第8話 薔薇の刺繍のハンカチーフ
気に食わない。
「アルフ様♡ こちらに来て座ってくださいまし♡」
「………ありがたいお言葉ですが、どうぞお気になさらずにお茶会をお楽しみください、ミリア様」
「あーもうっ!ミリア様ったらまたアルフ様にちょっかいかけてぇ………!」
「べ、別にちょっかいだなんて………」
「ずるいですわ!ねぇアルフ様、私にもお茶を注いでくださらない?♡よろしいでしょう?スカーレット様?」
「え、えぇ………それは………もちろん」
気に食わない気に食わない気に食わない。
すんごいイライラする。
「アルフ様っ♡」
「キャァッ!!ちょっとジェシカ様っ!はしたないですわよッ!!」
「え〜♡ べつに、ちょっと手を握っただけですのに………♡」
学園の中庭で初めて執り行われている公式のお茶会。
くるくると組み合わせを変えながら行われるその会において、私は会のスタートからここまでのニ時間ほどイライラしどおしだった。
「ね、ねぇアルフ様………?アルフ様って………その………恋人はいらして………?」
「………スカーレット様」
「………答えてあげなさい」
「………おりません」
「キャアッ!!!♡」
その原因はこの色ボケ執事。
組み合わせが変わっても、すぐさまテーブルの話題は私の後ろに控えるアルフで持ち切りになる。
やれ魅力的だの、立ち居振る舞いが美しいだの、黒髪や黒い瞳が黒曜石のように神秘的だの………折角のお茶会なのに話題のすべてが色ボケ執事に掻っ攫われていく。
原因はわかってる。
二日前の入学式だ。
あの時の大失態を、裏で美談に仕立て上げているありがた迷惑な人物がいるのだ。そのおかげで、たった2日でアルフは、並み居る貴族連中よりも注目を集める時の人となっている。
「あの………アルフ様?」
「………はい、何で御座いましょう、ミリア様」
「えっと………その、私、少々刺繍を嗜むのですが………」
「それはそれは………ミリア様の作られる刺繍であれば、さぞかし美しいものになるのでしょう」
「い、いえいえ………♡ それで………よろしければ今度アルフ様のハンカチに刺繍をさせていただいたりすることは可能ですか………?」
「………スカーレット様」
「………ありがたく頂戴しなさい」
「………では、是非に」
その裏で暗躍している思われる容疑者が、このミリア。
あのときの行動はわざとに決まっています。
朝助けた平民の娘を再度助けようと、わざわざ自分が恥を被ったのです。
なんと心根の美しい殿方であらせられるのか。
と、そこかしこで吹聴して回っているらしい。
そんな噂がたてば、噂好きの貴族令嬢達の興味を引いてしまうのも致し方ないもの。
ましてやアルフは王国では珍しい黒髪と黒い瞳に………認めたくはないけどこの見た目。
新しい環境に浮足立つ女達の格好の餌食になる要素は揃ってる。
あぁもうっ………!
本当に腹の立つ奴!!
いつも「お嬢様、悪目立ちしませんように」とか曰うくせに、結局あんたが一番悪目立ちしてんじゃないのよ!!
「ねぇスカーレット様………本当にアルフ様ったら素敵ね………♡」
「は………はは………」
いっそこいつを放逐してしまえたらどれほど気が楽になるだろうか。
なのにお父様もお母様も………昨日初対面のハインズ様ですら「絶対にアルフを手放さないように」なんてことを言う。
「メイドではなくアルフ様を従者に指定されるお気持ち、とってもよく分かりますわ♡」
「やだルビィ様!スカーレット様にはハインズ様がいらっしゃるのよ?」
「あら。別に変な意味で言ったわけではありませんわ」
なのに、何なのよこいつは。
勝手なことをして私に恥をかかせて、かと思ったらいつの間にか注目の的。
涼しい顔して澄ましてるけど、どうせ内心ではデレデレしていい気になってるに決まってるわ。
知ってんのよ。
あんたがむっつりスケベだってことなんか。
実家ではマーガレットに惚れられて、随分と優しくしてたものね!!
私にはいつもつっけんどんなくせに………。
マーガレットばっかり甘やかすんだからこいつは。
ああいう自分に擦り寄ってくるタイプが好みなんでしょ。どうせ、マーガレットのお付きになりたかったとか思ってるに違いないわ!
「お褒めに預かり光栄だけど、アルフは別に大した執事なんかではないわよ」
「えー、そんなこと無いですわスカーレット様。わたくし、羨ましいですもの。こんなに容姿も仕事っぷりも完璧な執事なんて………そばに置いておくだけでも鼻高々ですわ」
「それは表向き。澄まし顔してるけど、化けの皮一枚剥いだら粗暴で嫌味なやつなの。ね?アルフ」
「………その通りでございます」
ふん!!
なーにがその通りでございますよ!!
二人っきりの時ばっかり言い返してくるくせに。
お父様もお母様も、ハインズ様だって騙されてるんだわ。
どうせ内心では「お嬢様の粗暴さにはついぞ一度も勝てたことがありませんよアハハ」とか思ってるんでしょうよ!!
本当に嫌なヤツ!!!!
「でも、こうして従者として連れてきているのは、やっぱり信頼されているからなのでしょう?」
「お父様とお母様に言われて仕方無くよ。誰が好き好んでこんな奴………私は普通にメイドを連れてこようとしたの。………たまたまみんな都合がつかなかったみたいだけど。」
「あら、やっぱりスカーレット様でも従者の選別では苦労なされたのね。五年も拘束するとなるとうちのメイド達も尻込みする人が多くて………」
「我が家もですわ。結局五年の確約が取れなくて………二年ごとに交代する事になってますの」
………ようやくアルフの話題から話を逸らすことができそう。
明るい話題ではないけど、眼の前でこの嫌味執事がチヤホヤされる光景を見せられて胸焼けするよりは………と、思った矢先。
「それでしたらスカーレット様。我が家からメイドを派遣させましょうか?」
ニコニコと申し出たのはミリア。
「は、派遣………?」
「ええ。メイドの都合がつかなかった方に、志願者が多かった家からメイドが貸し出される前例は多々あります。ちょうど我が家も数名の志願者がいたので、もしよろしければ」
満面の笑みでそう申し出るミリアに対して、予想外の状況に追い込まれた私は思わず言葉に詰まってしまった。
正直な話、貴族女子寮に執事を………しかも若い執事を連れてくるというのは、それだけでもあまり褒められたものではない。
公爵家の権力をカサに着て無理矢理押し通したものの、メイドを連れてこれるならそれに越したことはないのだ。
でも………
「当然謝礼なども必要ありません。メイドへの給金や支給品はすべて当家から出させていただきます」
………。
断る理由がない条件ではある。
これがどこぞの弱小貴族からの申し出なら突っぱねるけど、申し出ているのはヴァルティーニ家の三女であるミリア。古くから王国を支えている古参の貴族で、家柄は申し分ない。
「ただ当家のベテランメイドの枠が一つ空いてしまいますので………そうですね。代わりと言ってはなんですが、アルフ様を当家に派遣し返していただければ問題ありませんわ」
「………は、はぁ?」
あぁ………そういうこと。
ようするに、使用人の交換から始めて最終的にアルフの事を引き抜きたいってわけね。
五年も一緒に過ごせば私もメイドに情が湧くだろうし、逆にアルフはオズワルド家への忠誠心が薄まる。
それであわよくば、お互いが使用人をそのまま正式採用する形に持っていきたいわけだ。
ミリアの家はここから比較的近いから日帰りできるし、休みのたびに取って返してアルフをものにしようって算段なのね?
………随分アルフにお熱みたいじゃない。
最終的に愛人として囲うつもり?
………美形の使用人を囲う話なんて、確かに掃いて捨てるほどあるけど。
「お話を伺うに………スカーレット様はアルフ様に対して大分ストレスを感じていらっしゃるようですし。何よりも、やはり男性では身の回りの事を殆ど任せられませんから、大変でしょう?」
「………まぁ、それは………そうだけど」
チラリとアルフを横目で見ると、奴は相変わらずどうでも良さそうな顔で虚空を見つめて銅像みたいになっている。
………。
何か感じたりしないわけ?
今あんたを放逐するかどうかの相談をしてるんだけど。
「どうか見捨てないでくださいお嬢様!!」とか、「出来ることは全力でやりますので!!」とか、そういうのは?
「………」
「如何ですか?当家は学園に近いですし、早ければ明日にでもメイドを呼びつけられます。技量も人間性も、ヴァルティーニ家が保証いたしますわ」
アルフを睨みつけて待ってみるものの、こいつは全く口を開く気配がない。
………。
なによこいつ。
まさか………それでも良いとか思ってるんじゃないでしょうね?
「あんたは………どう思ってんのよ」
「………私ですか? 私はあくまで使用人ですので、お嬢様の決定に従います」
「〜〜〜〜〜っ!!」
腹立つ!!!!
懇願するなら側に置いてやるのに!!!
これで申し出を断ったら私がアルフを手放したくないっていう状況になっちゃうじゃない!!!
逃げやがったわね………。
あんたはそれで良い訳!?
そんな………えっと………あー………そ、そうよ!!マーガレットの事はどうすんのよ!!!
あの子今頃、寂しくて泣いてるわよ絶対に!!!
「私もアルフ様の本心が聞きたいですわ」
と、降って湧いた選択にパニックになっていた私への思わぬ助け舟は、当のミリアから出た。
「こんな事を言うのもおかしな話かもしれないけれど………アルフ様の御心を無視してまでしたい提案ではありませんもの」
「………」
よし良いぞ!!
コイツは私以外の女性の頼みなら、ほぼ断らない。
形勢逆転ね!!
よくやったわよミリア!!
「………でも、スカーレット様は大分ご苦労をなさっている様子ですけど。まだ学園に来て数日だというのに。」
はぁ!?
誰がいつご苦労なさってるってのよ!!
こちとらすこぶる絶好調よ!!
服だって最後の締め上げ以外は一人で出来るし、お化粧だって楽しい!!
なーにがご苦労よ!!
私はこの程度の事で音を上げる箱入り娘なんかじゃないのよ!
裏切ったわねこの女狐!!
「メイドの派遣の提案………アルフ様はどうお考えになります?」
「………」
ミリアが微笑みながらそう尋ねると、アルフは逡巡するような表情を見せてやや俯いた。
………なんか、珍しい表情ね。
………どうせ、どっちでもいいとか思ってるんでしょうけど。
ふんっ!!!
「私は………」
というかどっちかって言うとオズワルド家よね?
そりゃぁそう。
だってマーガレットがいるんだもの。
流石にあれだけあからさまなアプローチを受けていて、いくらコイツでもあの子の気持ちに気付かないわけが―――――
「私は、許されるのであればスカーレット様の御側でお仕えができればと思っております」
………。
………ほ、ほらね?
えっと………だから………つまりは………。
ようするにコイツはマーガレットの事が好きって事で……どうせマーガレットは病弱だから貰ってくれる相手なんて見つからないわけだし………丁度良いというか………。
「………スカーレット様の事を大切に思っていらっしゃると?」
「はい。私にとって、一番大切なお方です」
あ………う゛………え、えっと………。
こ、これは違くて………、そ、そういう意味なんかじゃ………ってどういう意味かって言うと………違くて………。
「………スカーレット様?」
「あ………え゛………? な、なに゛………?」
「ご気分が優れませんか?」
「え、えっと………」
「お顔が…………」
真っ赤ですわよ?
と言ったのは誰だったのだろう。
それを言われた瞬間に顔が猛烈に熱くなっている感覚が襲い掛かって来て、私は殆ど無意識にバン!!!!と、テーブルを叩いて立ち上がっていた。
「か、帰るッ!!!!」
「スカーレット様っ!?」
「い、行くわよアルフ!!!」
意味が分かんない。
意味が分かんない意味が分かんない意味が分かんない。
絶対に笑われてる。
何を逃げ出してるのよ私は。
どうしたって言うのよ私は。
何がしたいのよ私は!!!!!!
頭の中を意味のない言葉だけがぐるぐるして、意味のある思考をしたいのに全然無理。
お茶会の会場を抜け出して、後からついてくるアルフの足音から逃げるようにせかせか歩くけど、アルフとの距離は一向に広がらない。
「お嬢様。あまり急がれると危ないですよ」
「うっさい色ボケ執事!!!!!ついてくるな!!」
「お嬢様が行くわよッて仰ったんですが………」
「うっさいうっさいうっさい!!!!!!」
何を動揺してるのよ。
一番大切って、別に裏がある言葉じゃないでしょ。
しもべにとって主が一番大切な事なんて、周知の事実。
当たり前の事。
別にアルフは―――――
「あっ」
「お嬢様っ!!!」
いきなりグラッ…と足元が揺れたと思ったら、一瞬遅れてヒールが折れる音が耳に届いた。
「っ!!!」
転ぶ。
「~~~~~~~~っ……!!!」
やだもう。
何なのこれ。踏んだり蹴ったりだわ。
怪我はアルフが直してくれるけど、ドレスが破れてしまうかも。
初めてのお茶会だからって、一番のお気に入りを出したのに。
それに、みっともない姿をアルフに今晒すのは………なんかすごくやだ。
「…………」
「………大丈夫ですか?」
スローモーションのように地面が近づいてくる様子が視界に映っているのが怖くて、ぎゅっと目を瞑った次の瞬間。
私の身体が感じた感覚は、痛みや衝突の類ではなかった。
「………」
「………あの、大丈夫ですか?お怪我は?」
フワリとおなかに差し込まれた腕は、びっくりするくらいしっかりと私の身体を受け止めて固定されていた。
顔を上げると、目と鼻の先にアルフの顔があって私をのぞき込んでいる。
「………」
「………おーい。お嬢様……?」
頭の中には何も思い浮かばなかった。
本当に頭の中が真っ白で。
ただただ、アルフの黒い瞳に吸い込まれてしまうような感覚だけが私の身体を支配していた。
「離しなさい」
「はぁ………離しますが、ちゃんと立ってください。今離したらこのまま倒れますよ。」
「離せって言ってんのよぉお!!!!!」
「はいはい、離しますから」
咄嗟に出た言葉と、ブンブン腕を振り回す行動は、防衛本能だったのだろうか。
「はわっ!!!!」
「ほらぁっ!!ちゃんと立ってください!!」
「うがぁぁあああっ!!! 触るなぁッ!!!!」
なんかもうコイツが何考えてるか増々わかんなくなったし、ついでに私が何考えてんのかもよく分からなくなった。
「………お怪我は?」
「ないわよっ!!!!」
「それはよかった」
「………フンッ!!!!!」
ただまぁ、
「あぁ、そういえばお嬢様」
「………何?」
「今朝エルザ様からハンカチが返却されまして」
「………ふぅん?」
その日はもう疲れ果てて部屋に籠りきりになってしまったのだけど、
「よろしければ、そのハンカチ、今から刺繍を入れてみようと思うのですが、いかがですか?」
「………なに刺繍すんのよ」
「何が良いですか?」
アルフが半日かけて私のハンカチに刺繍を入れるのをボーっと眺めて過ごしたその日の午後は、
「………薔薇。赤いやつね」
「御意に」
不思議と、心休まる時間だった気がする。
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