青空の中の黒い少女

 馬車の中では、すみれはタルトと言い争いをしていた。

「変身するんだ、早く」

「そんなこと言われても……私にはできないよ」

 ひそひそ声で反論する。変身できるかどうかもわからない上、変身したとて、戦力になるかすらわからないのだ。

「おっさん達がどうなってもいいのか」

「でも……」

 馬車の前方から雷鳴が轟いた。馬をなだめているマートルの声がする。

 無力かもしれないが、二人を見殺しにすることはできない。すみれは知らぬ間に呪文を唱えていた。馬車の中を闇が覆う。



 馬車での気配の消失に新五郎も毅も凍り付いた。彼ら二人は、すみれとマートルどちらか一人の気配が消え、もう一人が勢いよく馬車を飛び出したように感じていた。

 すみれはもちろんマートルも馬車を急に飛び出すとは考えられない。まだ伏兵がいて二人に何かしたと見るほうが自然だろう。

 新五郎は振り返り馬車を見た。が、外見上馬車に変化はなく、馬は倒れているでも暴れているでもない。考えたくはないが馬にも気取けどられず二人に何かをできるとなると眼前にいる隊長よりも手練てだれがいるのだろうか。

 視線を元に戻すと、隊長と魔術師が空を指しながら焦った様子で話をしている。

 私兵の側でも想定していないことなのか、もう一度馬車のほうを見る。馬車の上、遥か高くにゆらゆら動く人の姿が見える。改めて目を細めてよく見てみる。

「……あれは……すみれ殿?」



 今、自分は空にいる。自分の意志で変身したことも、マートルを眠らせたことも、こうやって空を飛んでいることも、すみれにとっては想像すらしない初めての連続で、いまだ自分がやったことだとは信じられない。

 本当に変身しているのか自分の服装を確認する。初めて変身させられた時は動けなかったので大雑把でしかわからなかったが、手には肘まで長い手袋を、身につけている服は肩口の膨らんだ短い袖と同じくミニスカートの黒のワンピースで、漫画やアニメに出てくるキャラクターのようにスカートは多層になっていて横に持ち上がっている。

 スカートを上から押さえてみると、弱い力だが反発があって元の位置まで戻る。もう一度スカートを押さえて足元を見ると膝近くまである長い黒のブーツを履いている。材質は革でもゴムでもないようで、締め付けも感じず、ぶかぶかな感じもない。幼い頃に雨具の長靴くらいしか履いたことは無いが、自分に合わせたようなブーツは身に付けていて奇妙な感覚だ。

 自分の周りを確認すると、空中に静止しているようで、上に引っ張られている感覚も無いし、落ちている感覚もない。どこか体の一部に力が掛かっているような感覚も無いし目をつぶると地上にいるのと変わらない気がする。

 上空は横風が思ったより強く、何もないと止まったままのスカートが風に揺れている。

「これ、どうやって動くの?」

「動きたい方向をイメージしろ」

「イメージって言われてもなぁ」

 仕方なく前に進む想像をするとそのままに体全体が動いた。少しの間色々飛んでみて、空中を歩けるかと足を前に出すと、思った位置に見えない足場が本当にあるようで、すこし不気味な感じがする。

「大体、動き方の感覚は掴めたな」

「うん」

 すみれがそう答えた時、下方から火球が飛んできた。火球は大きくすみれを逸れて更に高く飛んでいく。

「見つかったか、じゃあ、言われたようにやれよ」

 タルトの声が大きく頭の中に響く。馬車の前方と後方から火球が噴き上がってきた。



 新五郎も毅も上空にいるのがすみれだとは分かったが、あまりの出来事に口が開いたままで何も出来なかった。が、魔術師の火球で我に返った。聞きたいことは山ほどあるが、彼女がやっていることが陽動だとしたら自分はただ突っ立っているわけにはいかない。


 新五郎は槍斧そうふを手に魔術師の所に駆け寄ろうとするが、その前に隊長が立ちふさがった。

「ここは通さないよ」

 新五郎は槍斧を大きく横にいだり上から振り下ろしたりするのだが、隊長を転ばせた時とは違い、相手を動かして意表をつくことが出来ないため思うようにいかない。しばらく打ち合っていると、突然黒い泡が隊長を足元から包み込んだと思うと隊長は声も出さず突然倒れた。

 魔術師のほうを見ると同様に黒い泡に包まれて倒れている。

 上空のすみれを見てみると止まったまま宙に浮いている。無事そうなのは良かったが、一体全体何が起きたのかわからない。

 おそるおそる隊長に近づくと剣を両腕に抱えていて、兜の下からうめき声が聞こえる。これはどういうことなのか。



 毅のほうでも二人の魔術師を止めようとして一人は飛び蹴りで倒すことは出来たが、もう一人は魔術の牽制もあって手をこまねいていた。倒れている者たちを含め私兵を黒い泡が包んだ途端、魔術師が倒れたため、毅は首を傾げていた。

 すみれのほうを向くと、その姿は確かにすみれだが、服装が明らかに変わっている。倒れている私兵を見ると泡は消えていて私兵はうなされていた。

「なんなんだ、いったい」



「やったなすみれ、上々だ」

 タルトが声を掛ける。すみれがほっとして頭に手をやると、今まで気づかなかったが、左右に髪飾りのような物も付けているようだ。改めて自分の格好を考えると、これで人前に出るのは流石に恥ずかしい。

「タルト、どうやって元に戻るの?」

「ああ、元の姿をイメージすればいい」

 すみれは変身前を想像したが、変身して空にいることができることを忘れていた。

「バカっ!今解くな!」

 その様子を見ていた毅は落下するすみれを見て慌てて飛び上がった。

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