新五郎、消ゆ。(前編)

 ――関東地方の街道沿い、とある宿場町のはずれには、くすんだ色の建物が二軒ある。蔵のような建物は夜だけ開く賭場とばで、その隣は賭場を仕切る博徒ばくと一家の屋敷となっている。


 屋敷の中では白い髪の老人と体格の良い男が火鉢を挟んで酒を飲みながら世間話をしていた。

 老人は綿入れを羽織って胡坐あぐらをかいている一方、男の方は藍色のひとえ[裏地をつけていない長い着物]を着て刀を横に置いて正座している。

「あんたの腕じゃあ、仕官先もよりどりみどりだったろうに、なんでこんな旅人たびにんみたいなことやってんだい?」

 老人が、わずかにしゃがれた声でくと、煙管きせるを口にする。

 男は姿勢を崩さず口に付けていた猪口ちょこ長膳ながぜんに戻した。

「あったにはあったんですが、このご時世でしょう。やれ異国がどうだ、やれ攘夷じょういがどうだだの、挙句には他所よそは地震で大変だったと聞きます。世間がちいとになりましてね――」

「親父さん、ちょっと……」

 半纏はんてんを着た若い衆がやって来て老人に耳打ちした。

「客人が……ええ……引き上げてます……十五人ほどですかね…………今は若い者で……」

 状況から博打の客がイカサマだと騒いでいるのだろう。

「酒は飲んでたのかい」

 老人が問う。

「……いやあ……負けてああなっても……」

 困惑した顔で若い衆が答える。

「五郎さん、ちょっと頼まれてくれねえか?」

 老人が正座の男に向かって言った。


 男の名は新五郎しんごろう。どこかお偉い所の五男坊で、頭も腕も良かったため将来を嘱望されていたのだが、長兄が家督を継いで家の心配がなかったことや、荒んできている世間が嫌になり、育った家を出て行った。実家に迷惑が掛からないようやなぎと姓を変えて名乗っている。

「客人をいさめて帰したらいいんですか、中には何人いるんです?」

「騒いでいる客人が十五人ほど、若い者は八人で抑えて他の客は帰らせてます」

 若い衆が代わりに答えた。人差し指を上に向けくるくると回している。

 新五郎は自分の刀一組を手に立ち上がり腰に差し、少し思案して言う。

「どうも手数が足りないな……親分さん、長いのいくつか貸して貰えますかね。を引いていればもっといいんですが……」

「引いてるのはねえなあ、おい、言われたのと酒を用意しな。ああ、味なんかわかんねえんだから、めいいっぱい薄めとけ」

 なにやらゴソゴソしながら親分は若い衆に向けて言った。

 やってきたときの困り顔とは一転して、笑ったまま若い衆が返事する。

「小便ぐらい入れてもどうせバレやしやせんぜ、どうせならなだ生まれのあっしの搾りたてを――」

 やめてくれ、新五郎はたまらず割り込んだ。

「俺も飲むんだ、変な事はよしてくれ。あと、薄めなくてもいいからな」

「へーい」

 灘生まれという若い衆は渋々引き上げていった。


「これも持っていきな」

 親分が刀を大小、ひと振りずつを投げてよこした。

「二、三年前か、若いお侍さんが、払えないってんで置いてったもんだ。無銘だがな」

あらためても?」

 親分がうなずく。

「へぇー、無銘にしてはいいですね」

 抜き身の刀を持ち上げながら新五郎は言った。

「だろ?俺がもうちょっと若けりゃあ、振り回して遊んだんだけどなあ。若いのにやっても勿体もったいないし、どうせびつかせるなら、置いとくより使ってやったほうが刀も本望だろうよ」

 博徒を斬ったところであまり喜ぶとは思えないが、新五郎はそこのところは口に出さなかった。

「じゃあお借りします」

「しかし、道具をいっぱい持っていたら、まるで明王様だな。」

 親分が顔を崩しながら、手を合わせて拝む真似をしながら笑って言った。

「そこはうまくやりますよ」

 新五郎が答える。

「そうそう、酒で片付くならいいんだが、もしうちのシマ狙いの他所者なら……」

 親分は急に真顔になり、右の人差し指を首に当てて引いて見せた。

 新五郎は静かにうなずいて、親分に背を向けた。部屋を出かかるところ、また親分から声がかかった。

「あー。刃を引いたのなら無いが、これならあるぜ、これも持っていけ」

 と、親分は笑みを浮かべながら今度は短刀らしきものを投げてよこした。見てみると十手だった。

「ぞっとしませんね、ここにはとんと似合うものじゃあありませんから、これは貰っていきます」

 新五郎は帯の背中側に差して悪趣味だと苦笑しながら部屋を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る