれないのだろう。

でも、今エルザに手渡されたのは、プロローグでスカーレットの運命を狂わせ始めたあのハンカチ。

あの場面のスカーレットは、純粋にエルザのことを心配してハンカチをあげようとしていた。

………きっと今も、あのハンカチには複雑な気持ちが込められているはずだ。


「あんたは………入るの?」

「………。」


そりゃそうだよな。

いかにスカーレットが忍耐強く、大抵のことは気にしない大雑把な性格をしているとはいえ入学初日に大恥をかいたのでは………頭でわかっていてもそこまで割り切れないに違いない。

ましてやハインズの眼の前でとなれば尚更だ。


「………黙ってんじゃないわよ。どうすんのって聞いてんの」

「私は、もうお嬢様の部屋に入るわけにはいきませんので」

「………ふん、あっそ」


そう言ってスカーレットが苦虫を噛み潰したような顔になった瞬間、


「それは困るな。さっきも言ったが、僕はアルフ君とも話をしにきたんだよ?」


部屋の椅子にさっさと腰掛けていたハインズの鶴の一声で、結局、部屋に入らざるを得なくなったのは正直不本意以外の何ものでもなかった。







◇ ◇ ◇ 





平民の女子寮とは比べ物にならないほど豪奢な部屋の中に通された私は、なんだかもう居た堪れない気持ちになって冷や汗が背中を伝っていた。

足が沈み込むような絨毯。

部屋にいくつも設置された高価な魔導ランプ。

天蓋付きのベッドは、私の家族全員が十分に寝れそうなくらいに広い。


これが………公爵令嬢、スカーレット様のお部屋。

部屋の隅にはお一人用とは思えないほどの荷物箱が積み上げられ、まだまだこれがこの部屋の完成形ではないことを示してる。

とてもではないけど、住む世界が違いすぎるというか………。

改めて今日、そんなお方に私が恥をかかせたのだという実感が押し寄せてきて、思わず吐き気が込み上げてきた。


「エルザさん?」

「は、はいっ!!」

「どうしたの? そんなところで立ち尽くして………あなたもこっちに来て座りなさい」

「は!? あ………い、いえ………有り難いお言葉ですが私は立ったままで結構ですので………」


ベッドに腰掛けたスカーレット様がポンポンと叩いてみせたのは、よりにもよってスカーレット様の隣のベッドの上。

とてもではないけど、そんなだいそれたことが出来るはずがない。

こうして部屋に招き入れてもらったことだけでも身に余る光栄なのに………ましてや、あのハインズ殿下と同じ空間に………。


「そんなところで立ってられてもこっちが居心地悪いのよ。部屋に招いたからには貴女は客人なの」

「で、ですが………」

「あぁもうじれったい………!!」


私がオロオロしてる間に、スカーレット様はあっという間に私の腕をつかんでベッドに座らせた。


「わ、私………その………制服がまだ汚れていてっ………!!」

「ごちゃごちゃうるさいわね!そんな事知ってるわよ!部屋の主の私が気にしてないんだからいい加減に観念しなさい!!」

「は、はぃ………」


身を縮こまらせながら返事をすると、スカーレット様はニコッと天使のような笑みを浮かべてみせた。


なんて………。

なんて素敵な女性なんだろう。


私とはまるで正反対。


強くて美しくて、すごく真っ直ぐな人。



「ははっ!スカーレット、元気がなさそうだと思っていたけど、少し元気が出てきたみたいで安心したよ。エルザさんのお陰かな?」

「ハ、ハインズ様!こ、これはお見苦しいところを………い、今のは違くて………そ、その………」

「いや、気を使わないでくれ。いつもの君も素敵な人だが、今の君は更に魅力的だよ」

「は、はぁ………」


真っ赤になって俯いてしまって、本当に可愛い。

膝の上で服を握りしめてモジモジしてるのも、わずかに唇をとがらせるような表情も。

こんなに可愛い人がこの世に存在するなんて、なんだか神様の奇跡を目の当たりにしてる気分だ。


………。


ハインズ様とスカーレット様………ご婚約をされているのは私ですら知っている事だけど、本当に出会うべくして出会ったというか………すごくお似合いで羨ましい。


「それで………」


でもそんな可愛らしい表情を、スカーレット様はすぐにしまい込んでしまう。

キッと、鋭くなった視線の先で微動だにせずに直立しているのは………


「アルフ、あんたはいつまでそこで銅像みたいになってるわけ?」

「………私はここで結構です」


目を閉じて後ろ手に手を組み、呼吸のためにわずか胸が動いていることを除けば、アルフさんは本当に銅像になったみたいだ。


「アルフ君、君も座ってくれ。そう堅苦しくされては会話しようにも会話ができないよ。そう長居するつもりはないんだ。夜も遅いし、効率的に行こう」

「………王太子殿下と同席することは一介の執事には過ぎた栄誉でございます。どうか情けと思い、このままで居ることをお許しください」

「………ちょっとアルフ!!ハインズ様のご厚意を無下にするつもりなの!?」


ギリッ………と歯ぎしりの音を立てたスカーレット様の剣幕と言ったらない。

今朝ミリア様が怒っていらしたときも怖かったけど………スカーレット様の迫力は横で見ているだけで震え上がるようなものだった。

綺麗な人が怒ると怖いというのは聞いていたけれど、どうやら本当だったみたい。


………なのに、


「………」


アルフさんはツーンとした表情のままやっぱり動かない。


………何だか最初に出会ったときのイメージとは違って、かなり強情なところがある人なのかも?


「ちょっと!!」


辛抱を切らしてスカーレット様が立ち上がり、アルフさんに詰め寄って下から睨みつけてもその態度は変わらない。

後ろから見るとキスでもしていそうな距離感だけど………とてつもなく恐ろしい表情で睨みつけられているに違いない。


「あんた………なに考えてんのよっ………」

「………そもそも、スカーレット様とハインズ王太子殿下の逢瀬に、執事ごときが立ち入るべきではないと思っております。」

「ハインズ様がここにいろと仰ってるのよ!!」

「ですからお嬢様は上手いこと言って私とエルザ様を追い出すべきです。腰など落ち着けたら出ていくタイミングが失われます。長居するつもりがないと公言されているのだから尚更です」

「ふざけんじゃないわよ!!ふ、二人っきりにするつもり!?」

「願ったり叶ったりでは?」

「ま、まだ早いわよそういうのは!!!」

「ふん………?」

「ここにいなさいっ!!良いわね!?主人の命令よっ!!」

「………はぁ」

「ぐっ………!!あ、あんたねぇ………!最近素直じゃないわよっ!!スグでっかい溜息ついて何だってんのよ!!」

「………」

「聞いてんのっ!?」


小声でやり取りしているつもりなのだろうけど、静かな室内ではギリギリ丸聞こえではある。

阿吽の呼吸というか何と言うか………。

二人のほのぼのする掛け合いは留まることを知らない。

ツンとしたアルフさんとその下でプンスカしてるスカーレット様の組み合わせは………。


………。


なんか、この二人もすごくお似合いに感じちゃう。

ともすると、この二人のほうが………。


………。


って………何馬鹿なこと考えてるんだろう。


公爵令嬢と、一介の執事なんだから。


チラリとハインズ様の方を見てみると、だいぶ長いことやりあっている二人を、ニコニコしながら見つめてる。

ご自分の婚約者が、執事とはいえ別の男性と親しげにしていて嫌じゃないのかな………?

それとも、こういうのって上流階級の中では当たり前なの?

執事ごときは相手にもならないってこと?


………よく分かんないな。


私だったら………。


私だったらアルフさんが別の………。


………。


………?


何だかよく分からなくなって首をひねっていたら、気づくとハインズ様がこちらを見て微笑んでいた。


「っ………!」


間抜けな顔でもしていただろうか。

雲上人達と一緒にいるというのに、二人のやり取りに気を緩めて逡巡に耽ってしまった。

思わず赤面して俯くと、今度は小さくくぐもった笑い声が聞こえてくる。


「〜〜〜〜っ………」


増々恥ずかしくなってしまっているうちに、ハインズ様は「さて………あまり長居しても悪いし………」と言って椅子から立ち上がった。


「はっ!? も、申し訳ありませんハインズ様っ!! お相手もせずにっ………」

「いや、良いんだよ。もうここに来た目的は達成したみたいだからね」

「えっ!?う、うそっ………もう帰られてしまうのですかっ………?せめて紅茶の一杯でも………」

「こんな時間に紅茶を飲んだら眠れなくなってしまうからね。気持ちはありがたく受け取っておくよ」

「〜〜〜〜っ………」


フッと微笑んでみせたハインズ様は、慌てて近寄ってきたスカーレット様を見て安心させるように頷いてみせる。


「と、というか………目的とは………」

「ふふっ………! スカーレットが落ち込んでいるんじゃなかろうかと思ってね」

「え………?」


驚いて目を見開いたスカーレット様は、やがてハインズ様の意図をくんだのか、少しずつ顔を赤らめていった。


………励ましに来たんだ。


心配しなくても大丈夫だよって。


今日の失態のことなんて気にすること無い。

こうして夜遅くに心配して様子を見に位に、気にかけているから………って。


「エルザさん」

「は、はいっ………」


ポーッと惚けてしまったスカーレット様から、ハインズ様は私へと視線を移す。

慌ててベッドから立ち上がって気をつけをすると、ハインズ様はスカーレット様に向けたものと同じような微笑みを向けてくださった。


「今日のスピーチ、本当に素晴らしかったよ」

「あ………ありがとうございますっ!!」


ガバッ!って、音を立てるような勢いで頭を下げる。

本当なら膝をつくような場面かもしれないけど、どうしたら良いかわからない。

………もっとマナーの勉強をしておくべきだったかも。


「前半は緊張していたようだが、無理もない。僕も場馴れするまでは酷いものだったんだ。」

「み、見苦しい姿でお目汚しをしてしまいましたっ………」

「いやいや、あそこから立て直せたのは本当に素晴らしかったと思うよ。君がスピーチを再開したあとは、ざわめき一つ起きずにみんな聞き入っていただろう?」

「あ、ありがたいお言葉に御座います!!」


この国の次の最高権力者に、こうも言ってもらえるのは本当に嬉しかった。

今すぐ部屋に帰って、「信じられないことが起きたの!!」って歓喜の手紙を家族に向けて書きたいくらい。

今まで頑張ってきたことが、初めて一つ実を結んだんだよって。

みんなが支えてくれたおかげで、考えもしたことのない栄誉を手に入れたんだよって。


………。


………でも。


………。


違うの。


違うんだよ。


今日私が嬉しかったのは。


………。


時間が立つほどに実感が押し寄せてきて、申し訳ない気持ちよりも嬉しい気持ちが勝ってしまって。


気持ちがぐちゃぐちゃになって。


どんな言葉でこの気持ちを伝えたら良いのか分からなくて。


泣きたいくらい心が震えているのに、原因もわかるのに、今の私の気持ちを、表す言葉が見つからない。


こんな人がいるんだ。


こんな、神様が外界に遣わした天の御遣いのような人がいるんだって、雷に打たれたような衝撃を私にくれたのは………。



それは、




「アルフ君」

「はっ!!」




その人は、


「僕は、今日の君の行動に敬意を表したい」

「………」

「君のことを心から尊敬する。君の行動を見た後、僕はずっと何も行動しなかった自分の弱さに苛立っていたんだ」

「………」


初対面の平民の女なんかを、2度も救ってくれた。


一度目は白馬に乗った王子様みたいに格好良くて。


二度目は鼻水を垂らしながらなのに格好良くて。


「君のような人物がスカーレットに仕えてくれていることに、心からの感謝を述べたい」

「………」


どんな人なのかワケがわからなくて、色んな感情がごちゃ混ぜになったまま会いに来てみれば、今度は小さな男の子みたいに意地っ張りな一面を見せてきて………。


今日、2回も大変な目にあったのに。

なんで私みたいな弱虫がそのことをたいして気にもせず、頭の中で彼のことばっかりを考えているんだろう。


「本当にありがとう」

「………」


深々と下げていた頭をスッと上げたその人の顔は、僅かに眉がひそめられていて、


「有り難いお言葉ですが………」


真っ直ぐにハインズ様を見据えたまま、


「なんのお話か分かりかねます」


まるで本心からの言葉のように、そんな嘘をつく。


「そうか」

「はい。本当に申し訳ございません。」

「………………ふふっ………は、はははっ!!」


想像したこともないような豪快な笑い方でハインズ様が笑い続ける間、その人の表情はピクリとも動かなかった。


ずっと不機嫌そうに、少し眉をひそめた表情のまま。


「ふー………ははっ………」

「ハ、ハインズ様?」


ひとしきり笑って満足した様子のハインズ様は、青くなったり赤くなったり忙しいスカーレット様を見て、また柔らかく微笑んで見せた。


「スカーレット。君は恵まれているよ」

「は、はぁ………」


私もそう思うなんて言ったら………失礼だろうか。


「彼を絶対に手放せないように」


彼を欲しがる貴族様なんて、星の数くらいいそう。


「いいね………?」

「………はい」


チラリと彼を見た後、ブスッと頬を膨らませたスカーレット様はそれはそれは可愛らしくて、何だかもう、私はこの場にいる人たちが大好きになってしまって堪らなかった。




その後、ハインズ様はあっという間に帰ってしまって、スカーレット様は少し残念そうだったけど、


「エルザ様、平民寮までお送りいたします。」

「〜〜〜〜〜っ………!?そ、そんなっ………!」

「よろしいですね、スカーレット様」

「………当たり前でしょ。エルザに何かあったら許さないからね」

「承知しました」

「〜〜〜〜〜っ………!!」


馬鹿な私は、降って湧いた思わぬご褒美の時間の甘さに酔いしれてしまって、平民寮までの帰り道の間ずっとフワフワしどうしで、


「では、失礼いたします」

「あ、あの!!アルフさん!」

「はい?」

「………」

「………?」

「お、おやすみなさい………」

「………はい、おやすみなさいませ」


結局その晩、殆ど眠ることができなかった。



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