畜生道(1-3)

「俺の首を噛め」


 コロはそっぽを向く。


 お手もおかわりもお手の物。

 目の前に餌を出されても、三分までなら待ても出来る。

 何処に行くにもついて来て、戦場どころかトイレまで一緒に来たがるくらいの忠犬だが、あらたの自殺にだけは協力しようとしない。


 ダメもとで頼んでみたものの、本当にダメなんだとわかると、思わず溜息が漏れてしまう。

 そして、何をさせようとしているんだと言う眼差しで見て来る琥太郎こたろうの存在にも、新はそろそろ嫌気が差しつつあった。


「何の用だ」

「自分の犬になぁんて命令してんの。コロもすっかり拗ねちゃって、可哀想に」


 琥太郎は手を差し伸べるが、またコロはそっぽを向く。

 そして自分に酷い命令を出した新の側にと歩み寄り、脚に絡み付くよう胴を巻き付け、そのまま眠ってしまった。


「懐かれてるねぇ」

「変に懐かれた……だから困る」

「そんなに死にてぇの? まぁここに来る奴はそんなのばっかだけどさ。親御さん泣くよ?」

「あり得ない。俺の両親は俺を殴り、蹴り、嘲り、奴隷のように扱った。だから、俺が殺した」

「……あぁ、そう。実行に移しちゃったタイプかぁ……へぇ」

「離れるなら止めない」

「別に? なぁんも気にしない。そんな事言ったら、ここにいる連中全員人殺しだ。ま、ここに来る以前にやっちゃった奴は、そうはいないが」


 でなければ自分だってもっと早く、あの家から解放されていたかもしれないのだから。


「家族の後を追いたい訳じゃない。だが唯一俺のしたい事が、家族に復讐してやる事だった。それを果たした今、もう、生きてる意味を見出せないだけだ」

「生きてる意味なんて、元々ねぇだろ。俺も自殺志願者を救おう、みたいな慈善事業は好きじゃない。自殺を補助するドクターがいたって、何の問題もないだろって思う。だけど……何だろな。少なくとも、姫様に求められてるうちは、まだ生きてる意味があるんじゃねぇか?」

「生きる盾として、か」

「それもあるが……多分、あの人は他にも何か見出して欲しいんだと思う。ペットを飼う。美味しい物を食べる。好きなだけ寝る。自分の趣味に没頭する。他人を……愛する、とか。とにかく、何か好きな事を見つけて、そのために時間を費やす事を覚えて欲しいのだと思うぜ?」

「……意味不明だ。他人の幸せを願って、彼女に何の得がある」

「損得の問題じゃあないのさ。いや、問題なのか? あの人にとっちゃあ、他人の幸せが自分の幸せなんだよ。自分自身が、どうやったって幸せになれねぇからな」

「それは、どういう……」

「触った相手を殺しちまうんだぜ? それだけで不幸だろ? だってのに、あの人は六つの呪いに苦しんでる」


 新の隣に腰を下ろし、そのまま体を寝かせる。

 ベッドに寝転がった琥太郎は大きく欠伸し、眠たそうに目蓋をこすった。


「食べた物の味がしないどころか、食べても飲んでも腹が満たされない。異常な感覚過敏で、風に当たるだけで痛みが生じる。耳は常に命の絶える断末魔が聞こえて、夜も眠れない。体温も気温も感じられず、汗を掻けない上に体を震わす事も出来ない。情緒は時折不安定。自分の感情に振り回される。そして、記憶はたった一年しか持たない。一年ごとに記憶は入れ替わり、その前の事は思い出せない。まるで呪いだろ? 何をしたって、自分自身は満たされない。だから他人を満たしたいってぇのは……とんだエゴだが、少なくとも俺は、嬉しかったよ」


 永遠の飢餓。

 風に吹かれるだけで痛みを感じる超過敏感覚。

 嘘か真か、世界中の断末魔が聞こえて来るせいで眠れない夜。

 体温調節が出来なくて、体調管理も難しい。

 度々情緒不安定になって、自分自身に振り回される。

 一年しか持たない記憶。

 そして何より、永遠に訪れる事の無い死と言う終焉。


 真っ先に死んでしまいたい状況で、死ねないと言う事がどれだけの苦痛か。文字通りの生き地獄の中で、生き続けねばならないと言う事がどれだけの絶望か。


 けれど彼女は、死ぬ術も探さずに生きている。

 自分を守る守護者まで集めて、何処ぞの地下に地下都市まで作って、生き続けようとしているのに、守護者が自殺志願者と言うのは何という皮肉か。

 まぁだからといって、新の自殺衝動が収まる気配はまるでないのだが。


「ペットショップの動物は、何処から来ると思う?」

「いきなり何だ」

「ブリーダーって人間が、決めた動物の繁殖を促してポンポン生ませんだ。野菜を農家が育てるみてぇに、漁師が魚を取って来るみてぇに。だがよ、収穫される野菜と違って、水から上げられた魚と違って、犬や猫ってのは生きてるんだよな。それが何年も売られないと、どうなると思う」

「……捨てられるんだろう」

「そうだ、殺処分だ。人間のエゴで生み出されて、無意味のまま死んで逝く。人の生活を充実させるために生み出されて、無意味になったら殺されるんだ。俺は、そんな家で育った」

「殺されそうになったのか?」

「かもな。だがその前に、他の兄弟姉妹きょうだいが切れた。あいつらが母親と男を追い出さなければ、俺も飽きられた挙句に殺されてたかもしれない」

「そんな境遇に生まれて、今は何が楽しくて生きてるんだ」


 パン、と手を叩くと、コロが起き上がってベッドへと跳び上がる。

 寝転がっていた琥太郎の上に乗ったかと思えば、ペロペロ顔を舐め回し始めた。


「俺は、姫様あのひとの忠犬さ。言葉も社会も知らない獣に手を差し伸べてくれたあの人に報いる事が、俺にとっての幸せなのさ。承認欲求……っていうの? 俺の中で眠ってた欲望を、姫様あのひとは満たしてくれる」

「承認、欲求……」

「自分の力を認めさせたいと思わないか? 富、名声、力! この世の全てを手に入れて、一繋ぎの大秘宝を手に入れて! とか」

「一繋ぎの、大秘宝……?」


 まさか通じないとは思わず、琥太郎はポカンとなった後、耳まで真っ赤になる。

 通じれば何ともないが、通じないとなると恥ずかしくなるのは、漫画ネタの性か。いや、漫画ネタに限らず、冗談が通じない時ほど悪い空気はない。


 コロを退けて跳び上がった琥太郎は、そそくさと部屋のドアノブに手を掛けたところで止まり。


「い、今のは何でもねぇからな! ともかく……あれだ! これからも勝て! 勝てばみんなが認めてくれる! そのうちおまえもわかるだろうよ! 認められる事への快感! てめぇの承認欲求って奴がよ!」


 風のように現れ、嵐のように去って行った。

 残された静寂の中、舌を出しながら呼吸して、どうしたのと言いたげな顔をしてこちらを見るコロの下顎を撫でる新の。


「承認欲求……勝てば認められる……認められる事への、快感……」


 という呟きが、うるさいくらいに静寂の中で響き渡った。

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