太守邸の奇病

 エスコバリア太守私兵からの襲撃の昼と太守邸への逆襲の夜から五日、自由都市のシダー商会本店では以前とほぼ変わらない日常が戻っていた。以前と違うのは二つ。

 一つはタルタルソースやマヨネーズの味に皆慣れてきたので、毎日マヨネーズ味の何かが食卓に上がることがなくなったこと。

 もう一つは毅と新五郎の朝の鍛錬が本気じみてきたことだ。



 今日の朝もすみれは二人の打ち合いの音で目を覚ました。窓から外を見ると、トンファーを持った毅と槍斧そうふを持った新五郎が組み合っている。

 新五郎は毅の間合いの近さに対応し、槍斧の中央付近を持ち、穂先だけでなく、持ち手部分側の先も棒として使って戦っている。

「今日もやってる……」

 すみれは髪を整え、顔を洗いに下に降りようとしたとき、タルトが影から飛び出して急に声を上げた。

「お前のせいだぞ」

 眠りを起こされたのか不機嫌そうな声でそう言った。

「私?」

「あの日の晩、お前が全員眠らせたせいで、二人とも出番が全くなかったんだから」

「そんなことで?」

「おかげで毎朝早くからカンカンカンカン、起こされるオレの身にもなれってんだ」

「そんなこと言われてもなあ」

 ベッドに腰かけ、タルトを膝の上にのせて撫で始める。

「お前は相手に花を持たせてやるってことを……あと買った布を使って……」

「……そんなこと言われてもなあ」

 タルトの小言をやり過ごしながら撫で続けていると、五分も経たないうちにタルトはまた眠ってしまった。



 今日の仕事は、エスコバリア行きの馬車一台にブロムと毅が、西側の諸都市方面行きの馬車二台にマートル達と新五郎がついていた。

 積み下ろしを済ませてエスコバリア関門を出ようとしたところ、もう顔なじみとなった衛兵が毅に話しかけてきた。

「シダーの、みんな無事だったか?」

「ああ、おかげさまで。そっちはどうだ?」

「それがちょっと聞いてくれよ。太守邸でおかしな病気が流行ったんだ」

「病気?」

「ああ、四日前だったか、お前らに私兵のことを話した次の日の朝、太守がうなされたまま起きてこなかったんだとさ」

「ん?それが病気か?」

「まだ続きがある。外の庭は私兵の連中が全員同じようにうなされたまま倒れていたんだ」

「お、おう」

 毅には心当たりがあった。うなされていたのは全員すみれの仕業だが、太守邸から戻ったあと、私兵全員を庭に運んだのは毅だったのだ。

「それがおかしいんだよ。なんかの病気なら熱を出したりどこかが腫れてたりするもんだが、そんなもんは無くてどこか痛かったというわけでもないんだそうだ」

「で、その病気は治ったのか?」

「昨日みんな目覚めたよ。治ったかどうかはわからんが、伝染うつるとまずいってんで今日も太守邸は閉鎖中さ」

 すみれの悪夢は三日も続くのか。毅は背筋に寒気を覚えた。

「お前らは大丈夫なのか?」

「俺たちは何ともないな、それで、太守と私兵らは昨日皆帝都へ帰っていったよ。後でこっちに代官を寄越よこすんだとさ」

「へぇー。そういえば自由都市を攻めるって話はどうなったんだ?」

「あいつらを見送った奴が、太守は何故かおびえ切ってたと言ってたから、太守がもうどうこうすることはないんじゃないか?」

「皇帝が攻めるってことはないのか?」

「どうだろうな。絶対ないとは言い切れないが、それだったら軍をこっちに送ってくると思うぜ、ま、俺たちはごめんだがな」

「そりゃそうだ」

「そうそう、前にも話したと思うが不思議な格好の母子おやこ、本当にお前らの知り合いじゃないのか?」

「そういえば前に言ってたな、俺たちは知らないぜ。店のほうでも聞いてみるって言ってたな、ブロム、何か知ってるか?」

「そんな話がありましたね。本店でも支店でもそんな情報は入ってないと思いますよ。エスコバリアほどは真剣に調べてませんが」

「いや、太守が帰ったからもうこちらに知らせなくていいんだ」

 衛兵が言った。

「どうしてまた急に?」

 毅が聞くと衛兵が真顔で言った。

「雰囲気がお前らに似ていたんだ、あと、あいつらには気をつけろ。お前らが強いのは俺も見たから知ってるが、あいつらの力は不気味だった」

「魔術か何かを使うんだっけ?」

「前にも言ったが、あれは魔術じゃない他の何かだ。何が不気味かってあいつら、こちらを全く振り返らずに俺たちの動きを止めたんだ」

「うーん。気迫で止めたってのは物語なんかではよく聞くがどうもそんなんじゃなさそうだな」

「あいつらがどこかに行ったってんならいいんだが、もしもやりあうってんなら本当に気をつけろ」

「ああ、わかった」

「引き止めて悪かった、帰りも気を付けてな」

「ありがとう、またな」

 毅は大きく手を振って衛兵と別れた。


 帰りの馬車の中、毅は衛兵の話を振り返っていた。

「……欲ボケの病気が治ったんなら上々か」

 ブロムが問いかける。

「毅さん、何か言いましたか?」

「ん?ああ、こっちのことだ、すまない」

 それにしても気になるのは謎の母子だ。毅たちに似ているのなら、毅たち同様日本から来たのか、マヨネーズにも絡んでいるのか。いずれにせよこちらも会って話をするなり、情報を集めたりしなければならなそうだ。



 自由都市の西側にある、とある街のとある屋敷。洋装の眼鏡をかけた男が姿を隠した女と何か話している。

「マヨネーズに似たものがもう出回ってるって?」

「そうなんだよ、悪くなるからすぐ食べろって言われたからもう食べちゃったけど。おいしかったよ」

「材料が材料だからいずれ出回るとは思ってたが、思ったより随分早いな。似ているってことはどこか違いはあったのか?」

「野菜、あれは玉ねぎかな。刻んだ野菜が入ってたよ。鳥の卵を茹でたのも入っているんだってさ」

「ふーん。なんか面白いことになりそうだな」

 男は笑っている。

「それはそうと、ここにいるのは俺達だけだし、ここの人たちにも顔は割れてるんだからいい加減出て来いよ、一緒にお茶でも飲もうぜ」

「出来る女はそう簡単に姿を見せないんだよ」

「確かに情報集めは上手いけどさ。じゃ、悪いけどそれの出処でどころがどこか調べてくれないか、いいか、安全第一だぞ。無茶は絶対するな」

「はーい。任せといてよ。それじゃ、行ってくるね」

 女はもう出て行ったのか、窓越しの木が一度だけ大きく揺れた。

「その軽さが不安なんだよなあ」

 男のほうは苦笑しながらそうつぶやいた。

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