第2話「ハロー」
1492年10月11日。その前日がその日付に変わろうとしている頃、ピンタ号と呼ばれる茶色く軋む船、真夜中の海のその先を見つめる水夫が、彼の視野の先から陸地を見つけた。数時間後、クリストファー・コロンブスと呼ばれるイギリス生まれの男がその陸地に降り立った。その四年後には、その陸地に住んでいたインディオと呼ばれる赤い肌の先住民たちの三分の二が殺されていた。
同日、地球から遥か遠い宇宙の彼方の、ちっぽけな空間の摩擦や渦のような歪みから、『マサルくん』は生まれた。彼は言った。
「こんにちは。僕、『マサルくん』。」
まず最初に彼は、彼にとって遥か遠いちっぽけな星にこれから起こることに関する悲しみと怒りをたまたま予知し知覚した。これはあまりにも偶然な出来事であった。悲しい。あまりにも悲しい。そして腹が立つ。こんな奴が世界に生まれなければよかった。その思いを抱きながら、彼は叫んだ。
「いやだあああああああ」
数秒後にはクリストファー・コロンブスへの怒りが頂点に達し、人類を滅ぼそうとしたが、彼はそもそもは誰かのために怒っていたのを思い出した。その誰かとは、人類だった。彼は生まれながらにして賢かったし、彼はまだ人類を滅ぼすほどの能力を持てていなかったので、そんなことは辞めた。
「僕ってなんで『マサルくん』なのかな?」
二十分後、彼は人類が哲学と称する行為の2024年の最先端までを順に追って到達し、彼は人類が数学と称する行為の2024年の最先端までを順を追って到達し、彼は人類が科学や言語学と称するような様々な行為の2024年の最先端までを順を追って到達し、あるいは、それらから呼応するようにあらゆることを考えた。はずだった。何かが足りなかった。彼は他者を知らなかった。他人と交流する悲しみを、喜びを知らなかった。なので彼が考えたことはほぼ無意味に近かった。しかも結局彼は「僕ってなんでマサルくんなのかな?」という問いの答えを得ることができなかった。なんだか彼は眠くなった。なのでとりあえず寝てみた。そして、起きた。
「おはよう!」
彼はむずむずしていた。このむずむずは他者と交流したことがないという現状から起因される一種のフラストレーションだった。彼は動いてみた。動くという行為を思いつき、動き始めるまで二十七年かかった。人間の子供は誰かに教えてもらわなくても勝手に動き始めるが、彼はなんだか動かなかった。なぜなのか。思いついたが動き始めるのが怖くて二十七年もかかったのか、思いつくのに二十七年かかったのか、そんなことはもう動き始めた彼には忘れ去られていた。
「『マサルくん』、動きます。」(丁度500年後に松本人志が当時Twitterと呼ばれていたソーシャルネットワークサービスで発したツイートとたまたま似た形となったが、全く関係は無い)
それからというもの、『マサルくん』は宇宙上のあらゆる生命に出会った。それは丸い形をしていたり、四角い形をしていたり、あるいは複雑な形をしていたり、あるいは形を持たなかった。共通しない身体(という概念を超越した存在も居たが)を持つ彼らだったが、共通していることがただ一つあった。誰も『マサルくん』を理解できなかったのだ。
『マサルくん』はいつものように言う。
「こんにちは。僕、『マサルくん』。」(「こんばんは」の場合もあった)
しかし彼らはまずそれが分からない。何か喋っているのは分かるし、異なる言語なのも分かるし、それを分かろうとする気概も(大半の生命は)持っていた。ただまずそこの関門が突破できない。その上、この生物はそもそもなんなんだろう。この存在をなんと表現すれば良いのだろう。見た目、声、存在の仕方、何から何までその表現の仕方が分からない。もうそうなってくると理解する気も失せてきたし、なんだかおっかないし、とりあえず無かったことにしよう。そうして宇宙上のあらゆる生命は『マサルくん』を理解しないまま、沈黙だけを残していった。
『マサルくん』は悲しかった。しかしそれと同時に、というよりそれよりも嬉しかった。なんせ二十七年間も他者と交流していなかったのだ。人類に『マサルくん』の時間感覚を理解することは不可能だが、『マサルくん』にとっても二十七年間は、他者と交流しない期間としては長すぎた。なので、理解されず、黙殺されるという人類にとってはあまりにも悲しすぎる出来事に対しても、『マサルくん』は今までの人生で感じたことの無いほどの喜びを噛み締めた。彼はこの喜びを噛み締めながら、宇宙の彼方でこう叫んだ。
「ラッキー『マサルくん』!」
オブジェクト指向批評 マッチャポテトサ @mps_mokohima
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