不穏な噂とマヨネーズ(前編)

 初めての護衛の仕事も何事もなく終わり、十日あまりが過ぎた。新五郎と毅は、午前は剣の訓練、午後は馬車の護衛という日々をほぼ毎日過ごした。その間盗賊のたぐいは全くなく、野獣らしき群れが現れたのも一度きり、オオカミのような動物の群れで、それが野獣かと聞くとマートルも首をかしげ、ギンコから預かった薬品をぶつけるだけでその群れも逃げ去っていったもので、平穏と言っても差し支えないものだった。


「兄さん、今日は休みだから街中に出ないか?」

 毅が新五郎の部屋に来て言った。

「ああ、金が溜まったから武具屋で刀を頼めるな」

 報奨金の残りや仕事の報酬は、三分の二が三人の装備や衣服代などの必要経費や生活費、残りを三等分したものがそれぞれ自由に扱えるものと決まった。

「じゃ、すみれちゃんにも声かけてくるから、支度しといてよ」

 すみれの部屋にはアルニカもいて、二人とも快諾したので四人で街に出ることとなった。新五郎は仕立てたひとえを着て、刀を差しているほか、徳利も持っていた。



「……刀身はこうで、…………刃については……」

 武器屋で新五郎が注文する刀の説明をしている。

「前来た時よりも、客が随分多いような気がするなあ」

「毅さん、ちょっと」

 アルニカが毅の袖を引っ張った。

「どうしたんだい?」

「噂なんですが……」

 アルニカが小さな声で話し出した。すみれもそばにいる。

「エスコバリアが戦争のために兵士を集めているんじゃないかっていう話が出ていて……」

「相手はどこなんだ?」

「それが、いくつかあるんですけど。自由都市ここじゃないかという話も……」

「ええっ。大丈夫なのか?」

「そこのところはわからないけど、それでこことむこうに段々傭兵が……お父さんも情報をあちこちから集めてて……」

「うーん。何事もなければいいんだけどなあ」

 三人は顔を見合わせた。

「俺も頼んどいたほうがいいのかな……」

 毅は武器屋の店員に話かけに行った。



 武器屋で注文を済ませ、酒屋の中。新五郎が店員に試飲させて貰っている。

「この酒は結構強いな、そこの酒は?」

「マタタビ酒ですね。これも強くて少々お高いですが、猫獣人の皆さんには大好評です」

「だろうな、じゃあ、あそこのをこれに詰めてくれ。マタタビ酒も少しだけ貰おうか」

 新五郎は穀物で作った蒸留酒を選んだ。

「わかりました、マタタビ酒の量はこれでよろしいですか」

 店員は握りこぶしより一回り大きい陶器を差し出した。

「ああ、それで頼む」

「かしこまりました」

 新五郎が店を出ると、毅が大きな紙袋いっぱいに林檎のような果物を抱えていた。

「遅くなってすまない、毅殿、そんなにたくさんどうするのだ?」

「近くの露店で買ったんだ、この後、寺院によってもらってもいいか?」

「別に構わんが、そうそう、すみれ殿、済まないがこれを持って貰えぬか」

「いいよ」

 マタタビ酒をすみれに持ってもらい、一行は寺院へと向かった。



「こんにちはー」

「あら、アルニカちゃんお久しぶり、元気だった?」

 ウサギ耳のシナモンが出迎えた。

「はい、先生。先生もお元気そうで」

「今日はどうしたの?」

「シナモンさん、どうもこんにちは、子供たちに差し入れを」

 毅がシナモンに紙袋を渡した。

「こんなにも沢山ありがとうございます、ええと毅さん。お隣は新五郎さんでしたね」

 新五郎が軽く頭を下げた。

「そちらの女の子は?」

「こっちはすみれちゃん。すみれちゃん、シナモン先生よ」

 アルニカが簡単に紹介する。

「折角ですので奥にどうぞ。お茶をお持ちします」


 シナモンは四人を奥の部屋に案内し、お茶を取りに行った。

「アルニカちゃん、噂のことはシナモンさんに話しても大丈夫かい?」

「ええ、多分大丈夫と思います――」

薬茶くすりちゃですがどうぞ」

 シナモンが戻ってきて、陶製の小さな茶碗のような器に注いだ薬茶を出して言った。

「いただきます」

「シナモンさん、エスコバリアの噂は聞いた?」

 毅が早速切り出した。

「ええ、祈りに来る傭兵の方が増えて、そちらから聞きました。何も起きなければいいのですけど」

「毅殿、エスコバリアの噂とは?」

 新五郎が聞く。

「ああ、さっきアルニカちゃんに聞いたばかりなんだが、エスコバリアが兵を集めていて、ここに攻めてくるかもしれないという噂があるんだ」

「ふうむ、シナモン殿、アルニカ殿、この町の守りはどうなっているかわかりますか?」

 シナモンが答える。

「詳しくは知りませんけど、町自体は壁で取り囲まれていて、普段は町直属の衛兵が治安を守るという形です、争いとなるとそれに傭兵が加わることになるはずです」

「他の町や国とは同盟したり連携してたりはするのかい?」

 毅が聞いた。

「ええ、ここが四つの国に囲まれているのは御存知かと思います」

 毅が頷く。

「もし、どこかがここを攻めてくると、残りの国がここを守るという取り決めになっています」

「しかし、それでは他の国と手を組んで攻められたら効果は薄いのでは?」

 新五郎が聞いた。

「そうですね、この取り決めはエスコバリアから攻めてくる対策の意味合いが強いんです。他の国はあまり他所の土地に興味が無いのと、兵力をさほど持っていませんので……」

 あまり聖職者に軍事のことを聞くのも悪いと思い、毅は話題を変えた。

「そういえばあそこは衛兵が多かったな。ところでここは学校もやっていると聞いたけどどんなことを教えてるんだ?」

「そうですね、基本は読み書きや計算、生活について、自由都市と周辺のことについてですね」

 シナモンは続けて言った。

「時折、様々な職種の方がみえて興味のある子供がそれぞれの職業について教えて貰っています。アルニカちゃんはギンコさんや商会の方がいますから商会で学んでますね、商会からも時々ここに来ていただいてます」

 アルニカに視線をやりながらシナモンは言った。毅は感心している。

「へぇー、よくできているなあ、じゃあ買い物の途中だからそろそろおいとましようか。薬茶ごちそうさまでした」

「あら、お構いもできませんで、また来てくださいね。アルニカちゃんも」

「ありがとう、また来るよ」

 毅たちは寺院を後にした。



 シダー商会のギンコの部屋。ギンコが牛頭ごずのブロムと二人、支店から送られた情報に目を通していた。机の上には小さな蓋付きの壺が置いてある。

「困りましたね。今晩の食事はここで私たちとアルニカ、毅さん達とでとって、これらのことはそこで話しましょう」

「はい、マートル達には伝えますか」

「そうですね、エスコバリアの件だけお願いします」

 ブロムは部屋を出ていった。

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