不穏な噂とマヨネーズ(後編)
寺院からの帰り道、太陽は落ちかけ、空の端はほんのり赤みを帯びている。前をすみれとアルニカ、後ろを毅と新五郎が話しながら歩く。シダー商会本店まであと少しというところで、毅は露店まで駆けていった。
「毅さん、どうしたの?」
アルニカが聞く。
「ちょっと買うものがあるらしい。さ、行こうか」
新五郎が微笑みながら答えた。本店に着いたところで毅が三人の所に追いつき、本店からはちょうどブロムが出てきたところであった。
「ああ、皆さんお揃いで、お帰りなさい」
「ただいま、何かあったのか?」
「ええ、今晩の食事は皆さん会頭の部屋でお願いします。アルニカもです。詳しい話はそこで、準備が出来たらお呼びしますので」
「食事まではまだ時間はあるな、俺は兄さんの部屋にいるよ」
毅は新五郎を親指で指して答えた。
「わかりました」
ブロムは店の裏の方へ向かった。
「じゃあ、部屋で支度するか、アルニカちゃんこれ、噂のこと教えてくれてありがとう」
「すみれ殿、酒を預かってくれてかたじけない」
二人はアルニカとすみれに小さな紙袋を差し出した。
「わあ、ありがとう」
アルニカとすみれは本店の中に入っていった。
「じゃ、兄さん、二階に用があるから、済ませたらそちらに行くよ」
続けて二人も本店に入った。
アルニカと別れてすみれの自室、すみれが一人になるとすぐ、タルトが飛び出して勢いよくすみれの胸に飛び込んだ。
「どうしたの?」
タルトは何も言わず、ただすみれにしがみついている。手を放しても軽く体を振ってもしがみついたままである。タルトをそのままにしてさっき貰った紙袋を開けると、紙袋の中には、飴玉のようなものが何個か入っていた。
「タルトも食べたいの?」
すみれはベッドに腰かけて聞いたがタルトは何も言わず、すみれのみぞおちのあたりに顔を押し付けたまま離そうとしない。
「困ったなあ」
すみれが困惑していると、タルトの力が徐々に抜け、酔っぱらったような様子を見せた。さっきまで酒を預かっていたことをすみれは思い出した。お酒を服にこぼした訳でもないのに、それだけで酔っぱらうなんて、タルトにもかわいいところがあるんだとすみれは思った。特に悪酔いしている様子もなく、ただふらふらになっているタルトをすみれはじっと見つめながら撫で続けていた。
ギンコの部屋。毅・新五郎・すみれ・ギンコ・アルニカ・ブロムがテーブルについている。夕食という話だがテーブルの上にはお茶しかない。
「アルニカちゃんから聞いたんだが、エスコバリアが戦いの準備をしているかもしれないと聞いたんだが本当か?」
毅が聞いた。
「ええ、噂にはなっています。ただ、その噂が独り歩きしてしまって困ったことになっているんです」
「どういうことだ?」
「まず噂のことですが、ここを攻めてくる意志はあったとしてもまだ攻める下準備すら取り掛かっていないようです」
「それなら当面はいい事じゃないのか?」
「ええ、困ったのはこの噂のせいで、傭兵がエスコバリア方面に集まりだしていることなんです」
「何が問題なんだ?」
「傭兵がエスコバリアに行っても仕事がないんです。
毅たちはじっとギンコの話を聞いている。
「余裕のある傭兵は単に戻ればいいのですが、余裕のない者達は――」
「食い詰め者が野盗に堕ちるということか……」
新五郎が
「はい。気性が荒い人も多いですから。そこで、彼らが留まるのを少しでも減らすために、馬車を持っている者たちがしばらく乗り合い馬車をすることになりました」
「つまり俺たちは、馬車に乗せたそいつらを見張ればいいんだな」
「はい、お願いできますか?」
「構わないが、金が無いのに馬車に乗れるのか?」
「はい、これは
「へえー、じゃあ、いまのところエスコバリア側に攻めるつもりは無いのはわかったが、どうして噂になったんだ」
「エスコバリア太守というのは将来、国の中枢に行く者たちの役職で、それで優秀な人材が就くのですが……」
「功を焦ってここに攻めようとするということか」
新五郎が言った。
「はい。それともう一つ。以前、エスコバリアが
「ああ、兵士が動けなくなったとかの」
「その母子がどうして追われているかはまだわかりませんが、戦力になる魔術使いを探しているという話になって……」
「ややこしいな」
「そうですね、油断はできないので情報は引き続き集めますが、戦乱の心配は当面に限ってはなさそうだということです」
「だといいんだけどな」
「そうですね、ちょっと遅くなりましたが食事にしましょうか」
この世界の食事というのは現代の日本に比べると少しだけ質素なようだ。基本はスープか果物どちらかとパン、夜はそれに蒸し野菜と肉を煮るか焼いたものとなっている。特別おいしいというものではないが、まずかったり飽きがくるというものでもない。かなり裕福な部類に入るであろうギンコたちでもこのようなものなので、あまり食には頓着しないのかもしれない。
と言っても、江戸時代の浪人の新五郎と昭和の若者の毅には十分ご馳走、すみれにしても出されたものにケチをつけるような育て方はされていない。
今日の夕食は蒸し野菜と焼いた肉が付いていた。いつもと違うのは蒸し野菜に白いペースト状のものがついていることだ。
「さ、いただきましょう」
ギンコの声を合図に皆食べ始める。毅とすみれは
「これ、マヨネーズか……」
少し低い声で毅は呟いた。すみれは静かに頷く。ギンコが答えた。
「そうです、マヨネーズです。これ、おいしいですね」
「どこで手に入れたんだ?」
毅が聞いた。
「エスコバリアの高官に知り合いがいるので分けてもらいました。大変珍しいそうです」
そもそも世界が異なるのに言葉が通じていることもおかしいのだが、マヨネーズの存在と他の料理ではあまりにも雰囲気が違い過ぎる。マヨネーズが以前からあったものでもなさそうだ。第一、マヨネーズって外国の地名か何かが由来じゃないのか?毅は戸惑った。
「こちらの料理はどれもうまいなあ」
新五郎は嬉々として食べている。違うんだ。新五郎も昭和まで生きればきっと食べられるんだと、毅は思ったが口に出せずにいた。
「すみれちゃん、知ってるの?」
アルニカが聞く。
「うん。卵と酢と油……だったっけ」
すみれが毅に視線を向けて言う。
「多分、そうだよ」
毅は材料を教えていいのか一瞬
「卵は今の所うちにはありませんが、手に入ったら試しに作ってみましょうか」
ギンコの提案にアルニカが強く賛同する。
「うん。お父さん早く用意してね」
「あー、卵は生で使うから、新鮮な方がいいぜ……」
毅はあやふやな声でアドバイスした。
俺たち以外にも地球の人間は来ている、しかも、近い時代か未来のやつが。毅は確信に近い思いを持って夕食を終えることとなった。
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